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短編集99(過去作品)

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 大学三年生からは、アルバイトに精を出していた。働くということに対して並々ならぬ不安を抱いたまま就職することが怖かった。もちろん、アルバイトで得たお金でやりたいことがたくさんあった。一番は旅行がしたかったのだ。
 アルバイトで得たお金で行った旅行は、友達と海外旅行に出かけるようなそんな派手なものではない。それこそ純一の性格を反映しているような地味なもので、出かけるのも一人、予定も最初から立てることをせず、着の身着のままの旅である。
 時間はいっぱいあった。中期のアルバイトが終わって、それなりのアルバイト代をもらうと、次の日から旅行に出かけた。泊まるところも決めているわけではなく、乗る電車もほとんどが各駅停車の旅である。特急電車に乗るのは稀で、各駅停車では他の旅行者と仲良くなれるのが一番の魅力だと考えていた。
 実際に友達になった人に、
「今からどこまで?」
 と聞いて、まだ行ったことのない土地などの楽しそうな話を聞くと、
「一緒に行こう」
 ということになる。
 相手が男性であれば、まず断ることはない。一人旅の醍醐味はそんなところにあるということは一人旅をしている人間にしか分からないからだ。
 特に歴史に造詣が深く、名所旧跡を訪れるのが大好きな純一は、うんちくには事欠かない。相手が黙って聞いてくれると思うような相手にしか声をかけないのも純一のいいところかも知れない。
――意外と俺って相手を見る目があるのかな――
 と感じたほどで、大学時代はそれが楽しかった。
 だが、大学時代が錯覚の連続だったことに社会人になって気づく。
 大学時代というのが、青春時代そのものだという人もいるが、
「青春時代なんて、社会に出れば幻や夢のようなものさ」
 と割り切った考え方の人の意見を聞かされた。
 確かにそうかも知れないが、万事が万事そうだと思いたくない。確かに夢や幻だと思いたいことも多いし、そう感じないと社会に出てからは、シビアな考え方についていけるものではない。
 社会に出ると、またしても五月病に襲われた。今度は大学時代のものと違って、まわりに人がいないので寂しいというものではない。まわりには人を感じるし、まわりの同期の人間が同じように五月病に掛かっているのも感じる。それだけに大学時代の頃とは比べ物にならないほどきついに違いなかった。
 だが、純一はそう思っていなかった。
――意外と早く切り抜けられるかも知れないな――
 と感じていた。大学時代と違って一番成長したと思える点に、
――客観的に自分を見ることができるようになった――
 と感じることだった。冷静に見れるようになったのは、大学時代四年間の賜物であろう。最初の二年間、後半の二年間、それぞれに違った大学時代の自分を感じていたが、卒業とともに、
――もう一人の自分の存在――
 を明らかに意識していた。それが冷静に客観的に自分を見れるようになった秘訣でもあったに違いない。
 大学時代の五月病との一番の違いは、
――大学時代のように漠然としたものではないからだ――
 確かに追い詰められているように思えるが、漠然とした寂しさがあるわけではない。まわりからのプレッシャーを感じていたが、裏を返せばどこか一つがスムーズに通れば、あとはその綻びから次第に解けてきて、綺麗に循環してくるに違いないと思っていたからである。
――結局結論は一つなんだ――
 と感じて頭の中が整理できたのも、どこかで「循環」という言葉が半鐘していたからかも知れない。
「悪いことをすれば、結局そのことは自分に振り返ってくるんだよ」
 小さい頃に祖母から言われたことがあった。黙って聞いていたが、
――そんなことはないさ――
 とたかをくくっていたのも事実で、人とあまり話をすることもなかった。
 結構一人よがりの考えだったようで、それを自分で隠そうともせず、思ったことを平気で口にしていたことがまわりの反感を買ったりしていた。
 理由が分からなかった。まわりに気を遣うという基本的なことは分かっていても、どこまで自分がまわりを見ていたかを考えると、考えているつもりで何も考えていなかったと言われても仕方のないことだった。
 それでも人から指摘されればされるほど意固地になってしまう。バツの悪さを認めたくない気持ちは今でも残っていて、人から指摘されることが一番嫌だと感じるようになってしまったのは、その頃の名残りに違いない。結局自分の殻に閉じこもってしまう。
 殻に閉じこもると、テレビばかりを見てしまう。家に帰ってアニメなどのヒーローに憧れ、その中で自分の正当性を見つけようとする。どうしても綺麗ごとが目立ってしまって、自分中心であることが正義のように思えてしまう。それでは悪循環を繰り返すばかりだった。
 正義のヒーローはブラウン管で自分の気持ちを惜しげもなく話す。よく考えればただの独り言なのに、それがヒーローだから許される。恰好いい。テレビを見ている人たちに感動を与えるためにヒーローにあえて喋らせるという演出を子供が分かるはずもなかった。
 子供の世界で悪いことといっても、大人が考えれば大したことではない。だが、子供の頃に同じような経験のある大人であれば、子供の世界では、ちょっとしたことでも大事件になることを分かるはずである。いい悪いの問題ではなく、大きいか小さいかということが問題になる。
 子供の頃にまわりから謂れのない苛めを受けていた人も、少し大きくなれば、
「あれは苛められる自分にも問題があったからな」
 と笑って話ができるくらいだった。
「だから、いじめっ子に気持ちも何となく分からないでもない」
 と言えるのだが、それは、あくまでも純一の小さかった頃だから言えることだろう。
 純一が変わったのは、中学に入ってマンションに引っ越してきてからかも知れない。それまでのことを思い出すことはあまりなく、自分で暗黒の時代とまで思っていたくらいだ。
――どうして思い出したりしたんだろうな――
 それだけ泥酔しているという証拠だろうか。確かに泥酔すると、まわりのことが見えなくなり、自分が孤独であることを自覚している。しかも、下手にまわりの人と関わりたくないという気持ちも働いてくるが、それはまわりが怖く見えてくるからである。
――それこそ小学生時代の自分ではないか――
 と思えてくる。
 泥酔していると気持ちは大きくなってくるものなのだが、その反面怖くて仕方がない自分も感じる。何にそんなに怯えているのか分からないが、何かを考えようとすると、とても怖いのだ。
 身体全体が敏感になって、ちょっと何かに触れただけでもぼやけている頭の芯から心臓に向って痺れが走るような感じがしてくる。高熱を出して身体全体が敏感になっている時に似ているだろう。ちょっとでも何かに触れるとそのまま身体が硬直して、痙攣してしまうのではないかと思える瞬間を思い出していた。
 車窓からの景色を無意識に眺めていた。家々から漏れる明かりが次第に減ってきて、バスに乗り込んでどれくらい経ったのかを考えていたが、考えようとすると頭が痛くなりそうで、ただ漠然として見ているしかなかった。
作品名:短編集99(過去作品) 作家名:森本晃次