短編集99(過去作品)
他のポジションでも野球が続けられればいいという人もいるかも知れない。野球はチームプレイだから。しかし、達男の中ではチームプレイとは思っていない。あくまで投手は主役で、主役ができないのであれば、野球をやっていく必要もないと考えているのだ。
必死に勉強に打ち込んだ。何とか専門学校に入学できるほどの学力を身につけることができ、高校卒業後はコンピュータ関係の大学に入学していた。大学といってもそれほど大きくない専門学校の延長のようなところで、達男にとってはそれくらいの規模の大学がちょうどよかった。
それも相良先生との出会いがなければ実現しなかったことかも知れない。
短気ですぐに自分を追い詰める考え方になる達男にとって、相良先生の考え方は、まさに青天の霹靂である。冷静でいられない時には忘れていることが多いが、考えてみればすぐに冷静さを取り戻すことができるのも、冷静さを失っていても、頭の中のどこかに相良先生の考えに傾倒している自分がいるので、元に戻るのが早いのかも知れない。
相良先生の考えすべてを受け入れられるわけではないが、冷静さを欠いている時にこそ思い浮かんでくる考え方というのもあるもので、その考えが冷静さを失った頭に、徐々に余裕を取り戻させているに違いない。
勉強は面白かった。何よりも物を作ることが好きな達男には、プログラム作成という勉強は、楽しくて仕方がなかった。自分で設計して自分で組んで、そして完成したプログラムが設計どおりに動けば、これほどの快感はない。野球をやっていて感じた快感とは一味違った感動を身体全体で感じていた。
ここではチームプレイもない。自分だけの考えで自分の思い通りのものを作る。課題はあっても、過程は自由なのだ。
ちょうどその頃できた友達がいた。彼は専門学校に入ってきたはいいが、どちらかというと目標を持っているわけではなく、成績もそれほどよくなかった。だが、どこか憎めないところがあり、
――どこが気に入ったのだろう――
普通なら付き合うような相手ではないのに、憎めないだけではない。その証拠に彼は友達を作るのが得意だったのだ。
駅から学校までの道ですれ違う学生ほとんどすべてが彼と挨拶を交わしているように思えるくらいだ。驚いたのは、そのすべての人に彼は挨拶を返している。実に几帳面な性格である。几帳面という言葉だけで片付けられないほど律儀だと言ってもいい。そこが彼の一番の魅力ではないだろうか。
彼は名前を聡という。なぜ聡が人気があるのか最初は分からなかったが、それが逆に気になる存在にさせられた。
特に女性から人気がある。その秘密がどこにあるのか分からなかった。分からないだけに一時たりとも目が離せないように思えてくるのだった。
よく見ていると、彼には気負いのようなものがあまり感じられない。ぎすぎすしているわけではなく、落ち着いているわけでもない。とらえどころがないとも言える。
だが、そこが神秘的ではないだろうか。男の達男から見てそうなのだから、女性から見れば余計に神秘的に見えるはずである。
聡が女性と二人で話をしているところをあまり見たことがない。よく見るのは、聡が複数の女性と話をしているところだ。話の内容までは分からないが、皆楽しそうな顔をしている。
――女性と二人きりで話をする時は、どんな表情をしているんだろう――
お互いに見つめ合って、会話がないように思える。複数で話しているのを見ている反動のようにさえ思えるくらいだ。
聡と付き合っているおかげで女性と知り合う機会も増え、ようやく彼女と呼べる人も現われた。お互いに異性と付き合うのは初めてで、初々しさが何とも言えず、その日を境に人生が変わってしまったのではないかと思えるほどになった。
きっかけは、聡が美代子と親しく間、名前を呼んでいたので聞いてみると、
「中学時代の同級生だったんだ」
という話を聞いて、急に興味を持った。聡の知り合いの中ではあまり目立たないタイプだが、それだけに聡と親しく話している美代子を見ていると自分も話をしてみたいと思うようになっていた。
雨の日に傘を忘れてきて、駅のコンコースで立ち往生をしていた達男の後ろからさりげなく傘を差しかけてくれたのが美代子だった。ニッコリと微笑んでいて、その表情はまさしく困っている子供を後ろから助けてくれようとしている母親の顔を思い起こさせた。
高校、大学時代など、なかなか母親の顔をまともに見るのが恥ずかしい年頃だったので、記憶にあるのは小さい頃の記憶だけだった。それだけに新鮮で、その表情を見た時、胸に去来した想いは後から思い出そうとしても、完全に思い出すことができないほど大きなものだった。
次の日に傘のお礼にと、喫茶店に誘った。自分の知っている喫茶店でも一番シックな喫茶店を選んだのは、きっと美代子なら喜んでくれるのではないかという予感があったからである。もし、違う女性であれば、ここまでシックな喫茶店を選ぶことはなかったに違いない。
地下への狭い階段を降り、真っ黒い扉を開けると、そこはカウンターを中心に黒を基調とした店内の光景が飛び込んでくる。
「まるでバーのような雰囲気ですね」
「ええ、夜にはバーに変わるんです。でも昼間は喫茶店もやっていて、一人で本を読んだり、ゆっくりしたい時に来ることが多いですね。でも。本を読んでいるとすぐに眠たくなってしまうんですけどね」
照れ笑いを浮かべながら話すと、
「ええ、そうなんですよね。私も本を読むとすぐに眠くなってしまうんです。よく話には聞いていたんですが、本当は自分だけじゃないかって心配になることもあったんですよ。でも、同じように眠くなる人がいたんですね。よかったですわ」
思いのほか、感動してくれた。話題に乗ってきやすいタイプの女性なのだろう。それだけでも達男は嬉しくなった。
お互いに異性と付き合うのが初めてだなんて意識はあまりなかった。それよりもお互いにもっと前から知り合いだったような気持ちになったのは、違和感がなかったからだろう。話題にした内容が二、三日続くということも稀ではなく、話題には事欠かなかった。
今まで友達と、ずっと一緒にいてもあまり飽きることのなかった達男だったが、果たして、相手が女性であればどうか分からなかった。
元々達男は、誰かと一緒にいても、自分から話題を提供したり、主導権を握ることのないタイプだった。友達の趣味に一日中付き合うことも何度もあったし、釣りなどは一緒にしていたが、パチンコなどはしないのに、四時間も五時間も隣でじっと見ていて飽きないくらいだった。
「お前は気が長いのか?」
と言われるが、
「そんなことはないさ、逆に短気なくらいだよ」
「そういえば、釣りが好きな人には短気な人が多いっていうよな」
「そうなのか?」
「ああ、何を根拠にいうのか分からないが、そういう話を聞いたことがある」
友達のその話がやけに頭に残っていた。確かに達男は気が長い方ではなく、すぐにイライラし始める方だが、すぐに飽きる方ではない。それは食べ物を考えれば自分でも納得の行くことだった。
作品名:短編集99(過去作品) 作家名:森本晃次