短編集100(過去作品)
勝彦はものぐさな人間ほど孤独ではないかと思っている。ただ、それを本人が自覚しているかどうかは別問題で、まわりの人のことを気遣う気持ちにはなっていないに違いない。
孤独だと思っていたのは、中学くらいの頃だった。まわりが集団を作る中、どうにも入っていけない雰囲気があり、自分が孤独だと思い込んでいた。
特に彼女を自慢しているような友達が眩しく見えて、自分が情けなく感じるのは、その頃に異性を意識し始めたからだろう。玲子を初めて見た時に感じたトキメキを思い出していたが、あの瞬間だけ、自分が中学時代に戻ったような気がしていたからだった。
今さら中学時代に戻りたいとは思わない。戻ったところでまたしても同じことを繰り返すと感じているからだ。
「人生、やり直せればいいんだけどな」
というやつがいるが、本当にやり直せるはずがないから言うのだろう。やり直せるとすれば、誰にも言わずに密かに自分の中でだけ楽しみたいからである。
姉が自殺してから、特に女性を見る目が変わってきたように思う。
――姉のような女性を慕いたい――
という気持ちにもなっていて、姉の優しさには大人の色香が感じられた。
勝彦が里崎さんと大人の関係になったのも、里崎さんの中に姉を見たからかも知れない。
もしあの時でなければ里崎さんに姉をダブらせることもなかった。姉と里崎さんでは顔も雰囲気も似ていない。ある意味正反対かも知れない。痩せ型だった姉に対して、里崎さんは、そろそろ中年を思わせる体型になってきているからだ。
自分も歳を取っているのだから、見る目が変わったのかも知れない。だが、根本的に好きなタイプの女性は変わっているわけではないので、里崎さんと大人の関係になるとすれば、それほどたくさんの機会に恵まれるはずもないだろう。
田舎に帰ることがあるとすれば、一番の理由は仏壇に手を合わせるためだといってもいいくらいで、親に会いたいという意識はない。姉が自殺したことに対してそれほど悲しみを表に出さなかった親に対して、勝彦は許せないと思っていた。
葬儀の時も毅然としていて、他人事とまでは行かないまでも、悲しみに咽ぶ親を想像していただけに、勝彦は余計に姉の死が悲しかった。
――どうして死んじゃったんだ――
誰かに悲しんでもらいたくて死んだわけではないのだろうが、それにしても悲しんでくれるはずの人が悲しんでいないのを見ると、どうにも姉が不憫で仕方がない。
――やっぱりおねえちゃんの味方は俺だけなんだ――
と感じることで親を遠ざけ、孤独な世界への憧れを密かに抱いていることになかなか気付かないでいた。
親の顔を見たくないと思うようになって、自分は孤独が似合うのではないかと思うようになっていた。孤独という言葉に寂しさを感じていたのは姉が死ぬまで、
――どうせ死んだって誰も悲しんでくれる人なんかいないんだ――
と思うと、孤独が悲しいことだとは思わない。なまじっか人との間に情を感じてしまうと悲しい結末を迎えた時に耐えられないと感じるようにもなっていた。
都会に出てきて特にそれを感じる。
近所付き合いなんてあるわけでもない。人のことを詮索しないのが都会で生きていく上で一番大切なことだと感じると、田舎での人付き合いが薄っぺらいものに見えて仕方がない。
――結局孤独でいたくないのなら、決まったことを決まったようにしていかないと暮らしていけないんだ――
そんな中で個性など生まれるはずもないだろう。学校で習った勉強よりも、先生の話していた、
「個性のある人間になってほしい」
という言葉だけが印象に残っている。その他大勢では我慢できない性格になっていた。
熊本で、本社からの帰宅はいつも川原を歩いていたが、転勤を言い渡されるのがなぜか分かったような気がしたのは川原のほとりを歩いている時だった。
「福岡支店に転勤なんだ。向こうで営業の欠員が出てね」
と、営業部長から言われた時、
――やっぱり――
と感じたのは気のせいだったのだろうか。
これも季節は桜の時期だ。確かにこの時期、転勤を言い渡されても仕方のない時期ではあるが、熊本本部を拠点に、熊本エリアのベテランになっていた勝彦を転勤というのは青天の霹靂に近いものがあった。
仕事を終えて、桜並木を歩いていると、いつもよりも少し暗かったにも関わらず、影がクッキリと見えていた。
ちょうど日が暮れかかっている夕凪の時間帯といっていいだろう。
夕凪の時間というのは、以前から不吉な予感がありながら、新鮮でもあった。風が吹かない時間帯、まわりがすべてモノクロに見えると言われる時間帯は事故が多発する時間としても有名だった。
「逢魔が時っていうらしいぜ」
という話を聞かされたことがあった。確かそれも姉からだったように思う。
「悪魔に出会う時間っていうことなの。昔から不吉な時間帯なんですって。この時間って昔は好きだったんだけど、その話を聞いてから怖くなったわね」
と話していたのは、短大から帰ってきた時、駅まで迎えに行って歩いて帰る時だった。それがまさしく夕凪の時間帯だったのである。
その時の姉の顔が、ずっとモノクロに見えていた。その少し前まで夕焼けに照らされていて、その残像が瞼の裏に残っていたからである。元々背が小さかった勝彦が姉の顔を見上げながら歩いていたのが原因だったに違いない。
その時に足元を見たのも覚えている。ずっと姉の顔ばかりを見上げていたが、夕凪の時間帯も過ぎ、次第にあたりが暗くなり始めると、今度は足元を見始めたのだ。
姉の足元から伸びる影と、自分の足元から伸びる影を漠然と見ていた。ゆっくりと足元から頭に掛けて見ていくと、
――あれ? 影の長さが違う――
明らかに自分の足元から伸びている影の方が、姉の足元から伸びている影よりも長く感じられた。
「姉さん、影、おかしくない?」
顔を上げることもできず、姉に向って影を見るように即すと、
「どこがおかしいっていうの?」
どうやら勝彦の言っていることが分かっていないようだ。
「影の長さ、明らかに姉さんよりも僕の方が長くない?」
「えっ?」
姉もビックリして、勝彦の方を振り返ることなく足元から伸びている影を見つめている。
「いやね、何言ってるの。姉さんの方が長いわよ。脅かさないでよ」
と言って、今度は勝彦の方を振り返って笑った。
「そんなことないだろう?」
勝彦は姉の表情を盗み見るように垣間見た。しっかりと見るのが怖かったのかも知れない。だが、そこにいるのはまさしくいつもの姉だった。垣間見ていたつもりでも、いつの間にか顔を姉の正面に向けて正対するようにしてみた。
そして、もう一度影を見てみた。
「あれ?」
今度はちゃんと影が姉の方が長いではないか。錯覚を見たのだろうか?
最初は信じられなかったが、
――やっぱり錯覚だったんだ――
と感じ、その時の気持ちは頭の奥に封印することにした。実際に思ったよりもスムーズに封印することができ、そのことを思い出したのは、今までで姉が死んだ時と、転勤を言い渡される前日に桜並木で影を見た時だけだった。
桜の木の根元から桜の影をゆっくりと見つめていた。
作品名:短編集100(過去作品) 作家名:森本晃次