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短編集100(過去作品)

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 という自責の念に駆られてジレンマに陥った。
 別に自分が悪いわけではない。自分の分からないところでの気持ちなので子供が悪びれる必要などさらさらありえない。だが、新山は母親にコンプレックスのようなものを感じていたに違いない。
 そういう意味では遠足は違う。何よりも知らないところに出かけていくということが新山には嬉しかった。自然にあふれたところだったり、さらなる都会だったりする。社会見学も遠足の一種だと考えれば、それはそれで楽しいものだ。
 遠足の時に作ってくれる母親の弁当はおいしかった。いつも家で食べる食事は静かな部屋で静かに食べるだけなので、時々息苦しさを感じる。キッチンが狭く感じたり、広く感じたり、気分しだいで広さが変わるというのも、新山の性格だろうか。いつも誰かににらまれているように思っているのは息苦しいものだ。
 母親は新山が中学に入るまで仕事をしていた。中学に入った頃に少し病気をして休職したが、そのまま退職となった。会社の事情というものも多分にあるだろうが、母親のような性格の人が一旦職場を離れて再度復帰しても長くは続かない。
――自分の居場所がいつまでも同じようにあると信じて疑わない性格だからだろうか――
 信念を持っている人は得てしてそういうところがあるかも知れない。人から慕われていると思い込んでいるということもあるだろうが、自分にとっての居場所を自分自身で築いてきたのだから、誰にも侵すことなどできないと思い込んでいるからである。
 新山が少食になったのを知る由もない母親が怒るのも無理はない。
 元々母親の育ちは貧しいところから始まっている。教師になったのも、奨学金を貰って勉強し、それを返すために働いていた時に父親に見初められたようだ。
 父親の家庭は裕福な家庭だった。おじいさんも教育者で、教育者家庭に育った父親はいわゆるサラブレッドと言える。だが、母親との結婚を反対されて家を飛び出したようだ。それでも幾分かの蓄えがあったことで、家庭は人並み以上の生活ができていたようだ。
 新山にはあまりそんな両親の苦労は分からない。なるべく子供に苦労を知られたくないという両親の配慮があるようで、それはありがたいことだった。だが、だからといって押し付けになるような教育には反発してきた。今でもその気持ちは変わらない。
 しかしさすがに教育者同士の両親に育てられた新山も、善悪のけじめはしっかりしている。しっかりしすぎていて、
「お前は融通の利かないところがあるからな」
 と友達から言われているくらいだった。
 新山が食事を残すと怒る理由は、
「せっかくお百姓さんが苦労して作ったものを」
 というもので、
――時代錯誤もはなはだしい――
 と思わずにはいられない。
――一体今をいつの時代だと思うんだ――
 頭の中では分かっているつもりだ。いつの時代であっても百章が頑張って作ったものだということを。しかし、それを口にして怒る理由にされるのが時代錯誤のようで嫌なのだ。
――本当に惨めになるじゃないか――
 これが本音である。
 それもトラウマになってしまった理由の一つかも知れない。
――精神的なトラウマ――
 トラウマというもの自体が精神的なものだが、形として説明できる腹痛とは違い、親からの説教は本人にとっても知らず知らずのうちに押し寄せてきているものなので、精神的な要素が強いと言えるであろう。
 そんなトラウマが消えたのは、新山が高校を卒業してからだ。
 その頃にはだいぶ母親の性格も丸くなっていた。それでも顔を見ると萎縮してしまい、あまり食がいけなかったが、大学に入って一人暮らしを始めると、急に食べるようになった。
 これほどの開放感があろうとは自分でも思っていなかった。一人暮らしを夢見たことは何度もあった。だが、反面怖さもある。ずっと両親のそばで過ごしてきて、急に一人暮らしを始めるということは、想像以上にいろいろなことを考えさせられた。
 新山の悪い癖として、いろいろなことを考えすぎるところにあった。そのせいで判断が遅れてしまって損をすることも多い。慎重になっているといえば聞こえはいいが、要するに判断力に欠けているだけなのかも知れない。そのことに気付き始めたのは、一人暮らしを始めてからだ。
 一人暮らしを始めたことだけが原因ではない。それよりも大学に入ったことで自分を見る目が一変したというのが真相ではないだろうか。大学というところ、高校までのように受身ではいけない場面がかなりある。融通が利かないとかなりやりにくいところでもある。
「大学に入ったんだから、あとは自由だ。自分の考えを正しいものとしてしっかり前を見ていればいいのさ。これからは俺たちの時間だと思えばいいんだよ」
 と言っている友達がいて、実に頼もしく思える。
 大学で一番最初に友達になった彼の名前は寺田という。寺田は一人暮らしをしている連中の中でもかなり遠くから受験してきたようだ。帰省する時も一日がかりになるというほどなので、そう簡単に家に帰ってみるというわけにも行かないらしい。
 性格的には天真爛漫を絵に描いたように見える。今まで新山のそばにはいなかったようなタイプだ。
 もちろん、自分もそんなタイプではない。きっと彼が高校時代もまわりにいなかったタイプではないだろうか。
「いやいや、俺だって大学に入ってから今の性格を表に出すようになっただけだよ。高校時代は地味なものだったよ」
 と言われて、ますます新山は彼に興味を持った。
――俺だって彼のようになれるはずだ――
 と思ったからだ。
 実際に彼のそばにいつもいた。彼が遊びに行くと言えばついていったものだ。人が見れば、
「まるで子分のようだな」
 という風に見えるかも知れないが、本人はそれでもいいと思っていた。自分の尊敬できる人であれば、一緒にいて楽しければ、それが子分のように見えたとしてもそれはそれで仕方がないことだと思うようになっていた。
 大学というところはそういう魔力のようなものがあるのかも知れない。
 開放的な雰囲気がキャンパスを包み込み、その中での自分を演出する。キャンパス内の空気の薄さは身体を軽やかにして、下手をすれば薄すぎる空気に息苦しさを感じるが、それは空気が濃すぎて重圧に耐えていた頃の高校時代までの自分よりもかなり楽である。気がつけば絶えず空腹感に襲われるようになっていた。
――こんな気持ち、今までにはなかったな――
 家からの仕送りは他の人よりも多かったかも知れない。
 新山の小さかった頃は倹約家だった両親も、すでに性格が丸くなっていた。父親も校長を歴任し、その後、教育委員会に進んだが、すでに年齢的なもので教育委員会の中でも穏健派のように目される人物になっていた。
 母親もそれにともない、遅まきながら近所づきあいもうまくいっているようで、ひょっとして元々二人とも開放的な性格の持ち主だったのではないかと思うようになっていた。
――何とか他の人に負けないような生活をしなければならない――
作品名:短編集100(過去作品) 作家名:森本晃次