ミソジニー
峰岸遥は頭を上げて、そして少しだけほっとしたような表情を浮かべた後、一瞬だけ何かを考えてから優しい口調で励ますように俺に言った。
「私に・・・私に何かできることがあったら言ってね」
「うん・・・ありがとう」
そう軽くお礼をした後、俺は振り向いて廊下の向こうへと歩いていった。
振り返ると、峰岸遥は後ろからまだ俺のことを少しだけ心配そうに見ているようにもみえた。
季節はすでに11月中旬に差し掛かっていた。眞口に喧嘩を売った騒動以来、特に何も真新しいことは起きなかった。何かひどいいじめや嫌がらせを受けるかと少しばかり緊張気味に待ち構えていたが、何も起きなかったのにはさすがに拍子抜けした。少しぐらい報復されるかと思っていたから多少は覚悟していたのに、あまりにも平穏だったのでその静けさが逆に怖くなった。そして、そのことに少しだけ違和感を覚えた。でも、そんな俺の心情などおかまいなしに相変わらず学校生活は毎日同じように淡々と繰り返されていた。実に平和な日々だった。
そんな中突然、真由美先生から一通の手紙が来た。
「蒼太君へ
こんにちは蒼太君。お元気ですか?私は・・・まあまあです。私はあれから仕事を探し始めて今やっと隣町の学校に臨時教員の空きが出たのでそこに応募しようと思っています。相変わらずですが、母の病院のお見舞いや、看病にも追われる日々です。私は何とか元気にやってますが、蒼太君は元気にやっていますか?あんなことになってしまった後だから、何だか蒼太君と連絡が取りづらくなってしまって・・・ごめんなさいね。あれから、学校の方はどうですか?いじめはなくなっていればいいですね。心配で気が気でないです。でも、屈しなければきっといじめは絶対になくなると思います。少なくとも私はそう信じています。そうだ、今度二人で秋の紅葉を見に行きませんか?私はあまり車とか普段は運転しないのですが、今度の土曜日あたりに秋の紅葉を見に埼玉県あたりにでもドライブに行きませんか?ちょうどいい大きな公園があるそうなので。蒼太君がもし行きたければでいいんだけど・・・そのことを話したいので近いうちに蒼太君の携帯に電話しますね。だからちゃんとスマホを手元に置いておいてね。
片瀬真由美」
そんなような内容の手紙だった。
しばらく先生ともう会ってないから、もう一年くらいたってしまったかのように感じていた。だから、先生から久しぶりに手紙が来て肩の力が抜けたようにほっとすると同時に、飛び上がりたくなるほど嬉しくて仕方がなくなった。
でも何よりも先生が元気そうでよかった。
また、先生と会えるんだ。今すぐにでも会いたかった。
次の土曜日予定通り俺は先生と埼玉の山奥へ秋の紅葉を見に行った。
久しぶりの先生は少しばかりか痩せ細ったみたいに見えた。
久しぶりと言ってもまだ2ヶ月もたってないのに、想像できないくらいかなりの時間が経過してしまったかのようにみえた。
「蒼太君・・・元気そうでよかった」
「うん・・・」
埼玉県の紅葉の見える国立公園に向かう途中の山奥の道なりに沿って車の中で俺たちは会話をした。
車の外からはすでにイチョウやイロハモミジやオオモミジなどのたくさんの紅葉が見え始めていた。
俺は先生と何を話したらいいのか分からなくて車の中でおとなしく黙っていた。
会うまでは話したいことが山ほどあったはずなのに、いざ会うと不思議と言葉がまるで出てこない。
「紅葉ってね・・・何で起きるのか知ってる?」
先生は運転しながら急にそう話しかけてきた。
「冬を迎える前準備なの。秋になると葉っぱを落とす前段階の季節になって、葉っぱに送る栄養素が遮断されて色が赤く染まるんだって・・・。何だかそれを知ってから心の中が悲しくなって。紅葉は芸術の秋っていって、見ている分には美しいけど・・・美しいものは表面的には華やかでとてもきれいに見えるけど、実際はそういった儚いものなのかもって。もろく崩れやすい。そしてやがて散っていくの。」
先生は何とも悲しそうな表情を浮かべてそう言った。
俺には先生がそんな話をなぜしているのか分からなかった。ただ、先生がとてつもなく悲しい何かを感じ取っていることだけは分かった。
言葉では言い表せない何かを・・・
俺たちは国立公園の中を車で運転してたくさんのきれいな紅葉をしばらく二人きりで眺めた。
それは儚く哀しく、そして美しい瞬間を目の当たりにしたような言葉にできないくらい色鮮やかな風景だった。
そして小一時間くらいだろうか?ぐるぐると公園内をまわった後に、人通りの少ない静かなスポットがひとつだけ空いていたのでその近くで車を止めた。
「きれいね・・・」
「うん」
そして何を思ったのか、俺たちはそこで急に激しく抱き合った。
公園内だっていうのに、しかも車の中で・・・
まるで誰にも邪魔されない空間であるかのようにその場で俺たちはひっそりと激しく求めあった。
それはまるで二人だけの世界だった。何人たりとも立ち入る鋤がない完全な愛の世界だった。
「先生・・・」
俺は先生を強く抱き寄せながらそう言った。
俺たちは何も言わずにただひたすら抱き合った。
静かに一言も発さず・・・
「蒼太君・・・この世界ってね・・・私たちの生きてるこの世界って・・・」
「うん・・・」
「・・・とっても素敵ね」
俺たちはしばらく愛のひとときを静かに過ごしていた。
そして、大分時間がたった頃にやがて先生が「もう帰りましょう」と言った。
先生は公園の出口に向かうため車をだした。
出口に向かう一本道の道なりの途中、俺は窓の外から綺麗な紅葉を眺めていた。
美しくも儚い紅葉・・・
俺はしばらくぼーっと外を見ていた。
俺はこのまま先生といつまでもずっと一緒にいたいと思った。
先生といるひとときはまさにすべて輝きの瞬間だった・・・。
先生もきっとそう思ってくれているに違いない。
そして、帰る間際になっても、この公園の綺麗な紅葉をずっと永遠に先生と見ていたいとすら思った。
途端に帰りたくなくなってきた。
紅葉の景色を車の窓から眺めながら俺はそんなことを想っていた。
そのとき突然おかしなことが起きた。
俺は何が起こったのかまったく分からなかった。
左横の細い山道から突然別の車が飛び出してきた。
先生はびっくりしてハンドルを右に急回転させた。
俺は窓から目を離して先生とその車の方を見た。
ぶつかるギリギリのタイミングだったので、もはや避けきれなかった。
「キー」
ものすごい大きなブレーキ音がなった。
何とか正面衝突は避けられたが、その飛び出してきた車のどこかにぶつかったようだった。
「ボン」
何かの音がした。
瞬く間の出来事だったので何が起きたのか分からなかった。
俺は怖くて目をつむっていた。
しばらくたった後に目をおそるおそる開けると、先生がぼんやりと視界に入ってきた。どうやら先生はドキドキしながら前の車を見ていたようだった。
突然強面の男二人組がその車から出てきた。
バタンと扉をしめてこっちに向かってきた。
そして俺たちの車の前方の窓をドンドンと乱暴に叩いた。
先生は恐る恐る窓を開けた。
「何しとんじゃこら・・・突然飛び出してきやがって。殺す気か」