小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

三すくみによる結界

INDEX|9ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

「密室の中で上下動するもの」
 と考えた時に、すぐに思い浮かぶのはエレベーターであろう。上に向かう時、最初に感じるのは、下に引っ張られる力、そして到着する時には、宙に浮く感覚を感じる。それは密室がから違和感として抱くもので、表が見えていれば、そんな感覚はないだろう。人というのは、まわりの規則的な法則としての運動を無意識に理解しているので、表が見えていれば、エレベータが動き始める時は、下に掛かる圧力を、そして到着する時には身体が宙に浮くであろうということを意識しているので、何事もなかったように動くことができる。それが本能であって、潜在意識というものであろう。
 だから、電車の中で垂直に飛び上がった時に真下に落ちる感覚は、当然のこととして身体が覚えていることなので、いちいち意識しないのである。きっとそれも鏡の上下感覚にしても同じことではないだろうか?
 そう思うと、井倉洞で見た相手に対して上から見たのと下から見上げた時とで距離の違いを感じる理屈も何となくであるが分かるような気がした。
 つかさは、そんなことを考えていると、ついつい頭痛がしてくるのを感じる。これは小学生の頃からであるが、考えてしまうことで興奮してしまい、自分の世界を形成してしまうからではないのかと思っているが、その日は、熱っぽさもさることながら、汗が背中に滲み出ているのを感じた。
 もちろん、風邪によるものでも、熱中症などによるものではない。特に体調の悪さなどで、本当に熱がある場合には、汗は出ないような気がする。身体にどんどん熱が籠り、ある程度まで熱が出きらないと下がってこない。それは身体の中にある免疫が身体に入ってきた細菌と攻防戦を繰り返しているからで、そんな時に熱が出るのである。本当はそんな時、熱を冷ますようなことをせずに、ある程度まで熱が出尽くすと汗が噴き出すようになり、その汗が毒気を出してくれるので、完全に汗が出尽くすことで、最後には熱が下がってくるというメカニズムを人間の身体は持っている。
 つかさはそこまで高い熱が出るという感覚はなく、ただ、指先に痺れを感じた。
 これは子供の頃から旅に出るなどのような普段と違った環境に置かれた時、時々起こっていた状況である。指先が痺れるというのも同じで、きっと、精神的な興奮が身体にもたらした影響であり、大したことはないと思っていた。
 その日も同じだと思い、時間を見ると、そろそろ昼食を摂ってもいいくらいの時間になっていた。十二時には少し早いが、空腹ならそれも致し方ない。食事を済ませると、すぐにそのまま伯備線に乗り込み、微衷高梁に移動した。
 この街は、たまにドラマの撮影などが行われたり、最近では、
「天空の城」
 として有名になっている、備中松山城が近いということで、観光スポットになっていた。さすがに、この時間からの天空の城は行くのは無理があったので、市街地を散策するにとどめた。丘の中腹にある昔からの日本家屋としての豪邸が見えたが、そこも映画やドラマなどの撮影に使われた場所としての観光スポットになっていた。
 備中高梁では主に、観光という視点よりも、情感を伝えたいと思った。ただここも撮影スポットはどこも同じような場所からのショットで、真新しさは感じられなかった。
「なかなか難しいものね」
 記事さえしっかり書けていれば、写真など、そんなに気にすることもないとは思うのだが、どうしてもオリジナリティを求めるつかさは、何かのこだわりを感じてしまうのだった。
 すでにその時にはつかさの微熱はなくなっていた。
 後から思うと、
「あの時の幻も、微熱の中で自分が抱いた妄想だったのかしら?」
 と感じていた。
 すでに時間が経ってしまったことで、つかさには、影のない状況と、同じ次元で動く時間が違っているという状況を同じ人に感じたということで、幻だと思うようになっていた。
 ただ、この感覚はつかさだけにあるものではないだろう。
 誰にでも、そう思えるのであれば、それは幻以外の何者でもないはずだ。
 それ以降の取材旅行には、これと言って特記する事項があったわけではない。つかさは予定の取材を終えて、社に帰ってきた。締め切りまでに原稿を仕上げて、何事もなかったかのように、またいつもの毎日を過ごしていたのだった。

               三すくみ

 つかさが、三すくみについて思い出すようになったのは、山陽道の取材旅行から帰ってきて、締め切りに原稿を間に合わせてから三日くらいが経った時だった。それまで三すくみの関係について忘れていたわけではなかったと思ったが、ひどく意識していたわけでもなかった。
 学生時代までは、ことあるごとに三すくみについて考えていたような気がしたが、仕事があるわけではなかったので、そういう意味ではいろいろと頭の中で考えることができたのであろう。
 人間関係の中での三すくみというのは、意外とありそうなのだが、なかなか聞くことはない。男女関係におけるいわゆる、
「三角関係」
 と呼ばれるものは、三すくみとして考えることはできないのだろうか?
 だが、この場合の三角関係が明るみに出た時は、不倫あるいは浮気をされた方が一番強く、自分の旦那か奥さんに対してと、不倫をした相手に対しても証拠さえ掴んでいれば、言い訳できないだけの力を持つことができる。もちろん、精神的な苦痛は伴ったのだから、相手から傷つけられたという意味では、精神的な弱さがあるので、一緒の三すくみなのだろう。この解釈は難しいところである。
 相手との関係を精神的に考えた場合と、それを裁判などによって金銭に変えたりする場合とでは、相手との関係も変わってくる。
 そういう意味では、三すくみと三角関係は、比較する次元が違っているのかも知れない。
 今回つかさが頭に残ったのは、井倉洞と後楽園で見たその男性であり、その人がなぜ自分の前に一度ならずも二度までも現れたのかを気にしたからだった。
 そのことがあったせいなのか、エレベーターに乗った時、上昇する時と止まる時などが気になって仕方が無くなっていた。普段は意識することもなく身体に力を入れていたのだが、最近では身体は勝手に動くのだが、その動きに対していちいち考えてしまう自分がいる。
――もし、子供の頃だったら、思わず飛び上がってみたかも知れない――
 と感じるほど、頭の中は実際に飛び上がった感覚を思い描いていたようだった。
 誰から教えられたわけでもないのに、エレベーターの感覚を不思議なものだという認識を最初にしたはずなのに、それ以降気にすることはなくなっていた。だが、最初にエレベーターに乗った時に感じた意識は、
「前にも感じたことがあったような」
 という感覚だったような気がする。
 初めて乗ったはずなのに、どうして以前にも感じたことがあるようなと思ったのか、まるでデジャブではないか。
 しかし、それをつかさは、
「後になってから思い出したので、時系列に錯覚を生じているんだ」
 と思うようになった。
 つまり、二度目以降に感じた、
「前にも感じたことがあったはず」
 という思いを、最初の時に感じたものだとして意識が持っているということである。
作品名:三すくみによる結界 作家名:森本晃次