ミソジニー
俺はその後一睡もできずにベッドを起き上がり廊下をしばらく徘徊老人のようにうろうろとしていたが、気持ちが一向に落ち着かなかったので、一階まで降りていきリビングのソファーに座った。しかし、寝ている間に大分汗をかいたのか喉がからからだったので、キッチンへ行きコップ一杯分の水を一気にぐいっと飲みほした。そして、ソファーでずっと長い間ぼーっとしながら、夜が明けるまで何もせずにただじっと堪えるようにして待った。そしてその時間は一生朝が来ないのでないかと思えるほどものすごく長く感じたが、ついに耐え兼ねて一瞬だけうたた寝しそうになった頃に、雨戸のわずかな隙間からほんの少しだけ日差しが額のまぶたの方へと差し込んできて俺は再び目を覚ました。そして、気が付いたらやがて朝を迎えていた。
まだ意識が朦朧としながら何が何だか分からず、俺は学校へと向かった。
またホームルームで杉山が何やら説教をし始めた。
昨夜の夢に朝からずっとうなされていたため、俺は杉山の話などろくすっぽ聞いていなかった。
「こら、竹井ちゃんと聞いてるのか?」
杉山に名指して突然喝を入れられた。
「あ、はい。」
「ったく。朝からぼーっとして。もっとしゃきっとしろよ。」
俺に説教して満足そうにすると、杉山はまともや見つけたぞと言わんばかりにほかの生徒たちにも容赦なく違う説教をし始めた。
クラスで存在感がなく普段はほとんど教師に無視されているような俺が間髪入れずに喝をいれられたってことはボーっとしている姿がすさまじいほどにひと際目立っていたのだろう。
授業が終わり、昼休みになると俺はとっとと教室を出て購買にまたパンやらジュースやらを買いにいった。すると廊下が何やらざわついていた。何だかみんながまるでゴキブリや解剖前の蛙を見るかのように、冷たい目で俺を遠くからちらりと一瞥くるような気がした。最初は気のせいかと軽く考えていたが、段々とそれは気味の悪いひそひそ話をされているかのような感じに変わった。思いのほか居心地が悪かった。
まるでみんなが俺を避けているかのようだった。
しかしその時はその意味が俺にはまだ分からなかった。
授業が終わり帰宅時間になり、俺は鞄に教科書を詰めてさっさと教室を出ようとしたら、クラス一のお調子ものの山村が普段は友達でもなんでもないくせに突然俺と旧知の仲だったみたいな感じで話しかけてきた。
「おい、竹井。お前何かやばいことしたの?」
突然そう言ってきた。
何のことを言ってるんだ?
「やばいこと?」
「ああ、何かお前峰岸遥にめちゃくちゃひどいことしたって噂が流れてるぞ。何か告白されてちょっとだけ付き合ったけど、やり捨てしてひどい目に遭わせたってな。」
「は?なんだそれ?」
何でそんな根も葉もないバカげた噂が校内中に流れているんだ?
「そうなのかお前?もうクラス中の女子がお前を最低男って目の敵にしてるぞ。あとかなり大勢の男子もお前に激怒してるぞ。遥ちゃんを泣かせたって。やつらみんな峰岸遥を狙ってたからな。」
一体なんなんだ?俺がやり捨て?クラス中が俺に激怒?
事実無言だ。俺はそんなことはしてない。ただ峰岸遥の目の前でラブレターを破り捨てただけだ。一体誰だ、そんなひどい噂流したのは?
「本当なのか?お前。俺は別にさ、お前を疑ってるわけじゃないんだぞ。別にお前そんなにいやな奴じゃないから、俺はちゃんとお前を擁護したんだけど、ほとんどの奴が聞く耳持たなくてさ。もうお前やばい状況だぞ」
とうてい信じられない話だったが、もし山村の言っていることが本当なら多分想像するに俺のことを快く思ってないやつらが大げさにデマをクラス中に流したんだろう。
「それは事実とは違うよ。誰かが流したデマだ。俺はただ告白を断っただけだよ。」
俺がラブレターの件については伏せてそういうと山村は
「だろ?やっぱりな。お前にそんなことする度胸あるわけないもんな。俺もそう思ったからそう言ったんだけどな。でも、もう誰もお前を信じてないよ。」
と同情するような感じで言ってきた。
大変なことになったと思った。
ラブレター事件がまさかこんな深刻な事態にまで発展するなんて。
自分のとった行動があまりにも軽率だったことを今更ながらに少しだけ後悔した。
「そっか」
「まあ、何にしても信じてもらえるように弁解するべきだよ」
「そうかもな」
「ま、何にしてもがんばんな。俺は、お前を信じてるからよ。じゃあな」
「ああ、じゃあな。」
そういうと山村は小走りに教室の外へと出ていった。
普段はクラスのひょうきん者で通っている山村が唯一頼もしい味方に思えてきた。
教室には他にも数人残っていたが、何やら俺の方をちらっと見ながらひそひそ話をしているようだった。
自分のしてしまったことを心底後悔した。どうしようもないくらい物思いにふけりたくなったので俺は逃げるように屋上へと一人寂しく向かった。
こんな噂が流れているってことは、峰岸遥の友人の誰かが俺への嫌がらせか何かでクラス中に大げさなデマでも流したんだろうか。いや、そうとしか考えられなかった。一番考えられる犯人は本村加奈子だったが、他にも友達は何人もいるからその中から犯人を誰か特定するのはとても難しいだろう。いや、峰岸遥自身が俺に対する恨みでやったのかもしれない。でも、あの涙は?あんな涙を本気で流すようなやつがそんなひどいことを本気でするだろうか?でも、誰かに恨みがあればとっさにそのようなことをしてしまうことだってもしかしたらあるのかもしれない。俺は光の射さない暗い階段をゆっくりと上り屋上へとようやくたどり着いた。そして、しばらく屋上の上から校庭を見下ろしながらそんなことをああでもない、こうでもない、とひたすら無限ループのように考え込んでいた。
10分ほど考えていただろうか?すると、そこにまたもや俺のことをかぎつけてきたかのように片瀬先生がやってきた。
「何やってるの?」
後ろから突然話かけてきた。
またばったりと会った。
片瀬先生は俺の動向をかぎわけるエスパーなのか?ちょっとだけ怖くなった。
しかし、それと同時にこう何度も偶然が重なると、柄にもなく何かの運命なのかとかさえ思えてきた。
「いや・・・ちょっと・・・」
「何か・・・考え事?」
先生はそう聞いてきた。
「先生こそ・・・屋上で何やってるんですか?」
俺はなぜか質問を切り返してしまった。
「私はね・・・この学校に来てまだ屋上にのぼったことがなかったから、ちょっと見てみようかなと思って」
「そうなんですか」
俺はごく普通にそう言った。
「また何かあったの?」
片瀬先生は何でこんなにも俺のことを気にかけてくれるんだろう。俺みたいなつまらないごくごく普通の高校生のガキなんかを。もしかすると俺と同じ経験をしているからなのだろうか?それにしてもこんなにも俺のことを気にしてくれる人がこの世にいたなんて驚きだ。そんな人は今までの俺の人生で誰一人としていなかったから、先生がこの世の人間ではなく空から突然舞い降りてきた天使か何かのようにさえ思えてきた。いや、もはや女神ともいうべきなのか。
「えっと・・・」
俺がしどろもどろになっていたので
「峰岸遥さんのこと?」