短編集99(過去作品)
――いよいよこれからが俺の時期だ――
夏の予選が間近に迫ってくる。嫌が上にも緊張感と身体の躍動感がこみ上げてきて、それがやる気に繋がってくる。心地よい緊張感に包まれながら浴びる太陽の光は、自分の中の悪いところをすべて汗として流し出しているように感じていた。
汗を流すたびに身体が軽くなってくる。これは中学時代から変わっていないことで、
――なんだ、高校になったといっても、別に意識する必要なんてないじゃないか――
まわりは中学時代にないほど注目していたが、本人はいたって冷静にその視線を感じていた。
中学時代と違い、高校野球には甲子園という明確な目標がある。
「甲子園に出るなんてことになれば、学校の名誉だからな」
と校長を始め、先生たちやさらには親たちは騒いでいる。見ているとバカバカしくなってくるが、自分には関係ない。
「がんばってくれよ」
と肩を叩かれ励まされて、
「はい、頑張ります」
と答えているが、あくまでも社交辞令、心の中では、
――お前たちのために頑張るんじゃないさ――
と信じるのは自分の実力だけだった。そして自分の実力だけが絶対で、ウソをつかないことを知っている。しかもその実力を一番知っていて、信じられるのも自分だけだということである。
野球というのは、チームプレー、そんなことは百も承知だった。だが、元々ピッチャーなどを志すだけあって、自分が一番であることを信じて疑わない自分がいることを感じながら野球をしてきた。
――自分を一番だと思えなくなったら、その時こそ野球をやめる時だな――
というくらいに感じている。実に潔い考えではないか。
予選の日程が決まってくると、自分の中で勝手に青写真ができてくる。
――これなら、準決勝くらいまでは安全パイだ――
もちろん、自分の実力を分かっているから考えられることだった。
実際に、予想通り準決勝くらいまでは、それほど苦もなく勝ち進むことができた。もちろん、運がよかったこともあっただろう。しかし、実力が普通に発揮できればそこから導き出される結果はおのずと知れていた。
――こんなものさ――
さすがに準決勝の相手はそれまでのように簡単ではなかった。自分にとって嫌なことを平気でやってくる。競合になればなるほど相手の嫌がることをするもので、当たり前と言えば当たり前だった。
チームはある程度達男のワンマンチーム。相手は決して達男を狙ってこない。準決勝までに当たったチームは、
「打倒エース」
をスローガンにしていたに違いない。あくまで正攻法で立ち向かってきた。そういうチームとは組みしやすく、力と力では完全に実力が上の方が、当然勝ち進む可能性は高い。
だが、相手も勝ち進んでくるチーム。今まで正攻法だけで勝ち進んできたわけではない。相手のウイークポイントをつく作戦は正攻法とは違うが、立派な戦術である。ワンマンチームには得てして向かない作戦かも知れないが、チームワークで徹底した作戦に出られると、これほどいやらしいものはない。
最初は内野ばかりを集中して狙ってきた。ゴロを転がす指示が出ていたようだ。さすがに、最初の回は凡打の山を築いていて、それを達男も自分の実力だと思い満足していたのだ。
だが、それが相手の作戦だったことに気付いた頃には、塁が埋まっていた。お世辞にも鉄壁とは言えない内野陣である。相手の執拗な作戦に、根負けしてしまった。
自信のない者には、一度ミスを起こすと、再度同じ状況に置かれれば、それまで少しはあった自信が崩壊し、一度エラーをしてしまえば、
「球が飛んでこないことを祈るだけだ」
というネガティブな考えに陥ってしまう。そこが相手の狙い目だった。
エラーを誘うことが相手の狙いだと思っていたが、実はそうではなかった。相手の最終的なターゲットはあくまでも達男だったのだ。
達男はそれほど気の長い方ではない。むしろ短気なほどだ。まわりでエラーをされて、平常心でいられるような人格者ではなかった。表情はあくまで、
「どんまい、どんまい」
とエラーをした連中をかばっているような仕草をしているが、それも、
――俺のせいじゃないんだ。余裕のあるってところを見せておかないとな――
と思いながらも、ここで抑えれば、俺はあいつらに貸しができるとまで思っていた。
だが、目の前でエラーをいくつもされると、さすがに平常心ではいられなくなる。自分に対しての自信がある時はまだいいのだが、さすがに塁が埋まると気持ちの余裕が少しずつなくなってくるのを感じていた。
そこが相手の狙いである。
それが分かってきているのか、相手のベンチを見ていると、皆が笑っているのが見えた。その視線のすべてが達男に集中している。当然と言えば当然なのだが、達男にしてみれば、被害妄想がものすごい勢いで自分に襲い掛かっていた。そのことはなかなか気付かないものだ。
相手の笑顔が自分を追い詰めている。被虐的な思いに萎縮してしまう。
相手のベンチが気になって仕方がない。野球名門校なら、監督などがそのあたりを察してくれて一度タイムを取って、気を取り直してもらえるものなのだろうが、そこまで気が利くチームではない。
気がつけばベース上にいたランナーはすべていなくなっていて、スコアボードに点数が入っていた。満塁ホームランを食らっていたのである。
ホームランを打たれるなど初めてだった。相手のベンチは狂喜乱舞。もはや、達男を見て笑っている人など誰もいない。自分たちの作戦がうまく行ったことを素直に喜んでいるのだ。
――しまった――
思わず握り締めたロージンバッグをマウンドに叩きつける。
――別に追い詰められていたわけじゃかったんだ。何て情けない――
冷静さを取り戻して考えてみるが、何が起こったのか、思い出せない。それだけ冷静さを欠いた中で、思わず投げてしまった一球だったのだろう。
だが、取られた得点はそれだけだった。冷静さを取り戻してからは一人のランナーも出していない。我ながら立ち直りは早い方のようだ。
しかし、結局はそのイニングの得点だけで負けてしまった。相手の完全な作戦勝ちだった。
後で相手の監督のインタビューを聞かされた。
「相手投手からはなかなか得点をするチャンスはないと思っていました。相手の一瞬の隙をつくという作戦で今までうちは勝ってきたので、今日も同じような気持ちで戦えと選手には指示をしていましたが、うまく機能できてよかったです」
という内容だった。
この言葉で二つのことを感じた。
――相手は、自分がどこかに隙ができることを知っていて、自分を攻撃するよりもまわりから攻めることで、精神的に錯乱させようとしていたこと――
さらには、
――錯乱しても、すぐに立ち直ることができるということ――
が分かっていたのだ。達男にとって、いいところと悪いところを両方分析した結果である。
高校三年生になる前に野球をやめた。肩に違和感を感じ、病院に行くと、野球を続けられないことはないが、投手としては難しいということだった。
――投手ができないくらいなら――
作品名:短編集99(過去作品) 作家名:森本晃次