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短編集100(過去作品)

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 今度気になったのは長さではない。黒さだった。
 夕凪の時間はすでに過ぎていた。これだけまわりが暗くては、影が見えるはずもないと思える時間であった。だが、足元から桜並木を中心としたあたりの地面は自分が感じているよりも明るく見えていた。夜桜見物で確かに照明に明かりがついてはいたが、これほどくっきりと影になって写るなど信じられない。
 福岡に引っ越してくるまでは、女性との出会いもないではなかった。
「どうして結婚しないんだい?」
 と同僚から言われても、答えようがなかった。だが、結婚というものに憧れる時期というのはあるもので、その時期を通り越せばどうでもよくなってしまうのは、男性にも女性にも言えることのようだ。
 同じことを里崎さんにも言われた。なんとも複雑な気分になったのは、身体を重ねた日より後、それまでとまったく変わりなく接してくれていたからだ。いつも気にかけてくれている雰囲気を感じ、姉の思い出を持ったまま、話をしていられる。安心感を一番与えてくれる女性だった。
 とはいえ、それなりに勝彦は他の女性とも付き合っていた。もちろん身体を重ねる関係であることに違いなく、誰が見ても普通のカップルである。
 だが、長続きはしない。
「あなたは私を抱きながら他の女性を見ているのよ」
 そんなつもりではなかったはずなのに、言われてみれば確かにその通り。だが、誰を思い浮かべているのかと言われればハッキリと名言できないでいた。
――姉なのか、里崎さんなのか。それとも――
 もう一人シルエットに浮かんで見えるのは、自分にとっての理想の女性なのかも知れない。それは姉でもなく、里崎さんでもない。だが、限りなく二人に近いシルエットであるという意識はあった。
 福岡に引っ越してきてそろそろ五年が経とうとしていた。里崎さんのイメージが次第に薄れていき、姉の面影もすっかり薄くなってしまった。
――熊本という土地を離れたからかな――
 住んでいたあたりに似た川沿いの遊歩道を見つけた時、なんとも言えず嬉しい気分になった勝彦だったが、桜の咲く季節に見つけたことが自分にとっての暗示を示していたように思えてならない。風が吹いて川面にひらひらと落ちる桜の花びら、それを見ていることで、忘れていた姉や、里崎さんの面影を思い出せそうに思えた。
 だが、それは錯覚だった。
 思い出そうとしても一度封印された思いはなかなか浮かんでくるものではない。
――それだけ歳を取ったということだろう――
 だが、川面に浮かぶ桜の花びらを見た時、まるで昨日まで熊本に住んでいたような気分になっていた。
 四十二歳という年齢をそれまでは意識したことがなかったが、桜の舞い散るのを見ていると、年齢を感じる。それまでもそうだった。なぜか桜の舞い散る時期になると、年齢を気にするようになっていた。
――春は出会いの季節――
 熊本にいる頃は出会いがあっても、それを新鮮と感じたことはなかったのに、福岡に出てきて、本当に出会いがなくなると、
――出会いって新鮮なんだな――
 と思うようになるなんて皮肉なものだ。
 桜並木を歩いていると、前から自転車で走ってくる女性がやたらと気になった。相手もこちらを気になるようなのだが、声を掛けてこようとはしない。
――同じように記憶はあるが、自信がないのかな――
 と感じ、女性から声を掛けさせるよりもと思い、思い切って声を掛けてみた。
「どこかでお会いしたことありましたっけ?」
 すると相手も待ちわびていたのか、不審な顔をすることもなく、最初から笑顔で、
「ええ、どこかでお会いしたことがあると思うんですよ」
 話を聞いてみると、熊本に住んでいたらしい。何と彼女は里崎さんの娘の玲子ではないか。
「ああ、勝彦さんですね」
 まさか名前で呼ばれるなど思ってもみなかったが、
「お母さんが、そう呼んでいたんです。お二人でそう呼び合っていたんじゃないですか?」
 確かに二人だけの時はそう呼び合っていた。それでも二人でいるようになってからすぐのことではない。名前で呼び合うようになったのはかなり経ってからで、しかも本当に短い間だけだった。
「お母さんは元気ですか?」
「ええ、再婚して今は東京にいます」
――再婚したのか――
 少し複雑な気持ちになったが、それも仕方がないことだ。娘も大きくなって、後は自分の幸せを考えてもいいはずである。複雑な気持ちになったのは、もっと他に理由があった。
 もちろん寂しさがこみ上げてこないわけではない。それよりも後ろめたさがあった。
 それは誰にかというと、目の前にいる娘の玲子にである。
 娘に黙っていたことではない。里崎さんと別れてから姉のことを思い出すようになると、本当の自分の好みの女性というのが分からなくなっていた。だが、その時になってハッキリと分かったのだ。
――私の好みの女性は娘の玲子だったんだ――
 玲子が勝彦のことをどう思っているか分からないが、桜の舞い散る季節、熊本と福岡の違いこそあれ、十数年と時を超え、偶然が重なっただけだとはどうしても思えない。そこには運命を感じざる終えないではないか。
「私、ずっと自分の理想の男性を追い求めていたので、この歳になるまで、生娘なんですのよ」
 生娘にしては何とも大胆な発言、しかし、それこそ彼女の性格で、一種の告白のようなものだと悟った。
「来週の今日、私の二十九歳の誕生日なんです。明日を運命の日にしたい……」
 と言われた時、勝彦は自分にとっての運命も感じていた。
――二人とも、まったく知らないところでお互いにこの十数年気持ちを捜し求めていたんだ――
 と感じた。
「私、勝彦さんに、父を見ているのかも知れませんね」
 と言っていたが、姉をずっとイメージしてきた勝彦には痛いほどその気持ちは分かる。
 待ちに待ったこの日、一週間が数十年に感じた。ずっと姉や里崎さんに対して後ろめたいと感じていた思いは、玲子に対しても同じだった。ただ、それに気付いていなかっただけだ。結婚などという形式にこだわった言葉など関係ない。お互いに気持ちを確かめ合うことが大切だ。
 川原を歩きながら胸の鼓動を抑えるようにしていたが、簡単に収まるものではない。二十九歳の誕生日、それは誰にとっても運命なのかも知れない。
 ただ、それを意識するかどうかということだけである……。

                (  完  )


作品名:短編集100(過去作品) 作家名:森本晃次