短編集99(過去作品)
ビジネスホテルには夕食がついていないので、近くの居酒屋で晩酌がてら夕食を摂る。家にいる時、晩酌などはしたことがない。あまりお酒を呑むのは好きではなかったからで、特に一人で呑むというのは頭の中で想像もつかなかった。
だが、さすがに開放感に満ち溢れていたこともあって、居酒屋の暖簾をくぐるのに、違和感はなかった。
ほろ酔い気分でよかったので、まだ呑めるかと思ったところでやめておいた。意識はしっかりしている。
ホテルに戻ってくると、静かな部屋の中で、耳鳴りが聞こえてきた。酔っていないつもりでも、着実にアルコールは回っているのだ。
「ドックンドックン」
ハッキリと耳鳴りの中で胸の鼓動が響いている。もしテレビをついていたとしても、すべてが、耳鳴りと胸の鼓動の中に消えていくような気がしていた。きっと遠くで幻のように聞こえているような感じになるのだろう。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。何となく隣の部屋から物音が響いてくるのが気になり始めた。
「ドタン、ガタン」
規則的に響いてくるので、却って気になる。
思わず聞き耳を立てている自分に気付く。酔いが回っているせいか、身体を動かそうとする気力は失せていた。
しばらくすると、物音は無くなっていた。そのかわり、すすり泣くような声が聞こえてくるが、それが何なのか、最初は分からなかった。
分からなくて当たり前である。まるで絞め殺されているのではないかと思えて怖くなってきたからである。時々、糸を引くような声が響いてきたので、それが女性の声であると気付いたのだが、一瞬だけ女性の声だと感じ、自分の中で熱くこみ上げてくるものを感じた。
――何が行われているのだろう――
分かっているつもりだったが、ここはビジネスホテル。最初は想像もつかなかった。思わず壁に耳を押し当ててみた。
「あ、ああ」
まさしく女性の声だ。男性の声もそれに混じり聞こえてくる。我を忘れて聞き入っている自分の存在をその時だけはまったく意識しなかった。全神経は完全に壁に張り付いている耳に集中していたからだ。
後から考えてみると、あれはテレビだったのだ。有線放送のテレビ、いわゆるアダルトチャンネルを隣の男性が見ていただけだったのだが、見えないことの想像力というものを嫌でも思い知らされた瞬間だった。
たった一瞬聞こえた女性のあの声、それがなければ、きっと無視していたかも知れない。その声を聞いてしまったために、たとえビデオであっても、耳という身体の一部に全神経を集中させる快感がどのようなものかを発見してしまったのだ。酔いがなければそれもなかっただろう。すべてが偶然の上に成り立ってしまった。
それこそがハプニングと言えるだろう。これほどのハプニングを隆文は今までに感じたことはない。合コンに出かけても、確かに綺麗な女性が目の前に鎮座しているのでドキドキはするが、ハプニングほどの興奮を得られることはない。分かっているつもりなのに、どこかでハプニングを求めている自分がいるのも事実だ。
したがって、合コンに出席すると一番冷めているのは、隆文なのかも知れない。他の連中は、当然のごとく女性を見る目はギラギラしたものがあるに違いない。もっとも女性の方にもそんな視線を待ち望んでいる人もいるようで、それなりにカップルが出来上がっている。普通なら隆文のように最初から冷めている男に、見向きもしない女性が多いのだろうが、必ずしもそうとは言えない。終わってみれば、隆文に興味を持つ女性が必ず一人はいるというのも面白いものだ。
それが分かっているから、面白くて隆文も出席する。
隆文はそれほど積極的ではない。話をするきっかけを自分から作ることはないが、気がつけばいつも女性がそばにいる。ある意味役得なところがある。
あまり賑やかな女性は好きではない。静かにそばにいて、時々話をしてくれるくらいの人がいい。相手が静かであれば、自分から話題を振るタイプの隆文には、静かな女性ばかりが集まってくる。
相手が賑やかな女性であれば、隆文は寡黙になる。相手に合わせて性格が変わるのが隆文の特徴でもある。
最初は静かな女性というのは、ただ人見知りするだけの女性が多い。すぐに話題を振ると乗ってくる女性ばかりである。かといって、最初から賑やかな女性とは一味違っているのは分かっていて、会話の中に恥じらいが見えているのが最大の特徴ではないだろうか。
――恥じらいを感じさせる女性に、大人の雰囲気を感じるんだ――
と思っているが、会話をしていて、そのことをいつも思い知らされる。
知り合うまでは積極的ではなかった隆文も、恥じらいのある女性と知り合うと、積極的になる。だが、それも最初だけで、相手が会話の主導権を握ると、積極性は次第に薄れてくる。
別に嫌いになるわけではないのだが、なかなかその理由が分からなかった。実に不思議な性格だと思っていた。
「お前、女が嫌いなのか?」
と冗談まじりに言われたことがあったが、
「そ、そんなことあるわけないじゃないか」
と必死になって言い訳をしたが、相手から言わせれば、
「何もそんなにむきになることないじゃないか。却っておかしいぞ」
と言われかねない。自分でも何をそんなにむきになる必要があるのか、冷静に考えればおかしなことだ。
一時期、隆文が男色ではないかなどという、よからぬ噂が立った。
――何とも恥ずかしい噂だ――
女嫌いという話が嵩じて男色ということになったらしいが、むきになって否定したことが余計に噂を捻じ曲げてしまったようだ。
それまで、人から素晴らしい人間であるとまでは思われていないだろうとは感じていたが、悪いイメージをもたれている意識はまったくなかった。元々悪いイメージを持たれたくないために賑やかな輪の中に入って行かなかった。
集団意識が嫌いだというのは、集団の中に入って埋もれてしまうのが嫌だというのもあるが、下手に目立とうとすると、
――出る杭は打たれる――
のたとえのように、悪しき噂を流されることに警戒感を示していたのだ。
確かに隆文は最近、自分がノーマルでは我慢できない性格になりつつあることに懸念を示している。その理由は以前ビジネスホテルで偶然聞いてしまった隣の部屋から漏れてくる悩ましい声、テレビから聞こえるアダルト番組だったとはいえ、耳に全神経を集中させて、想像力を豊かにしたあの時のことを思い出すと、女性というものを見る目が少しずつ変わってきている自分に気付く。
普段、話をしている分にはさほど影響はないのだが、身体を重ねる仲になってくると、積極性がなくなってきている。
――飽きてしまうのかな――
飽きるということがどういうことなのかを考えてしまう。
単純に会話をしていて、話題に詰まってしまうことで相手との限界を感じること。これは飽きるということとは違っているだろう。
会話が噛み合わなくなってくるのは、元々の性格に不一致があるのか、それとも趣味趣向が違っていることを示しているので、飽きるというのとは意味が違う。
作品名:短編集99(過去作品) 作家名:森本晃次