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短編集100(過去作品)

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 それならばもっと前で観戦すればいいのだろうが、しないということは、それだけ人が近くにいると嫌なタイプの女性ではないだろうか。矢島にも以前から似たようなところがあるので、気持ちは分かるような気がする。
――近づけばどんな反応を示すだろう――
 まわりの誰も彼女を気にする人はいない。一人で見に来ている人はほとんどいないからだろう。一人で見に来ていても彼女を見ていれば話しかけられる雰囲気ではないことは分かるはずなので、見て見ぬふりをしているに違いない。
 矢島も話しかけることをせずに、彼女を観察してみた。
 膝の上にスケッチブックのようなものを置いて何かを書いているが、それがスコアブックであることはすぐに分かった。もちろん最近まで興味のなかった野球なので、スコアブックのつけ方など分かるはずもないが、それだけに真剣な目つきが凛々しく見える。
 最初に敦子と知り合った時は、物静かな雰囲気に惹かれたが、今では少し変わってきていた。少し気が強そうで、真剣な雰囲気を持っている感じがしたからだ。それと同じ雰囲気を今、後ろでスコアをつけている女性に感じる。
 スコアブックをつけている女性、最初は目立たない雰囲気に見えた。それは、本人が他の人から離れて見ていたからだ。だが、スコアブックをつけている女性というのはそれほどいるわけではないので、気になってしまうとこれほど気になることはない。本人が意識して気配を消そうとしても、どこまで消せるか分かったものではないと思うのだが、それが彼女にはできているのではないかと思える。
 弱小球団を応援するくらいなので、地元が仙台の人であるか、それとも好きな選手がいるか、それ以外では思いつかない。後は矢島のような物好きくらいであろうか。
――物好き――
 矢島がこの弱小球団に興味を持ったのは、物好きからだということをそれまでに意識したことはなかった。「判官びいき」という意識はあっても、それが他の人から見れば物好きだと思われてしまうことを無理に意識しなかっただけなのかも知れない。
 敦子とは一緒にいても、どこか自分とは違う雰囲気を感じていた。
――こんな雰囲気の女性と知り合いたかった――
 敦子と知り合った時に感じたことだった。だが、それが自分の本当の気持ちだったかどうか、今では分からない。
 彼女の表情が一瞬驚きに変わった。ふとグラウンドを見ると、ライナーズの選手がホームランを打っていた。劣勢だったライナーズが攻勢に転じ、一気に逆点した瞬間だった。
 彼女の表情は一瞬喜びに満ちた驚きだったが、すぐに無表情に変わった。
――大人の顔だ――
 妖艶な雰囲気を感じさせるその顔に一気に引き込まれてしまいそうな気分になった。それは敦子にはない表情である。
 試合が進むにつれて彼女の表情をじっくりと見ていた。試合は結局善戦及ばずにライナーズの負けだった。
「何やってんだ。ちくしょう」
 と、ファンはレフトスタンドからはメガホンなどが投げ込まれる。ファンとしてはやってはいけない行為だと思いながら、
――気持ちは分からなくもない――
 と同情的にも見える。
 スコアをつけていた彼女はやはり無表情で立ち上がると、グラウンドを見渡すようにしながら球場を後にする。最後まで分かりにくいタイプの女性である。いわゆる
――得体の知れない女性――
 という表現がピッタリだろう。
 帰り道、彼女のことを思い出そうとして歩いていたが、今度は思い出すのは敦子のことばかりだ。球場で彼女を見ていると、敦子がまるでミーハーのような軽い女性に見えていたのを思い出したが、球場を離れるとまったく違う。
 その日敦子が恋しくて仕方がなくなり、敦子に連絡を取った。
「どうしたの? 一体」
 すぐに出てきてくれた敦子の顔には上気したものがあった。きっと矢島の目が血走っていたのかも知れない。
「あなたが、ほしいんだ」
 いきなりこんな表現をして、普通なら引っ叩かれても仕方がないだろう。だが、その時の矢島は、敦子の表情に引き込まれていたのか、気持ちをぶつけずにはいられなかった。
「いいわよ」
 静かに矢島の気持ちを察してくれた。
 その日、お互いに貪るように相手を求め合った。きっと敦子も気持ちを高ぶらせていたのだろう。だが、それがその日でなければいけなかったことを次の日になって知った。
 敦子の部屋に泊まった矢島だが、朝起きて何事もなかったように朝食を作る敦子の後ろ姿を見て、
――このまま恋人になれるという感じがしないな――
 と思った。
「昨夜のことはお互いに思い出にしましょう」
 と言われた時も、
「そうだね」
 と言い返しただけだった。
 だが、次第に敦子への気持ちが深まってくるのを感じていたのは、頭の中にライナーズのスコアをつけていた女性が敦子にダブって思い出されるからだ。
 敦子とはそれからも、一緒に野球を見に行く仲ではあったが、スコアをつけていた女性の面影を彼女の横顔に見ていた。それでもあの日敦子を愛した気分には程遠いものだったのはなぜなのだろう。
 相変わらず静かに野球を見つめている二人、シーズンも大詰め、今年最後の野球観戦になるであろうと思ったその日、矢島の頭からスコアをつけていた女性の面影は消えていた。
 時間が過ぎたから消えたのではない。完全に敦子と同化してしまった感覚だ。
――やはり敦子は自分にとってなくてはならない存在だ――
 と感じると、もう一つの世界が開けたような気がしてきた。
「優勝です、優勝。信じられない光景が目の前に広がっています。歓喜の輪の中で宙に浮く川崎監督を誰が想像したでしょう。何よりもファンが驚いているかも知れません……」
 川崎監督、それはライナーズの監督である。
 そのテレビ中継を、矢島と敦子は真っ暗になった矢島の部屋のベッドの中で抱き合いながら見つめていた。
 テレビの明るさに写った二人の顔は無表情で、この世のものとは言えないほど、不気味なものだった……。

                (  完  )


作品名:短編集100(過去作品) 作家名:森本晃次