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短編集99(過去作品)

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 今まで長年このバスに乗ってきたが、蜻蛉団地入り口で降りたことなどなかった。蜻蛉団地は、小学生の頃に住んでいたところからすぐで、バスを利用する必要などなかったからだ。蜻蛉団地に住んでいる友達も、今はいるかどうか分からない。引っ越していった友達もいるし、就職で都会に出て行ったやつもいるに違いない。
 バスを降りて蜻蛉団地を見上げると、月影のために黒くなっていて、まるでシルエットを見ているようだ。小学生の頃住んでいたところから見た蜻蛉団地は、あまり大きく感じられなかったが、いまこうして間近で見ると、黒いシルエットが不気味で、何よりも想像していたより大きく感じられるのが気持ち悪かった。
 蜻蛉団地を横目に歩き始めた。窓からは若干の明かりが見えるだけで、あまり電気はついていない。
――もう皆寝てしまったのかな――
 とも感じたが、それよりも、
――いや、皆蜻蛉団地から引っ越していったのかも知れないな――
 というのも頭に浮かんでくる。
 だが、昨今の住宅事情や不景気を考えると、ここまで住人が減ってしまうとは考えにくい。ほとんどの電気が消えているので、それだけの人が皆引っ越していったというのは飛躍しすぎた考えであろう。
 皮靴の乾いた音が団地の壁に響いている。まるで温泉にいるかのような響き方だ。あまりにも大袈裟すぎる気がして、それだけまわりが静かだということを示しているのだが、よく聞いていると、耳鳴りがしているのを感じる。
 バスを降りてからずっと感じていたのだが、意識しないようにしていた。団地の壁の間を吹き抜ける風だと思っていたが、それだけではないようだ。
 少し行ったところに幹線道路が通っているが、そこから車の音が響いてきている。よく聞いていると、クラクションの音も聞こえているようで、一回クラクションの音が響くと、それがなかなか消えない。風が通り抜ける低音に、クラクションの高音、重たさと軽さが共鳴しているのだ。
 正面には、いつも車窓から見えてくる山が見えている。暗い中で浮かび上がって見えているが、その日の月は三日月で、中途半端な明るさだった。
 雲がゆっくりと流れている。
 厚い雲に薄い雲、立体感を見せているが、思ったよりも月のまわりの雲だけは明るかった。
――おや――
 三日月と思っていたが、どうやら違うようである。満月とまではいかないが、限りなく満月に近い状態の月が現われた。どうやら厚い雲に隠れていたようだ。
――それにしても、満月ではないとよく気がついたものだ――
 確かによく見れば満月ではない。左側が少し丸みに欠けている。きっと三日月だと思っていた月を覆い隠していた雲が晴れてくるのをずっと見つめていたからだろう。その間が短かったのか長かったのか分からないが、純一は長かったように感じる。それも歩きながら空を見上げていたから感じたことに違いない。
 山肌が月明かりに照らされる。
――綺麗だな――
 今さらながらに感じたが、生で月明かりを見るのも久しぶりである。
 バスを降りて家まではそれほど距離はなく、それまで気にしていた車窓からの景色を忘れてしまったかのように家まで歩く間、空を見上げることはなかった。
 まわりに音はなく、あるとすれば耳鳴りだけだが、その日に感じている耳鳴りとは異質なもので、あまり気にするほどのものではなかった。
 きっといつもよりも風を感じているからだろう。
 月のまわりにある厚い雲を押し流すほどの風を自分でも感じていた。
 その日は思ったよりも暖かい日で、風があっても、寒いと感じることはない。
「体温に近い風だとあまり風が吹いていても感じることはないだろうな」
 という話をしたことがあったが、
「極端に言えば、体温よりも熱い風だと、涼しいどころか、却って身体を痛めつけるような風になるものだぞ。それは、風呂の中で湯をかき回すようなものだ」
 水が空気になったと考えれば同じことである。風呂に入っていても、最初は熱いと感じてかき回せなかった湯も、慣れてくると熱くなくなってくる。熱くなくなってくるとかき混ぜても、それほど熱さを感じないものである。
 空を見ながら蜻蛉団地を通りすぎると、いよいよ幹線道路にぶち当たり、幹線道路をそのまま歩いていけば家へと辿り着ける。
 幹線道路に出る前に、蜻蛉団地内の公園を通り抜けることになる。
 団地の公園というのは、昔からある児童公園で、普通児童公園というと、住宅地の中にも存在する。住宅地の中の児童公園は景観がいいからなのか、どこか垢抜けしているように感じる。それに比べて団地内の公園は、まわりが団地の壁ばかりで、最近は団地も老朽化してきているので、壁が斑に汚くなっているのが目立っているのを見ることになる。
 お世辞にも景観がいいとは言えないだろう。
――それでもできた頃はよかったんだろうな――
 できた頃を知る由もない純一だったが、なぜか懐かしさを感じる。団地に住んだこともないくせに、公園を見ていると、なぜか団地の住人であったかのような錯覚に陥るのだ。
 友達の家に遊びにきて、団地内の公園で遊んだことも何度かある。特撮シリーズのヒーロー者で遊んでいた記憶が多いが、それはやはりテレビの影響が大きい。
 再放送で見た特撮物の番組で、団地がよく出てきた。
 団地内の公園で遊んでいる子供たちに紙芝居を見せるおじさん。どうしてその光景が一番印象に残っているかというと、見たことのないものだったからだ。
 話には聞いたことはあったが、それは都会の団地などで行われた話ではなかった。
 自転車の荷台に紙芝居の道具を乗せて、子供たちのために毎日やってくる紙芝居のおじさん。その光景はもっと昔の下町か、それとも田舎に必ずある神社の境内で遊んでいる子供たちのために見せる光景しか想像できなかったからである。
 だが、特撮番組で団地内の公園が舞台となるシーンでは、必ずおじさんが出てきて、子供たちを喜ばせるような趣向を見せるのだが、そのすべてが悪者の作戦だった。子供たちを騙して大人を油断させたり、子供たちを洗脳するために行うものだった。
 考えてみれば団地内の公園で、おじさんがやってきて何か子供を喜ばせるような光景など実際にはないだろう。せめてアイスクリーム屋さんがやってくる程度で、駄菓子屋も時代錯誤かも知れない。
 そんなことを思い出しながら公園を見ていて少し立ち止まっていた。
 月明かりが公園を照らしている。
 公園にはあまり遊戯はなく、鉄棒にブランコ、砂場だけであった。ジャングルジムなどの遊戯施設は団地内の公園のような規模のところにはあまりないものである。
 中途半端な広さだったが、純一はあまり嫌いではなかった。何と言っても住んでいるところに隣接して公園があることが羨ましく、
――自分たちのための公園なんだ――
 と思えるところが一番羨ましかった。自分たちの住んでいるところから見れば小学生の頃などは、団地が近代的に見えたものだ。したがって団地が羨ましかったのも当然であった。
――それにしても蜻蛉団地なんておかしな名前をつけたものだな――
 小学生の頃から思っていた。
「この名前、実は嫌なんだ」
作品名:短編集99(過去作品) 作家名:森本晃次