ミソジニー
と答えた。
そうすると別の男子生徒が
「え、じゃあ先生!スリーサイズは?」
とさらにハレンチな質問をし出した。
さすがにそれには先生も困ったようで苦笑いをしていたが、やがてそれは困惑したような表情へと変わった。
女子生徒たちも
「ちょっとさすがにそれはまずいっしょ」
とクスクスと笑い声をあげていた。
片瀬先生は生徒からの答えようのないくだらない質問に困ってしまったのか、あるいは単に恥ずかしいからなのか・・・どちらなのかは分からないが、急に下を向いてしまっていた。教室中でクスクスと笑い声がしていた中、先生は棒立ちの格好で下を向いたまま立ちすくんでいた。
「えっと・・・それは・・・」
先生が顔を上げてそう言いかけると
「先生、軽いジャブなんですけど!ジョークですよ。ここ軽く受け流すところですよ」
とスリーサイズの質問をしだした男子生徒が急に場を和ますようにそう言った。
その後また教室中が爆笑になった。みんなサルみたいにキーキーとうるさくまくし立てるように話し出した。
「ちょっとー何なのそれ。まじうける」
「あははは」
「ちょっと先生反応に困ってるじゃん」
片瀬先生は唐突もない質問に肩透かしをくらったせいか、恥ずかしそうに下を向いたままだった。どうしたらいいのか分からないような面持ちだった。その困惑した表情から俺にも先生の感情みたいなのが何か伝わってくるような気がした。
あまりにも長いことそんな状態が続いていて、そんな先生を見ているとなぜだか俺は急にいてもたってもいられなくなった。先生のことが到底他人事には思えなくなり、ほっとけなくなった。なぜかは分からない。柄にもなく大人っぽい表現をするならば先生の仕草や言葉遣い、はたまた身にまとっているそのオーラに何かどうしようもないくらいはがゆい感情というか、不思議な空気のようなものを感じたんだ。
突然俺は意味不明なことを口走ってしまった。
「おい、お前らふざけんなよ。先生困ってんだろ。いい加減にしろよ」
俺はいきなり何を思ったのか気がついたら席を立って教室中にそうまくし立てていた。無意識に。
そう言ったあと俺はふと我に返り教室中を見渡した。
全員きょとんとした表情で俺を見つめていて、そして一斉に黙り込んでしまっていた。
「あ、いや今のは・・・ちょっと・・・何ていうか・・・その」
自分も何だか恥ずかしくなって席に座り黙りこんでしまった。
また教室がガヤガヤし始めた。
「蒼太のやつ何だよな?あんなの軽いジョークだろ」
「まじひくよな」
「普段存在感ないくせに」
「意味不明なやつ・・・」
そんな生徒たちの声が聞こえてきて俺は赤面してしまうほど恥ずかしくなった。何だかいたたまれなくなって窓の外の方に顔をふいっと向けてしまった。
一時限目の英語の授業がようやく終わった。俺の爆弾発言によって他の生徒たちはみんな大人しく黙ってしまい、片瀬先生もとてもやりづらそうに授業をしていた。本当に静かな授業だった。俺はかえって先生に悪いことをしてしまったような気がした。先生にとっての初授業がこんな形になってしまって。でも、自分でも何であんなことを突然言ってしまったのかと不思議で仕方がなかった。自分のことなのに自分の取った行動の意味が分からなくて、頭の中で螺旋が渦巻いているかのごとく混乱状態に陥っていた。
その日はそのまま普通に他の授業を受けて、授業が全部終わると予定通り帰宅部の俺はそのまま自宅へ直帰する。何をするのでもなく。放課後になると、相変わらず野郎どもは教室に何人か残っていて、やれ彼女ができただとか初体験がどうだったとか、聞きたくもない話ばかり耳に入ってくるので胸糞悪くなりさっさと帰ることにした。まあ中にはそんな浮いた話とはまったくの無縁でオタク仲間同士でアニメやらゲームやらの話を平和にしているなんとも微笑ましい連中もいたが、そいつらともとうてい気が合いそうにもなかったし友達にもなる気もそうそうなかった。相変わらず俺は暇を持て余して何をするのでもなく自宅と学校と往復する退屈な毎日を送っていた。
帰りの電車の中。俺はふと思った。
あの後、片瀬先生はどうなったんだろうか?あんなことになってしまった後にちゃんと他のクラスでも平常心を保ったまま普通に授業ができたんだろうか・・・?
「ただいま」
家に帰ると母親が
「お帰り」と返してきた。
「あのさ、今日お姉ちゃん大学の友達のうちに泊まるってさ。お姉ちゃんこの前藤報堂の最終面接だったじゃない?あそこちゃんとやれば最終面接落ちることまずないって話だし、ほぼもう内定が決まってるのよ。だから、息抜きに友達同士でお祝いするってさ」
「あっそ。よかったね」
俺はそっけなくそう答えた。姉貴がどこの会社に受かろうが、何しようが俺にはどうでもいいし。
「ちょっとあっそって何よ。おめでたい話なんだからね。多分近いうちに決まるから、今度土曜日にお父さんと四人でさ、お祝いに青山で昼に豪勢に外食するからね。あんた時間あけときなさいよ」
「わかったよ」
俺はいやいやそう返事した。
「それでさ、今日出前取るからさ。お姉ちゃんいないしさ、お父さんも出張でいないし。あんた何がいい?」
何だか会話のやり取りをしていただけで疲れてきて途端に気が抜けたのでもうどうでもよくなった。
「何でもいいよ」
適当にそう答えた。
「何でもいいって、はっきりしない子ね。じゃあいつものかつ丼でも頼んどくよ。」
「うんいいよ」
俺はそう言ってせっせと階段を上って行った。
「まったく・・・」
母はしょうがないという感じで大きなため息をつきながら出前を頼むために固定電話の受話器を取りに行った。
「あの・・・竹井ですけど・・・いつものかつ丼定職出前で2つほどお願いしたいんですけど・・・はい、そうです。6時半くらいにお願いできますか?」
自分の部屋のベッドに横たわっていると、下からそんな話が聞こえてきた。
「はー」
何だかよく分からないけどドラマの悲劇の主人公にでもなったかのように口からまた自然とため息が出てきた。
ベッドに横たわるときだけが唯一自分だけに与えられた時間であり、自分だけの空間だった。
そのままベッドに横たわっていたら何だかどっと疲れがでた。
次の日は英語の授業はなかった。片瀬先生はどうしてるかな?となぜか気になったりもした。
2限目は理科の実験だった。
物理の実験で、簡単な電磁石の装置か何かでリニアモーターカーの仕組みを理解するためのようなものらしく、それを使って物理の教師の今川が熱弁をふるっていた。10分も20分も同じような内容を繰り返している上にやたらと説明が長くダラダラとしていたのでやけに眠くなった。
眠気が襲ってきたと同時にふと隣の席のグループの女の子たちがちらちらとこっちの席の方を見ているのに気付いた。最初は何だ?と思ったが、聞き耳を立てると何やら俺の話をしているのが少しだけ聞こえてきた。
「ちょっと遥?今こっち向いたよ?」
「え、本当?」
一体何の話だろう?
無視できないほど気になってしまったので会話を少しだけ聞いてみた。