ミソジニー
男はそれを見て薄気味悪くにやっと笑った。
「やめろよ、先生に手出すな!」
俺はボロ雑巾のようにボコボコにされながらも必死に抵抗するかのように力いっぱいそう叫んだ。
すると黒づくめの男はそれが気に食わないというような顔をして
「何や・・・このガキまだしゃべる元気あるんかい」と言った。
「おい」
そう言うとグラサンの男が俺をとっ捕まえて後ろから息が苦しくなるほど強く羽交い絞めにしてきた。
俺は途端に身動きがとれなくなった。
グラサンの男が俺を抑えているすきに黒づくめの男が近づいてきて、そしてその後、俺の腹を何度も強打してきた。
一発一発の重みが半端なく、胃が押し潰されそうなほどの激痛だった。
「ぐふっ」
思わず声が漏れた。
「ちょっとやめて。やめなさい!」
先生は思わず叫んだが一向に止める気配はなかった。
先生はもう涙目になってきた。
「最後の仕上げや。これでフィニッシュや。顔面めちゃくちゃにしたろ」
「まあ、周りに人誰もおらへんしな。」
男たちはそう言うと黒づくめの男は少し離れて助走をつけながら俺の顔面を強打する体勢に入っていた。こぶしを握ってはーっと口から息を吹きかけていた。
俺はもう体中あざだらけになっていて、意識がもうろうとしていた。
身動きがまったくとれなかった。
「よっしゃーいくで」
そして黒づくめの男は俺の顔に殴りかかろうとした。
俺はもうダメだ、と思った。
その時・・・
「やめて!」
先生が突然飛び込んできた。
俺はもう何が起きたのか全く分からなかった。
それは一瞬の出来事だった。
流れ星が空で一瞬に消えてなくなってしまうくらい瞬くまの瞬間だった。
「バン」
何かが強烈に吹っ飛んだ音がした。
何が起きたのか一瞬間が空いた。
男たちも何が起きたのか分からず茫然としていた。
俺は目を疑った。
先生がすぐそこで倒れていた。
先生の額からは血が出てきて、完全に意識を失っているようだった。
「あ・・・」
男たちは意味が分からないといった感じで呆然とそこに立ち尽くしていた。そして突然動揺し出した。
男たちは俺から手を離した。
俺はその場でドスンと倒れた。
黒づくめの男は慌てながら
「まさか・・そんなわけ・・あらへんわな?」
と恐る恐る先生の方へ近づいていった。
男はどうやら先生の脈をはかっているようだった。
「・・・止まっとる・・・」
それを聞いたグラサンの男は急に情けないくらいしどろもどろになってきた。
「い・・・いかんやろ・・・」
黒づくめの男は慌てながら
「その女が・・・そいつがいけないんやからな・・・」
とまるで自分たちは何の関係もないかのように言い放った。
「おい、やばいぞ。はよいくで。」
グラサンの男がまるで何者かに嗾けられたかのように大急ぎで車を出そうとした。
「ああ・・・」
黒づくめの男がそう言いながら助手席に飛び乗り、男たち二人を乗せた車は一目散にその場を走り去っていった。
「ちょっと・・・待て・・・待てよ」
俺は小さな声で力いっぱいそう叫んだが、口の中が傷だらけで声がほとんど出なかった。
その男たちの車のナンバープレートを何とか確認しようとしたが、意識がもうろうとしている上に目の焦点があっていなく、ぼんやりとしか見えなかった。
そして男たちが乗っていた車はあっという間に見えなくなった。
あたりは不気味なくらい静まりかえっていた。
俺はあまりの一瞬の出来事に一体何が起きたのかまだ頭の整理がつかなかった。
俺はしばらく意識を失ったかのようにその場でぼーっと男たちの車が走り去って行った方向にあった景色の方を眺めていた。
ふと我に返るととっさに先生のことを思い出した。
そうだ、先生は・・・
俺は体中の痛みを抑えながら地べたを這いながらゆっくりと先生の方へ近づいていった。
先生は道に倒れたまま微動だにしなかった。
頭からは血が大量に流れ地面は赤く染まっていた。
「先生・・・先生?」
俺は先生の体を揺らし必死にそう呼んだ。
でも、返事はなかった。
「先生・・・先生?返事してよ・・・」
気を失ってるだけだ。そうに違いない。
そう思って俺は先生を呼び続けた。
やはり反応はなかった。
俺は、横たわっている先生の心臓に耳をあてて注意深く鼓動の音を聞いてみた。
音はなっていなかった。
俺は何が何だかわけが分からなくなった。
何が起きたのが全く理解できなかった。
俺の目から次第に涙が溢れてきて、そしてそれがやがて頬に伝わってくるのがわかった。
「先生・・・先生・・・返事して」
でも先生はまるで屍のように返事をしなかった。
もう何も言葉がでなかった。
俺は先生に抱きついてその場で大声を出して泣き崩れてしまった。
まるで生まれたばかりの赤ん坊のように。
救急車で病院に運ばれた後、間もなく先生は死んだ。
あの後、俺は運転免許もないのに無我夢中で車を動かした。車なんてそもそも運転したことなんてなかったが、小さい頃からずっと父親の運転する姿を後部座席から何となくで見ていたのでそれをとっさに見よう見まねで真似した。たどたどしく今にも交通事故を引き起こしそうなくらい危なっかしい運転だったが、一刻を争う事態でそんなどうでもいいことを気にかけている場合ではなかった。先生を助けなきゃ・・・ただそのことしか考えてなかった・・・それ以外のことは俺の頭の中に一切入ってこなかった。俺は必死そのものだった。そして、何とか先生を車に乗せて無事下山できるとやっと携帯の電波の届く街中のエリアに入ったので急いで救急車に電話をした。
でも、病院についた時にはすでに先生は頭を強烈に殴打されたことによって心肺機能が停止状態になっていたそうだ。
病院の処置により奇跡的に一時意識が回復したが、打ちどころが悪かったらしくすでに出血多量により瀕死の状態だったためもはや手遅れとのことだった。
俺は病院の治療室の前のソファで待っていたが、その間中、まるで魂を失った抜け殻状態だった。
俺は何でこんなところにいるんだろう。
さっきまで先生とは素敵な紅葉を見て・・・車の中で激しく抱き合って・・・この世のものとは思えないほど素晴らしい世界にいたはずだった。
それが・・・まるで台風であっという間に吹き飛んでしまう古い家屋みたいに一瞬でもろく崩れ去った。いとも簡単に。
それは激しく燃え上がった後に一瞬で消える線香花火のようでもあった。
病院の医者が
「お気の毒ですが・・・」
ととても深刻な面持ちで話しかけてきたとき俺は先生の死を悟ったが、すでに返事をする気力も残されてはいなかった。
その場で軽くお辞儀だけして、無意識に治療室前の椅子に座り込んでしまった。
「ご家族の方ですか?」
と医者に聞かれたので
「違います。学校の生徒です」
と何とか小声でそう答えた。
ご家族の方と連絡を取りたいとのことだったので、俺は先生の家の住所や連絡先だけとりあえず教えた。
先生の母親は地元の丸岡病院というところ入院しているのは先生から聞いて知っていたが、親せきのことは特に何も知らなかったので、入院先の病院のことだけ教えて後は分かりませんとだけ伝えた。
手術が終わり先生は病室で静かに永遠の眠りについていた。
俺は病室に入っていき先生がベッドで仰向けになっている姿を見た。