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三すくみによる結界

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 それ以降、高校時代にもあったような気がしたが。今では記憶の奥に封印されてしまったように思う。この感覚は、
「あまりにも平凡に思える三すくみの関係だったので、思い出したくないことの一つではないか」
 と感じたことで、封印されているのではないかと思った。
 とにかく、二十戯歳までの今までに、果たして何度三すくみを感じたのかということを思い出していると、この間の岡山で見かけた人にインタビューをした時のことが頭によみがえってくるくらいだった。
 小説を書きたいと思ってミステリーを読んでいると、その中にハッキリと見えてはいないが、
「今までに感じた何かに似ている」
 と思った時、三すくみを感じた。
 特に、犯人が共犯を欲する時に感じるものだった。つかさが読んだミステリーのほとんどには共犯を必要とした。しかもその共犯というのが、一つのパターンに収まらず、
「こういうのも、一種の共犯と言えるのだろうか?」
 という関係もあったくらいだ。
 普通の冊人事面などの共犯というと、思い込むのは、大きな犯罪を二人で共同に行うというのが、ピンとくる共犯の持ち方であるが、実際にはそれよりも、お互いに相手のアリバイを証明するというような共犯の方が多いのではないだろうか。虚偽の証言をすることで、犯人のアリバイを証明する。これだと、相手は虚偽供述という意味で、偽証罪になるかも知れないが、殺人犯として逮捕されることはない。いきなり、
「絞首台行き」
 ということはないだろう。
 そうなると共犯くらいにはなってくれる可能性は高いというものだ。
 またよくあるパターンとしては、どこかに襲撃したりする時の共犯などであるが、これは実際の事件にはあることであるが、逆にミステリーという小説の世界では少ないのではないだろうか。
 共犯というものを最初から必要としていなかったのに、共犯の方で勝手に、殺害幇助をしている場合もある。犯人としては、相手を殺害することが目的で、別に逃げも隠れもしないと思っていたのかも知れないが、犯人に対して愛情のある、例えば親だったり、恋人だったり、子供だったりが、その人が犯人だということを分かって、敢えて本人が知らない間に死体に細工などをして、犯行をくらませようとするパターンである。
 また逆のパターンもある。これは厳密には共犯ではないが、犯行を目撃し、それを幇助してやるという約束で、犯人を脅迫するというパターンである。絶対的な立場が強い共犯者なので、犯人も逆らうことができないというパターンだ。
 そして、立場的に逆な場合もある。犯行を見られたことで、見た人間を脅して、共犯に引き込むという手段である。こちらは稀ではあるが、まったくないわけではない。
 要するに、犯人を巡っていろいろな立場の共犯がいて、一つの殷ステリ―小説の中で、犯人は一人だが、いくつか犯罪を犯す中で、共犯者がバラバラだということを描いたものがあった。
 普通、犯罪事件において、共犯者が多ければ多いほど露見しやすく、危険であると言われるが、いくつもの犯罪を犯す中で、共犯者が何人もいれば、共犯者の中で裏切ろうなどと考える人はいないと思ったのが、この犯人の考え方だった。
 いくつかの犯罪の中で一つには自分が関与しているのだから、他の犯罪にも別の共犯者がいるということは、その共犯者には分かるはずだ。
 しかも、それを隠して分からないように犯行を繰り返しているということは、犯人と他の共犯者との関係がよく分からない。自分にも教えてくれない相手だと思うと。共犯者は疑心暗鬼になってしまう。
 そうなると、もし自分が突出した行動を取ると、今度は自分がターゲットになってしまい、他の共犯者から殺されてしまうかも知れない。犯人はすでに何人も殺しているのだから、
「一人殺すも二人殺すも同じ」
 という感覚になっていることだろう。
 どうせ捕まれば、確実に主犯は、
「絞首台行き」
 である、
 それが分かっていて連続殺人を犯すのだから、何をするか分からない。しかも、自分が知らない共犯が他にいると思うだけでm本当に不気味だ。それぞれでそうけん制し合うことで、主犯は安全な位置に身を置くことができるというような小説だった。
 最後はどのようにして捕まるのかまでは覚えていないが、確かやはり誰かの裏切りがあったはずである。
「共犯が多ければ多いほど、犯罪はすぐに露呈する」
 というのは、本当なのであろう。
 この場合は、
「策士、策に溺れる」
 とでもいうべきであろうか、捕まる時はアッサリだったようだ。
 この場合の共犯者たちの関係は、三すくみのような関係とは言えないだろうか。確かに皆が同じ立場で、三人でなくとも成立するものであるが、ただ気になるのは、主犯が真ん中にいて、この主犯がよくも悪くもこの状況をすべてにおいては悪しているというのが事実だった。
 犯罪事件の共犯において、三すくみの理論を押し込めるのは、かなり強引なのかも知れないが、その小説を読んでいると、三すくみが感じられたというのも、まんざらでもなかった。
 考えてみると、今まで読んだミステリーで、半分以上の作品に、それぞれの形で共犯者が存在したような気がする。
 一番少なかったのは、犯人の計画を知って、脅迫されるか何かして、共犯に引き入れられたというパターンだったが、一番多かったのは、共犯にさせられた人が知ってか知らずか、犯人のアリバイ証人に利用されるというものであった。
 どちらにしても共犯としてはオーソドックスで、ありえそうなパターンであるが、中には、主犯と共犯の利害の一致というのもある。
 被害者が死んでくれることで、恨みを晴らすという復讐であったり、遺産が転がり込んでくるという財産目当てであったり、理由は違うが、殺人によって、それぞれの利益を得られるというものだ。
 ミステリーで探偵や警察が最初に疑うのは、動機である。
「殺害することによって、利益を得るのは誰だ?」
 という考え方であったり、さらにアリバイがある人、ない人を選別し、犯人を割り出そうとする。
 それが犯罪捜査の定石と言ってもいいだろう。
 これらの共犯を、それぞれに三すくみの関係に落とすこともできるのではないだろうか。
 その三角の頂点というのは、
「犯人と共犯者と被害者」
 である。
 犯人は被害者に弱かった。脅迫か何かを受けていた。しかし、共犯者には強い。共犯者は、被害者には強い。別に利害がない場合のことであるが、そして犯人には弱いというパターンだ。
 だが、三すくみが成立しない共犯もある。
 例えば、犯人側の利害が一致した場合、この場合は二人の犯人は被害者に対して弱かったということになる。これでは三すくみの入り込む隙間は崩れてしまった。
 つかさは、小説を書いていて感じることのなかった別の意味での三すくみを、
「性格的なドッペルゲンガー」
 に見出したのだった。
 だが、他の人の小説で、これ以外にも三すくみがたくさんあると思って見ていると、昔から読んできたミステリーに三すくみが絡んでくることに気が付いた。
 そのキーワードが、
「共犯」
 であり、そう思っていまさらながら思い出してみると、結構共犯がいたことに気付かされたのだった。
作品名:三すくみによる結界 作家名:森本晃次