小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

三すくみによる結界

INDEX|5ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

 尾道だけではなく、山陽道には、岡山から倉敷、さらに瀬戸内海の島々、そして中国山地へ続く周辺と、見どころは満載だった。最初は尾道だけの取材のつもりだったが、せっかくだから、山陽道というテーマで出かけてみることにした。
 その思いは間違っていなかったようで、尾道に行くまでに腹いっぱいになりそうなくらい満載の観光地があるようにガイドブックには書かれていた。
 まずは新幹線で岡山まで行って、そこから山陽線で倉敷まで、ここはさほどかかるわけではなく、駅から歩いてもいけるいわゆる「美観地区」が有名である。
 ただ、あまりにも観光化が施されているため、観光客も多く、今までに数えきれないほどの記事が書かれていることだろう。そういう意味で、編集長のいう、
「お前らしい記事」
 という意味では、どうなのであろうか。少し考えさせられtしまいそうだった。
 計画では倉敷の次に赴こうと思っているのは、倉敷からちょうど北に向かって、約五十キロくらいの中国山地の中腹に新見市というところがあるが、そこには井倉同と言われる洞窟が存在するらしい。写真で見る限り、かなりの自然を謳歌できる場所のようで、説明文を見る限りは規模も大きく、さらに最寄りの井倉駅からは徒歩で十五分ほどというちょうどの距離であった。
 しかも、洞窟だけではなく、近くには有名な滝もあるようで、取材するには、自分の味を出せる場所ではないかと思った。
 第一泊を倉敷にしたのは、倉敷から井倉洞を巡って再度倉敷に戻ってくるという伯備線ルートであった。翌日には倉敷から福山であったり、瀬戸内海の島に渡ることも視野に入れて考えていた。
 そこからやっと尾道に入るわけだが、そのあたりに至る頃には、元々の計画が変わっているかも知れないというのも、元々覚悟の上だった。
 それまでの取材にも初めて行った場所で、最初の取材のテーマとかけ離れたことが往々にしてあった。
「それはありえることだ」
 と編集長も言ってくれた。
 岡山駅に着いたのが、昼前くらい。そのまま倉敷に入り、一通りの取材と写真撮影できる場所では撮影を試みたが、よくよく見れば、ほとんどの場所は観光ブックなどに出てきているもので、撮影しても使うかどうか、悩むところだった。
 早々に美観地区の取材を終えて時計を見ると、午後三時を回っていた。このまま井倉洞まで行っても、敢行するには時間を要することを考えると、時間的に無理だと判断し、どうするか考えた。仕方がないので、その日は倉敷の宿に入り、もう一度美観地区に寄ってみようかとも思ったが、辞めておくことにした。
 倉敷の街には別に何も見るものもすでになかったので、とりあえず岡山に引き返してみようと思った。岡山の後楽園には以前にも一度行ったことがあったが、その時はまだ小さい頃だったので、ハッキリとした記憶はない。日本三大名園としては、以前に金沢の兼六園には行ったことがあったので何となく雰囲気は分かっていたが、後楽園のように、公園の天守閣を持った城が存在するのは、日本三大名園でもここだけだった。
 日本三大名園でいう「月」に値するという後楽園は、岡山城を背景に見ると、また絶景で、夕方に近づいた時間に見るというのも悪くはなかった。
「けがの功名っていうのは、こういうことをいうのかしら?」
 と思ってファインダーのシャッターを切っていると、岡山城を沢超えに見つめている一人の男性がいるのが見えた。
 その人はじっとしていて、動こうとしていないように見えた。つかさは気になってしまったが、いきなり声を掛けることもできないだろうと思い、後ろから見つめていると、急に立ち上がったかと思うと、少しまわりを見つめていた。スーツケースを持っているので、旅行者であることは間違いない。ただ、駅やホテルに荷物を預けずに来たということは時間も時間なので、ついさっきにでも岡山駅について、荷物を預けるまでもなく、直接ここまで来たのだろうということを想像させた。
 その男性は気だるそうに立ち上がると、ゆっくりと、つかさから見て、左側に歩き始めた。
「おや?」
 その男性を見ていて、何か違和感を抱いたのだが、それがどこから来るものなのか、分からなかった。
 だが、その違和感がどこから来るのか気付くまでにそれほど時間が掛からなかった。思わずつかさは目を疑い、指で瞼を何度かこすってみたが、結果は変わらなかった。
――あの人、影がないんだ――
 足元から伸びているはずの影が見えなかったのだ。
 夕方のこの時間なので、結構長い影がその人の足元からは伸びているはずだった。思わず、その自分の足元を見たのだが、自分の影も見ることができなかった。
――私がどうかしているんだわ――
 と感じると、急に頭痛がしてくるようだった。
 自分がおかしくなってしまったことで、目の前の人の影が見えなくなってしまったのを感じた。
 ただ、時間的に夕方近くになっていることが、つかさにとって気になるところであった。時間的にはまだ夕暮れというには早すぎるくらいではあったが、夕日が西の空に傾いているのは間違いのないことだった。
 夕方の時間帯というのはいろいろな細かい時間帯から形成されていたりする。例えば、夕方に起こる、
「無風状態の時間帯」
 ということでの夕凪の時間帯であったり、
「夜になるにしたがって魔物に出会う時間帯」
 という意味での逢魔が時という時間帯であったりが存在する。
 夕凪の時間帯では、
「よく事故が起こる時間帯」
 という意味を聞かれることがある、それは都市伝説ではなく、科学的な理由もあるという。
 特に交通事故が多いという点で、
「太陽の光が弱くなってくると、色を形成するスペクトルの屈折は小さくなることで、モノクロに見える時間が存在するが、それは徐々に襲ってきて、気が付けば抜けている時間であるため、人に認識されにくい」
 と言われるものである。
 モノクロに見えるのであるから、当然、カラー映像のつもりで見ていると、事故が増えるのも無理もないことである。
 また、逢魔が時と言われる時間帯が、夕凪の時間帯と同じものなのかはハッキリとはしないが、事故が多い時間帯というイメージと、魔物に出会うという意味合いもあってか、どうしても類似のものという意識が深まるのも当然のことであった。
 そんな時間帯と考えると、やはりこれからやってくる暗闇に対しての恐怖が、いかに人間にとって大きなものであったかということが分かるというものである。今でも光が当たり前のこととして人間に与えられたものだと考えると、そこまでは思わないのだろうが、魑魅魍魎が世に蔓延ったと思われている時代から続く世界が、夕方をより恐ろしく演出しているに違いない。
 自分の影を感じることのできない時間帯、日が沈むまでにはまだあるような気がしたが、風が吹いていないのは気付いた。どうやら夕凪の時間帯だったようだ。
 気が付くと頭痛がしていた。まるで熱が籠ってしまったかのように、おでこに血液が集中していて、脈打っているかのように感じられた。
 額からこめかみにかけての血管が腫れてしまったかのように感じると。さっきまでの黄色から橙色に近かった太陽が赤く静かに光っているのを感じた。
作品名:三すくみによる結界 作家名:森本晃次