三すくみによる結界
中学を卒業したくらいのところで、大人の色香を感じさせる凛々しさが備わっているわけではないという意識があるからだ。
中学を卒業すると同時に、年下の男の子とも疎遠になった。
彼とは別に何か関係があったわけではなく、中学時代であっても、それhど話をしたということはなかった。
年下の彼から話しかけてきたのは一度だけだった。
「先輩は、どうしてそんなに僕のことを見ているんですか?」
どうやら、彼はつかさの視線がずっと気になっていたようで、どうにも自分でその視線を理解できなかったことで、自分から話しかけてきたのだろう。
「どうしてって、気になるからということかしら?」
というと、
「弟のような感覚ですか?」
「そうじゃないわ」
「彼氏のようなイメージではないですよね?」
「ええ、自分ではそう思っている」
「何か、僕を見ていると安心したように見えるんですが、そう思えばいいのかな?」
「私が見つめているのが嫌なの?」
「そんなことはないです。ただ、人というのは一度気になってしまうと、その理屈が分からなければ、ずっと考えてしまうもので、他に集中しなければいけないことがあっても、気が散ってしまってなかなかうまく考えられないものだと思うんです。だから、僕は先輩の視線を理解したいんです」
「私の視線が理解できないということ?」
「ええ、できないんですよ。いろいろと考えは浮かんでくるんですけど。結局すべてが堂々巡りを繰り返してしまうことで、結論が出ないんですね」
「そうなのね。その気持ち私には分かる気がするわ」
「それは、先輩も同じように思っている人がいるということですよね?」
「ええ、そうよ」
「分かっています。実は僕も同じように、見つめている人がいるんですよ。何がいいと言われるとハッキリは分からないんですが、しいていえば、その人の『凛々しさ』でしょうね」
「凛々しさね……」
とここまで聞いて、今の自分が三すくみの関係にあることに気付いた。
年下の彼との会話は実に貴重なものだった。彼に対して自分が質問し、それを彼が返してくれるという形式の会話をしたことで、何となく自分が彼に依存心を抱いた理由が分かった気がした。
――私は、自分の質問に対して。的確な答えを示してくれる人に依存心を抱くんじゃないかしら?
という感情であった。
話をしていて、これほど安心できる話し方はない。質問はすべてこちらかであり、疑問に思っていることをすべて回答してくれた彼に依存心を抱いたことも、その時、
――いまさらながら伺える――
と感じたのも、その証拠であろうか。
自分が依存心を感じたという意識、それと立場的に自分が彼よりも弱いという意識は別のもののはずなのだが、自分がこの関係を、
「三すくみだ」
と感じてしまったことで、小学生時代の記憶もよみがえってきて、きっと自分の中で結論を作ってしまったのだろう。
つかさは、自分が依存心を抱くのは、
「安心したい相手だから」
という認識を持った。
そして、そんな相手が現れれば、どこかで自分に対して同じ気持ちを抱いてくれている人がいて、その三人の間で、三すくみが形成されるという構図が出来上がってしまうのではないかと考えるのだった。
夢について
つかさは、今年で二十五歳になっていた。四年生の大学を卒業し、昨年、地元の出版社に入社した。まだ二年目であったが、今年から自分のページも担当することになり、張り切っていた。地元の大学の文学部に入学できた時は、本当に嬉しかった。自分で文章を書くのも好きであったが、出版関係にも興味があった。出版社で出版に関わりながら、自分でも記事が書けることは、大学に入った頃からの念願であった。
一年目は取材旅行にも同行し、どのようにして取材をまとまるか、あるいは記事にして起こすかということを目の当たりにすることで勉強になった。今年は、
「もう一人でも大丈夫だな」
と言われて、一人で出かけることになったのだが、半年は経っていたが、編集長からは、
「まだまだだな」
と言われてしまい、軽いショックを受けていた。
そもそも、そんなにうまくはいかないという思いがあったのも否めないが、実際に昨年同行してみて、
――これならできる――
と感じたのも事実だった。
しかし、実際にやってみると、そんなに簡単なことではなく、どこかがうまくいかないようだった。自分でも、
「何かが足りない」
と思っているが、何が足りないのか、ハッキリと分かっているわけではなかった。
――同じようにやっているのに、何が違うというのか?
そのことに気付いたのが、半年経って、秋の声が聞こえては来ていたが、まだまだ暑さの残る時期であった。
編集長からは、
「まだ、分からなくても仕方がないよな」
と言われたが、その言葉に甘えてはいけないことに気付いた。
分からなくても仕方がないというのは、
「経験が浅い」
ということの裏返しであり、経験は時間が経てば得られるというものではないが、時間も必要であるということを言いたいのだろうと思った。
そして、その経験がつかさに教えてくれたこと、それが次のようなことである。
「最初の一年目は先輩について一緒に回ったが、それは先輩がしている通りにしなさいということではない。普通の事務処理などの引継ぎであれば、マニュアルに沿って教えを乞えばいいのだが、取材などというのは、マニュアルによるものではない。自分で考えて自分で会得するものを自分のものとしていかに生かすかということ、それ自体を学ぶための同行取材なのだ」
ということである。
「先輩と同じことだけしかしていなければ、進歩はない。刻々と動いていく時代に則した成長をしなければ、後退しているのと同じである」
という結論だった。
つまりは、
「お前はお前のやり方で、新たな自分の顔を作らないといけない」
ということであった。
それを学ぶということでの先輩同行だということに気付くと、つかさは自分の仕事に自信を持つようになった。そのことに気付いた秋口になると、急に落ち着いた気分にもなれた。秋という季節も多大な影響を及ぼしたのかも知れない。つかさには元々文章を書くことへの自信はあったのだ。
一応、編集長からも、その頃からダメ出しもなくなってきて、自由にやらせてもらえるようになっていた。どこに行って、どのような企画にするかということも前もって自分で計画し、編集長からの許可を得るという、一人前として見られる基準を見焚いているのではないかと思えるようになった。
あれは、尾道に出かけた時だっただろうか。
「坂の街、尾道」
をテーマにすることで、ちょうど秋という時期にあっていると考え、編集長に進言したが、その進言が通ったのである。
「お前は感じる尾道を取材してこい」
と言って送り出された。
「お前の感じる」
という言葉は、編集長の決まり文句で、つかさが認められるようになってから、この言葉が連発されるようになった。
そのことからも、自分が編集長に認められているということを感じた理由でもあり、やる気を漲らせて、取材旅行に出かけたのだった。