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正悪の生殺与奪

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。途中の小説の説明部分で、どこかで聞いたことのあるようなお話だとお思いになるかも知れませんが、「皆さん、よくミステリーをお読みですね」ということで、了承ください。あしからずです。

                留美子との出会い

「世の中には、善悪という言葉はあるが、正悪という言葉はあまり使わない。なぜなのだろうか?」
 公務員なる職業と聞くと、
「定時から定時までの楽なお仕事」
 というイメージが強いかも知れない。
 特に年を重ねるにしたがって、そういうイメージを持っている人が多いカモ知れないが、それもピンからキリで、昔から言われる、
「お役所仕事」
 などと言われるところは本当に楽なのかも知れないが、国家公務員であったり、警察などは、そんなことを言っていられないほど多忙だったりする。
 これは、どの商売においても言えることなのかも知れないが、一口に
「公務員」
 という言葉で一括りにされるというのは、どうにも腹の虫がおさまらないと思っている人も少なくないだろう。だが、やはり公務員というと、
「安定していて、楽な仕事」
 というイメージが強いのか、困ったものだ。
 公務員というだけで、いろいろな制限があるにも関わらず、そんな偏見の目で見られるというのは、本当に心外だと思っている人も結構いるに違いない。
 警察官などの中に、どれだけそう思っている人がいるのかまでは分からないが、世間とは隔絶された世界であることに間違いはなく、その分、偏見に見られるのも仕方のないことだろう。中には横柄な景観もいたりして、警察の品位にも関わることであり、しかも警察官の不祥事も後を絶たない。
 前の日に、どこかの署で、署長を始め、役員クラスが記者会見を開き、フラッシュが焚かれる中で礼儀正しい姿勢で、深々と頭を下げている姿をテレビで見たばかりなのに、まるで、
「デジャブを見ているのか?」
 と思うように、その日もまるで恒例になったかのように、フラッシュの中で頭を下げている警察官がいる。
「あの制服を見ると、頭を下げているイメージしか浮かんでこないよな」
 と、世間の若者などは、そう皮肉って揶揄しているが、まさにその通りである。
 警察官のトップが頭を下げている姿まで連鎖反応を起こしていると思うと、実際の現場の警官たちにとっては、何ともやり切れない気持ちにさせられるというものだ。
 しかし、実際にそんなトップの行動が非難されるような、嘆かわしい状態になっていようがどうしようが、犯罪というのは待ってくれるものではない。毎日どこかで事件が起こり、発生した事件への捜査に、現場の警官は真剣に向き合って、市民のために奮闘してくれているではないか。
 刑事ドラマなどでは、警察官が恰好よく事件を解決している姿が見られ、それこそ、一時間や二時間の枠で解決されている。
「時代劇みたいだ」
 時代劇などでは、放送開始の四十分すぎくらいになると、印籠を出すにいちゃんの後ろにいる白髪の老人や、おしらすで肩を出して、もろ肌を見せて、その桜吹雪で悪人をギャフンと言わせるという、いわゆる、
「痛快時代劇」
 と呼ばれるものがひと昔前であれば、ゴールデンタイムで放送されていたのだろうが、最近では見なくなってから久しい。
 さらに刑事ドラマでも、二時間サスペンスのような番組も実際には減ってきている。
 一時期は、曜日ごとに放送局を変えて、週に半分くらいは二時間サスペンスをやっていたのに、今ではレギュラーはほとんどなく、時々忘れた頃に新作を放送するくらいだ。
 再放送は、昼間の時間帯にしているが、どれほどの視聴率なのか分かったものでもない。下手をすると、
「同じサスペンスの話を、半年前にも見たような気がする」
 と思うほどの乱発ぶりに思えて、ここ十年くらいでテレビというものの価値自体が変わってきたのではないかと思うほどである。
 その最たる例がゴールデンタイムだと言ってもいいだろう。
 最近のテレビは、ゴールデンタイムで一番変わったといえば、ナイター中継がなくなったことくらいであろうか。昔から午後七時くらいから九時くらいまで野球中継が必ずと言っていいほどあった。それもまだ野球というものが、男性ファンや一部の女性ファンくらいしかいなかった時代からの賜物だった。
 そのせいもあってか、いつもテレビ中継されるのは、
「球界の盟主」
 などと言われてマスコミから贔屓されているあの球団で、ファンというと、
「野球を知らない、女子供か、田舎者」
 と言われていた、あの球団である。
 どうしても、九時までの放送と言っても、野球ファンがちょうどいいところで切られてはたまらないと延長をいうと、九時からのドラマを楽しみにしている女性ファンからは、
「野球のせいで、時間が繰り下がった」
 として、生活のリズムが狂うことにクレームを入れられたものだ。
 スポンサーとしては、中を取って、
「最大延長三十分」
 などという姑息な方法を用いていたが、それで試合終了まで放送するわけでもない。
 ただ、それもここ十何年かくらい前までで、それ以降、ほとんどゴールデンタイムで野球中継をすることはなくなった。その分、バラエティが増えたのだが、正直、視聴率という意味ではどうなのだろう?
 だが、なぜ野球中継がゴールデンタイムから消えたのか? その理由は、有料放送の普及にある。
 ケーブルテレビを始めとして、有料の衛星放送が、それぞれのジャンルで確立されて、それが主流になってきたのだ。
 有料だから、スポンサーはあっても、無料の民放とは違って、お金を出してくれる視聴者がスポンサーも兼ねていると言ってもいいだろう。だから、
「視聴者様は神様」
 という形での放送になる。
 そうなると、野球中継などでも、スポーツ専門チャンネルがいくつもできて、自分のひいきチームを徹底的に贔屓してくれる放送になっている。有料で見るのだから、好きなチームのチャンネルを選ぶのは当たり前だ。そして、触れ込みとしては、
「ホームゲームの全試合、試合開始前から、試合終了の後迄放送します」
 という宣伝である。
 試合開始前というと、普段は見ることのできない試合前の連中風景であり、試合後というと、ヒーローインタビューはもちろん、勝利の際の球場イベント迄、漏らさずに放送するのだ。ファンとして見れば至れり尽くせり、有料でも気兼ねなく見れるので、嬉しい限りである、
 野球以外の専門チャンネルも充実している。
 映画にドラマ、音楽から、娯楽まで、ずっとそんな放送をしてくれるので、安心だ。
 見逃しても、一週間に何度か再放送があったりするので、見逃す心配もあまりない。
 そんな有料放送が増えてきたことで、民放離れも進んでくる。コマーシャルばかりの民放を見る気にもなれないからだ。
作品名:正悪の生殺与奪 作家名:森本晃次