ミソジニー
先生にはその意味が分からないようできょとんとしていた。
「来ない?」
しばらく先生は黙ってその言葉の意味を考えているようだった。
「来ないって・・・休みとか?でも休みだったら他の生徒が代わりにやるはずだよね?」
先生はどんどん俺に踏み込んでくる。なんでいつも先生は俺なんかにこんなに関わろうとするんだ。
「ねえ、どうしたの?一体何があったの?」
俺はもう我慢しきれなくなって
「わざとですよ。ねえ・・・別にいいでしょ。先生には関係ないんだし」
少しキレ気味に返した。
片瀬先生は少しの間また黙ったままだったがやがて
「わざとって・・・何それ?ふざけてるの?」と少し怒ったような口調で言った。
俺はまた黙った。そしてまた下を向いたままモップで床を拭き始めた。
「もしかしたら・・・いじめってこと?」
先生は核心をつくようにそう聞いてきた。
「ねえ、そうなの?竹井くん」
俺は先生にこんなみじめな自分を見られたくなかった。
「きっとそうだよね・・・」
先生は悲しそうな表情をしながらそう言った。
俺はついに我慢できなくなって大声で怒鳴り始めた。
「いじめ・・・そうですよ・・・いじめですよ。だから何なんですか?別にどうってことないでしょ?ちょっとラブレター破ったくらいでこんな仕打ちするようなやつらですよ。別にそんなやつらのしていることなんて、もう気にしてませんよ。どうせあいつら友達でもなんでもないんだし」
俺はその場でわめくように大声でまくし立てていた。
先生も大声を出して俺に向かって話し始めた。穏やかな先生が急変したように激しい口調になった。
「それは違うは。どうでもいいことなんかじゃない。向こうがひどいことをしてるんだから。ちゃんとみんなにも事情を説明しなきゃ。場合によっては学校側にもちゃんと言うべきだし。それに・・・ちょっとラブレターを破ったくらいなんて言わないで。竹井君のしたことだって彼女を十分傷つけたんだから。それは絶対にちゃんと謝らないといけない」
先生が興奮しだして俺は驚きを隠せずにいた。
「先生・・・・?」
「竹井君にはちゃんといじめには立ち向かってほしい。そんな曖昧な態度で終わらせちゃだめ」
「何で・・・何で先生にそこまで言われなきゃいけないんですか?」
「きっと後悔するから」
「別に後悔なんかしませんよ。俺は。何を後悔するっていうんですか?」
俺がそう頑なに反論すると先生は突然
「じゃないと竹井君が・・・竹井君がずっと過去を引きずってしまうから。私みたいにずっと」
そう言った。
後悔する?引きずる?
「先生?」
俺はとっさにそう返した。
「いじめに遭って傷ついて、誰も愛せなくなって。過去を引きずって。私の人生みたいになる」
誰も愛せなくなる?過去を引きずってしまう?
このままだと、俺もそうなってしまうって意味なのか?
だから先生は俺にそれを教えようとして・・・それで俺を助けくれてるの?
「先生・・・」
俺は黙り込んでしまった。
「私は何があっても竹井君の味方だから」
「なんで・・・何でそこまで俺の味方をしてくれるの?」
先生はしばらく考え込んでから、ためらいがちに答えた。
「あなたのことがほっとけないから」
そう言って先生は足早に教室から去って行った。
ほっとけない?
そう言われて俺は胸の鼓動がドキドキし始めた。今まで感じたことのない何かの感情が心の中で湧き上がってきた。
上手く言葉では言い表せないが、恋とも違う、何かその人を愛おしいと思うような何か・・・そんな感じのものだった。
しばらくいじめは続いた。
俺はもうどうでもよかった。
いじめたいやつらは勝手にしろって思った。
どうせ学校生活にそもそも意味なんかないんだ。
でも、片瀬先生に言われた言葉も心の片隅で気になって仕方がなかった。
「竹井君にはちゃんといじめには立ち向かってほしい。そんな曖昧な態度で終わらせちゃだめ」
一体俺はどうすればいいんだ。
しかし、ある日ホームルームの時間に杉山が突然、柄にもなくクラスのいじめ問題について話し出した。
「おい、お前らに今日は大事な話がある。少し深刻な話だ。ちまたでいういじめ問題ってやつだ。まさかこの学校でそんな問題が起きるなんて思ってなかったし、先生も教師になってからこんな話を聞くのは初めての経験なんだ。だからよく分からなんだが、聞いた話だと・・・お前らの中で率先していじめをしているやつがいるそうじゃないか。まあまだはっきりと決まったわけじゃないから誰がとは言わないが・・・このクラスのある人物がいじめに遭っていると。どうせ隠してもバレるんだから今のうちに正直に言え。そうすればな、穏便にすむわけだしな」
杉山がそう話し出すと、クラスのある女子が
「先生、証拠か何かあるんですか?そんな嘘話を議題にされても私たち困ります」
そう言いだした。
「まあ、それも最もだよな。でもな・・・これはある先生から聞いた話なんだが・・・実際にそのいじめに遭っている生徒から聞いたそうだ。だからかなりの確実な証言になる。今のうちに正直に言わないと職員会議で取り上げるぞ。事になればPTAやら教育委員会で騒ぎになる。正直に言うのが一番だ」
そうするとまた他のある生徒が
「その先生って誰ですか?」
と杉山に抗議するように聞いた。
「まあ・・・それは個人情報もあるしな。」
「それじゃあ話になりませんよ。誰か分からないなら。話をでっち上げないでください。勝手にそんな話を持ち出されるとこっちも迷惑です」
教室中がざわざをと騒ぎ出した。俺は自分のことが議題にされているのに何も言えずに苛立っていた。
「う、うん」
杉山はバツが悪そうに咳払いをした。
「じゃあ、言うが・・・片瀬先生だよ。彼女がそう言っている」
その名前を聞くと生徒たちの声がまた途端に騒々しくなった。
「そんな昨日今日来たばかりの新任の先生が私たち生徒の事情を何で知ってるっていうんですか?」
「私たち生徒よりもついこの前来たばかりの新任教師を信じるっていうんですか?」
「そうですよ」
生徒たちが杉山を畳みかけるような勢いでまたもや一斉に抗議し出した。
杉山はさすがに生徒たちからの猛攻撃には手を焼いているようでさっさと会議を終わらせたいかのようだった。
「まあ、とにかく。片瀬先生がそう証言しているのは事実だから。文句があるなら彼女に言え。そのうち彼女の証言で職員会議を開く予定だから何かいいたいことがあるやつは彼女に直接言ってくれ」
杉山は生徒たちに責められるのが我慢ならなくなってきたのか、明らかにホームルームを終わらせたがっていた。
「そのいじめられている生徒は一体誰なんですか?」
また別の生徒が聞いてきた。
本村加奈子だった。
「さあ、俺は知らない。彼女が知っている。知りたいならそれも彼女に聞いてくれ。もういいか?ホームルーム終わるぞ」
そういうと杉山はため息をつきながら逃げるようにして教室を去って行った。言うまでもなく面倒なことには巻き込まれたくないのだろう。
杉山が教室から出ていくと生徒たちがまた一斉に騒ぎ出した。
「一体誰だよなーちくったのは。どこの誰だ?また卑怯なやり捨て野郎か?」
誰かがそういうとみんなゲラゲラと大声で笑い出した。