泡の世界の謎解き
明らかに、二人は、
「早くその場を離れたい」
という気持ちで一致していたからであった。
そう言って、二人が部屋を後にしようとする間、誰も二人に振り返ったり、視線を見せる人はいなかった。明らかに様子が変だった。
「森脇さん、ちょっと、いいですか?」
と言って、ビルを出たりえは、森脇を喫茶店に誘った。
さっき真っ暗な中で店に入ったばかりなのに、と二人は感じてしまうほど、時間が経つのが早かったのだろう。あまりにも目まぐるしく時間が過ぎたので、あっという間だったという錯覚に陥ったに違いない。
すでに、昼間も過ぎていて、夕方近くのようだった。時計はまだ二時前だったが、表に出た瞬間は、普段の早番の時の仕事が終わる、四時頃の感覚だったので、
「時間が経つのが早い」
と感じたのだろう。
二人とも、事件の発覚から、警察の事情聴取。さらには、スタッフ会議と、普段は一つだけでも大変なことだと思うようなことなだけに、それが一気に三つもこなしたのだから、時間お感覚がマヒしてしまっていたとしても、不思議はないという感覚だった。
「時系列がハッキリしないな」
と感じたのはりえの方であり、森脇の方は、そこまでハッキリと、感じることはできなかった。
それだけ、りえの方が落ち着いているっということで、
「この業界は、本当に経験なのかな?」
と感じたほどだった。
だからこそ、自分がこの業界にいることが、まるで他人事のように思えていて、
「他人事ではいけないんだ」
と、ずっと思ってきたはずだったのに、いまさら、他人事のように思っていたということを、今回の事件で思い知らされることになるとは、森脇は思ってもいなかったのだ。
りえが、入った店は、ソープ街から大通りを渡ったところにある、レンガ造りの、まるで昭和を思わせる、いわゆる、
「純喫茶」
だった。
森脇は初めて利用するところであったが、りえは常連なのか、少し重たい気の扉を開けると、重低音の鈴の音が響き、
「夏だったら、かなりの納涼になりそうだ」
と感じさせるその音を、どこか懐かしく聞いたものだ。
「いらっしゃい」
という、女の子に、ニッコリと笑って、
「今日は二人ね」
と言うりえの顔は、店では決して見ることのない笑顔だった。
客に対しての笑顔とはまったく違うその表情に、
「これが、彼女の本当の笑顔なんだ」
と、感じた森脇は、どこか自分が安堵している気がした。
それまで、半年という期間であるが、この仕事を覚えることにずっと一生懸命だったことで、気づかない間に、ドップリとこの業界に嵌ってしまっていることに気づいたのだ。
「女の子の笑顔なんて、忘れていたな」
と思うと、先輩であり、さっきの対応に頼もしさを感じていたりえに対し、急に親近感を覚えたのであった。
「ん? どうしたの?」
と言って、こちらを見るりえに対して、気づかれたことへの恥ずかしさと、自分が、りえに対して、何か安堵だけではない何かの感情を持ったと初めて気づいたのだった。
だが、それは決して恋愛感情のようなものではない。しいていえば、仲間意識というものかも知れない。さっきの刑事との会話で見せた、あの毅然としたりえの態度、最初はびっくりしたが、
「この業界の女の子だ」
ということを考えると、それは別に不思議なことではない。
もちろん、客に対してはそんな態度をとることはないが、普段の客に対しての笑顔は、
「お客さんに癒しを与える」
という笑顔であり、親近感という意味ではこれ以上ないといえる笑顔なのだろうが、恋愛感情や、ましてや、感情が移入してしまうような笑顔ではないことは確かだ。
一歩間違えれば、そこに起こるのは、
「マジ恋」
というものであり、そう思わせてしまうと、相手がどのような心境を持つかによって、その態度が自分にとって、ロクなことにはならないと、どっちに転んでもなるであろう。
ストーカーになってしまうか、プライベイトを調べられ、自分のいうことを聞かないと、「個人情報をバラす」
などということになりかねない。
そのために、スタッフがいて、守ってくれているから、女の子も安心して仕事ができるのだ。
そういう意味で、自分たちスタッフの存在意義は、他の会社の従業員に比べて、重要なのではないかと、森脇は最近、感じるようになってきた。
ただ、スタッフも辛いところがある。
そんな守ってあげたいと思う彼女たちと、
「恋愛感情を抱いてはいけない」
ということになるのだ。
こういう店では、主役は言わずと知れた、接客をする彼女たちだ。お客さんは、彼女たちのことを見てはいるが、たぶん、スタッフの顔など、まともに見ている人はいないだろうと思うほどで、もし、スタッフを覚えている人がいるとすると、このお店が初めて風俗利用をするところであり、最初の緊張感を和らげてくれるという意味での感謝から、スタッフを覚えている人もいるだろう。だが、それも稀なことであり、カーテンが開いて向こうの世界に行ってしまうと、出てくるまでの時間、それまでとは違った自分にしてもらった女の子のイメージで上書きされてしまうに違いない。やはり。スタッフというのは、裏方であり、黒子でしかないのだ。
「道に落ちている、石ころのようだな」
とついつい思ってしまうのだが。
「道に落ちている石ころは、自分の目に飛び込んできて、意識をしているはずなのに、見ているわけではない。逆に見ているように表からは見えるが、その表からは、逆に石ころを意識しているようには見えてえいないのかも知れない。それだけ、表から見るのと、自覚するのでまったく違うというのは、そこにあって当然という意識が働いているからに違いない」
と感じるのだった。
「自分たちスタッフとは、そういうものだ」
と、森脇はずっと思ってきた。
その感情は、入店してから思っていて、一番最初が一番強く、業務を覚えていくうちに少し和らいだのだが、つかさに、なじられたりする時、
「やっぱり、俺はこの業界向いていないんだろうな」
という思いと一緒に、
「路傍の石」
を感じてしまっていた。
しかし、今日ここで、りえと一緒にいることで、それまで感じた路傍の石とは、少し違った感覚の、
「道端に落ちている石」
というものを初めて感じた。
それは、
「道端に落ちている石が、どう見えているのかということを、自分でも感じることができているような気がしてくる」
という感覚だった。
そんな感覚、今までに感じたことなどなかったはずなのに、どういう心境なのかと思っていると、
「気が付けば、一日が流れとともに自分の中で流されていて、目の前に、りえが鎮座する喫茶店の中にいた」
と、感じていたのだった。
二人は、しばらく会話もなく、見つめあっているわけではなかったが、やっと我に返った森脇はその状況に委縮してしまったが、すぐに落ち着いて、
「どうやら、りえさんは、俺が何かを言ってくれるのを待っているかのようではないのかな?」
と感じた。
「今日は大変だったね。僕もこんなのは初めてだったので、ビックリしたよ」
というと、りえはその言葉を待っていたかのように、