ミソジニー
「もう、帰ろっか。話し込んでたら、こんな時間になっちゃったし」
先生は急に話を切り上げようというような感じで軽くそう言った。俺は時間をすっかり忘れていたことに気が付いて、ふいに外を見るといつの間にか夕方近くになっていた。夢中で話を聞いていたら時間はあっという間に過ぎてしまったようだ。
先生と俺は立ち上がるとレジの方にいき先生が俺の分も含めて金を払い会計をすませてくれた。そして二人で店の外へ出た。
「じゃあ、また明日学校でね・・・・」
先生はそういうと喫茶店の前で俺と別れてどうやら自宅の方角だと思われる方へ向かって行った。
「あのさ・・・先生」
俺はとっさに先生を呼びとめてしまった。
自分でもなぜかは分からなかった。ただ何となくそうしてしまった。
先生は振り返り俺をしばらく見た後少しだけ笑ったかのように見えた。
「明日ね・・・」
先生は手を振ってまた向こう側へ体ごと振り返りさっそうと歩いて行き、商店街の人ごみの中へと消えていった。
俺は先生の後ろ姿を不思議な感情を抱きながらしばらくぼんやりと眺めていた。
もう辺りは夕焼けに染まって街中が赤い光を帯びているかのようだった。
「帰るか・・・」
俺は心の中でそう思い、家に帰ることにした。
自宅に帰るとさっきまでの夕焼けなどどこぞへと消え去り、もう辺りは夜の闇に覆われていた。
「何だ蒼太、遅かったじゃないか。」
父の賢治はすでにゴルフから帰っていて、玄関先で俺が手にぶら下げていたクリーニングのビニール袋に包まれている自分のスーツの方をちらっと見た。
「おお、クリーニング代わりに行ってくれたんだってな。お姉ちゃんから聞いたよ。ありがとな」
親父は俺にお礼をすると、クリーニングされて見事に綺麗になって帰ってきた自分の服を満足そうに受け取ると部屋へもっていった。
リビングを覗くと姉貴もすでに帰宅済みのようで、母由利子とテレビを見ながら何やら楽しそうに話していた。何だか草食系男子についての特集をテレビで見ている最中のようだった。
「なんだかね、最近こういう男がやたら増えてるってね」
「そうよ、私の大学もそういうやつ本当多いのよ。私から誘わなきゃなかなか電話もしてこないんだから。こっちからいかなきゃなかなか恋にまで進展しないんだから。」
「困ったもんよね。蒼太とかも将来こんな風になっちゃわないか心配だわ。一生独身だったらどうしましょう?ほんと気が気でないわ」
「あいつはとっくにそうなってるわよ。もうあいつに期待するのやめよ、お母さん。」
簡単に言うとそんな感じのやり取りだった。俺はいつも通りスルーすることにした。
俺は挨拶もしないで自分の部屋へと直行しベッドに仰向けになった後、また片瀬先生のことを密かに思い浮かべた。
先生は今日、俺だけに自分の過去の秘密を打ち明けてくれた。
何だか急に先生と気持ちがつながっているような気になってきた。
何だろう?この気持ちは・・・自分でもよく分からなかった。
何とも言えない言葉では言い合わらせないもどかしい気持ちだった。
シンパシー?いや・・・そう思ったが、これはもう初めて教室で会ったあの日の感情とは決定的に何かが違っていた。
その夜俺は夢を見た。
今まで見たことのない夢。
ここはどこだ?周りを見渡すとどうやら自宅にいるようだ。
真夜中なのかあたりはやけに静まりかえっている。
理由は分からないが俺はなぜか階段の下にいる。
そしてなぜか小学校低学年くらいの年齢に戻っている自分がそこに立っていた。
俺は小学生の体に戻っているのになぜか高校生の俺の意識のままだった。
だが、どちらかというと俺は意識の外からその小学生の俺を見ているようなそんな感じだった。
耳をすますとリビングから何やらこそこそと話し声が聞こえてくる。
その声はざわつくかのように自分の耳元に近づいてきて音はどんどん大きくなっていく。
廊下を歩いてリビングのドアの外にまでそっとおそるおそる近づいてみる。
廊下のきしむ音がかすかに聞こえた。
やけに神妙でリアルな音だった。
リビングにたどり着くとそこでは母と姉貴が何やら話し込んでいるようだった。
姉貴はなぜか中学生くらいに戻っている。
母も当時の年齢にまでずっと若返っている。
「ちょっとお母さんそれひどいわね」
姉貴が母親に話しかけていた。
「そうなのよ、私の家ってね、医者の家系だったのよ。だから両親はどうしても男の子の跡取りがほしくてね。親に男の子がほしかったって散々言われ続けて育ったのよ。田舎だったからそういう風習がまだ残ってたのよ」
「それひどくないお母さん?」
「そうでしょ?女の子が医者の家系の跡継ぎなんかになっても仕方ないからって。だからお前はうちを出て結婚してよそへ嫁ぎなさいって」
「本当ひどいよ、それ」
どうやら母が自分の家系の話をしていて、姉貴がそれに同調しているようだった。
「医者になるのに男も女も関係ないじゃないのよね?本当古臭い家系で私はうんざりしてたのよ。女の子の方が育てやすいし、仕事がうまくいかなくても結婚すればいいんだし、将来は親の面倒とか見てくれるんだから、絶対娘の方がいいに決まってるのにね?」
「私もそう思うわ、お母さん。お母さん大変だったんだね」
「蒼太だって何だかさ、はきはきしない子だし、あなたと違ってしっかりしてないからあれじゃ将来心配よ」
「そうよね、お母さん」
「何であんな子生まれてきちゃったのかしらね?あー二番目の子も娘がよかったわ。」
「お母さん大丈夫よ、私、蒼太が将来立派な大人になれるようにちゃんとしつけるから」
「そうね、頼むわ。あなただけが頼りなんだから。あなたは本当しっかりしてるし。きっと大丈夫ね。あなたは私の自慢の娘よ」
「うん、お母さん」
「本当、息子なんかいらなかった」
そんな内容の会話が聞こえてきた。
小学生の俺は廊下でその話を立ち聞きしていた。
多分子供だから意味が分かってないのだと思う。
でも、高校生の俺には夢の中でなぜかその話がはっきりと聞こえてくる。
そして会話の内容もちゃんと理解できている。
何だ?何なんだ?この夢は?
やめてくれ。もううんざりだ。誰か早くこの夢を終わらせてくれ。
助けて・・・・
そう思った瞬間に俺は夢から覚めた。
ベッドからあわてて飛び起きた。
「はあ、はあ・・・」
気がつくと、俺はベッドの上にいた。
「何だ・・・夢か・・・」
あたりはまだ真夜中でしーんと不気味なくらいで静まりかえっていた。
まるでサイレント映画に出てきそうな部屋と廊下だった。
音は何一つたっていなかった。
額には絶望的な量の冷や汗をかいていた。
自分は何が何だかわけが分からず意識が朦朧としていた。
一体なんでこんな夢を見たのだろう?