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短編集99(過去作品)

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子供の頃への思い



                子供の頃への思い


 自分が寂しがり屋だということに気付いたのは、人と話をしていて無意識に声が大きくなることを知ってからだった。隆文にとって会話の楽しさがどんなものであるか分かっていないが、喉がカラカラに渇いて咳き込むようになってまで話をするようになったのは、きっと寂しさから逃れたいという無意識の思いがあるからだろう。
「何でもいいから自分を持てるようにならないといけない」
 高校の先生の話だった。さらに、
「ウソでもいいから自信を持つことだ」
 という話をしていたのは、就職した会社での入社式で講師を務めた先輩営業マンだった。
 自分に自信を持つことが生活していくうえで一番大切なことだと隆文が感じたのも当然と言えよう。
 暗示に掛かりやすいタイプでもある隆文は、その言葉がずっと頭から離れず、自信を持てる何かを探し続けている。それが錯覚だと気付けば、最初は放心状態になっているが、また違う自信の探求に意欲を燃やしたものだった。
――あの頃は若かったな――
 まだまだ老け込む歳ではないが、自分にウソをつけなくなったと苦笑いしている自分に気付くが、性格的におとなしくなったのかも知れない。
 人と話をするのが嫌いではなかったが、すぐについていけなくなる。人の話に逆らえない性格だからである。
――皆、俺よりもえらいんだ――
 などと思い、少しでも自分より経験豊富な人の話を聞いているだけで萎縮してしまっていた。
 ただ萎縮しているだけではつまらない。雑学の本を読むことを趣味にして、呑みに行った時に、その話をすればかなり皆の目を引き付けることができるだろうと思っていた。実際に居酒屋などで知り合った人に話をしたこともあり、そんな時に有頂天で話す自分を想像しているだけで楽しかった。
 有頂天というのがこれほど気持ちいいものだとは、それまで感じたこともなかった。元々、人が目の前で賞をもらったりするのを見ているのが嫌で嫌でたまらない性格だった隆文は、
――いずれ俺も――
 と思うようになった。
 高校時代、同級生がインターハイで日本一になり、凱旋してきたが、まわりの皆はまるで自分のことのように賞賛し、喜びを分かち合っている。狂喜乱舞の中、主人公は颯爽としていて、全体を見ていれば実に気持ちのいいものに違いない。
 だが、隆文はそんな気持ちにはなれない。
――どうして皆、自分のことでもないのにあれだけ喜べるんだ――
 主人公にとって晴れのヒノキ舞台。なのに、まわりはただの引き立て役でしかないではないか。
 そんな状況を分かる者は誰もおらず、雰囲気に騙されていて、冷静に見ることのできるのは、隆文一人だけだと思っていた。人から見ればやっかみに見えるかも知れない。だが狂喜乱舞している連中が騙されていないと誰が言えよう。やっかみかも知れないが、それでも隆文は自分の気持ちに正直になりたかった。
 集団意識が恐ろしいということを知ったのは、ニュースで新興宗教の話題が出ていた時である。確かに人は一人では生きていけない。だからと言って人を頼ってはいけない。そのかわり、神に頼るというものだが、宗教団体の内部は、集団意識の塊であった。
 道場のようなところの上座に教祖を名乗る男が鎮座し、正面には信者が祈りを捧げる。皆同じ服装に同じ髪型、個性も何も感じられない。知らない人が見れば武道上にしか見えないだろう。
 下を向いて祈りだけを捧げている姿を見ていて、
――何が楽しくて生きているんだ――
 と思う。何かを求めているのか、それとも求めたものを得られずに、新興宗教に傾倒していったのか、人それぞれなのだろうが、隆文には理解できない。
 ニュースで見て衝撃を受けたのが、集団自殺という事実だった。
 何を考えて集団自殺に至ったのか分からないが、実際にどこかで集団で自殺が行われたのは事実だった。
――死ぬことを求めて皆で祈りを捧げていたのか――
 かと思うと、やり切れないものがある。何かを求めて、求めたものが見つからなかったのか、それとも求めていたものが「死」だったのか、どちらにしても気持ちの上で納得できないモヤモヤがこびり付いて残ってしまった。
「自殺って、一人でするから自殺なんだよな」
 と、ニュースを見ていて友達が話していたが、まさしくその通りで、横で聞きながら何度も頷いていた。
 当たり前ではあるが、滑稽な言い回しが帰って重々しさを感じさせる。
――笑えないギャグ――
 と言うべきで、集団自殺の光景を思い浮かべようとしていて背筋が寒くなってくるのを感じる。
 最初に死んでいった人はいいとしても、後から死んでいく人は、苦しみながら死んでいく人を目の当たりにしながら、やがて自分にも訪れる死の恐怖をどのように感じているのだろう。決して尋常な精神状態では考えられない。
 戦地に赴く兵隊が、あれほど覚悟を決めていたにもかかわらず、死を目の前にして恐怖に恐れおののく姿をテレビや映画などで見る。戦争はいけないことだという風潮の中での映画なので、死の恐怖を必要以上に煽っているのかも知れないが、実際に自分がその立場になったらきっと同じように死の恐怖を感じずにはいられないに違いない。
 集団だと個人でするよりも意識的には麻痺していくものなのかも知れないが、特に集団自殺のように、他人の苦しみを目の当たりにしなければならないかも知れないと考えると、恐ろしくて自分には絶対にできないと感じる。
 集団で行動することはあまり好きではない隆文にとって、宗教団体は、自分とはまったく別の世界の出来事にしか思えない。学校での集団生活も納得ずくでやっているわけではない。
――仕方がないことだ――
 と思っている自分が情けなくなってくる。
 だからといって、いつも一人でいるかというとそんなことはない。必ずまわりに誰かがいる。
 だが、それを集団だとは思っていない。個性を持った連中が集まっているだけだ。個性を持ったもの同士が集まっていると、集団意識が生まれるはずはない。だからこそ個性というのだ。
 集団が一人一人になったところを想像するのは難しいが、個性を持った連中が一人になった時のことを想像するのはそれほど困難なことではない。だが、果たして他の人も同じような考えであろうか。
「個性って格好のいいことを言っているけど、結局は変わり者の集まりじゃないか」
 集団で行動することの多い連中に言わせればきっとそう思うに違いない。だが、それでも隆文は個性を持った人だと言われたい。個性がないということは、その他大勢で満足しているということだと思っているからだ。
 小さい頃から何か他人と違うことを言ったりしたりすることが好きだった。それが目立ちたいという意識だということに気がついたのは、中学に入ってからだった。
 小学生時代、どちらかというとその他大勢の中に埋もれていて、その中でも後ろの方にいることが多かった。野球でいえば「ライパチ」、いわゆるライトで八番という一番目立たないところにいた。
作品名:短編集99(過去作品) 作家名:森本晃次