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三すくみによる結界

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 犯罪露呈の危険がある共犯ではあるが、どうしても共犯の存在がないと成立しない犯罪も多いということではないだろうか。そこにミステリというジャンルの限界のようなものがあり、その限界が、三すくみによって作られる、
「結界」
 というものとどこか似ているのではないかと、つかさは思うのだった。
 この間のインタビューでは、かなりいろいろなことを学んだ気がした。
「人の考えにもいろいろあるし、二人で話に花を咲かせていけば。気付かなかったことをまるで堰を切ったかのように気付くことができる」
 という発想である。
 それにしても、あのドッペルゲンガーの話を、二度、三度と読まなければ、本当にインタビューしていても、淡白に終わってしまっていたかも知れない。
 これから書いていきたいと思っているジャンルは、これからも変えていく気はないのだが、その中で三すくみという考え方を織り交ぜることで気付かなかったことが気付いてきたり、どこか繋がらなかった話の結末が見えてくるのではないかと思うようになった。
「現実は小説よりも奇なり」
 などとよく言われるが、つかさとしては、
「現実には限界というものがあるが、小説にあるのは、結界なのではないだろうか?」
 という考えがあった。
 それはきっと三すくみという考えが生み出したものであり、小説にある結界を、いかなる形でぶち破ろうとするかが問題だと思っている。
「結界なのだから、破ることはできないものなんだ」
 限界とどこが違うのか、少し考えてみることにした。
 これはあくまでも、つかさの私見であるが、
「限界というのは、人間が決めるもので、結界というのは、誰にも決めることのできない、最初からの決定事項である」
 というものである。さらに、
「結界は確かに決定事項であるが、それを決定できる人がいろとすれば、それは神でしかない」
 ということになるのだろうと思う。
 よく、
「限界を自分で決めるんじゃないと、アスリートや芸術家などは言われたりするが、まさにその通りで、自分で決めることができるものなのだ。だから、現実というのは、決めてしまわなければ、基本的には無限であるという考えだ。
 しかし、小説などには、
「犯してはならない領域があり、それを犯してしまうと、小説としての様をなしていないように見られるだろう。人の人生を他人が評価することはできないが、小説などは他人が評価する。そのために、侵してはならない領域が存在するのは当たり前のことである」
 と言えるのではないだろうか。
 プロであれば、さらにそこに、収益という足枷もついてくる。他にもいろいろな束縛があり、その束縛を判断するのが、出版社の人間であろう。そうなると、どこまでが作家の意志なのか分からなくなってしまい、矛盾と現実のジレンマに悩まされることになるに違いない。
 つかさはそこに新たな三すくみを創造していた。
「限界と結界、そして常習性」
 である。
 限界と結界は、今の話で理解していたが、常習性というのは、循環的な考え方で、三すくみとしての限界と結界が常習的にやってくるという発想だ。
「限界よりも結界の方が拘束性という意味で強いが、常習性を孕むことがないという観点から、常習性には弱い。しかし、限界には強いというのは、何度も限界を感じていると、限界が見えてくる」
 という発想だ、
 少し強引な組み合わせにも思えるが、そうやって考えると、二つしか見えていなかったキーワードのどちらかに関係のあるキーワードを見つけて、この三つの関係性を考えてみると、意外と三すくみというものが形成されるのではないかとも考えられる。
 三すくみというのは、気付いていないだけで、どこにでも、いくつでも存在している。それを認識することで、三すくみを今までに何度も感じてきた自分が、おかしいのではないということも理解できるだろう。自分を納得させることで、気が付けば三すくみを形成していたのであれば、それは、三すくみが自分の中で情勢のあるものとして認識しているということになる。
 つかさは、この三すくみを小説にしようと思った。この間の、「性格的なドッペルゲンガー」の作者の人も言っていたではないか、
「あなたになら、この三すくみについての小説を書けるんじゃないですか?」
「そうですか? あなたが書く方がいいのかな? って思ってましたけど」
 と、本音をぼかしていうと、
「私には書けないと思うんですよ。私にはすでに三すくみを意識して書いた『性格的なドッペルゲンガー』という小説がありますからね」
 と彼が言った。
「確かにあの作品には三すくみを思わせる描写もありましたが、だからと言って書けないというのはどういうことなんでしょう?」
 と聞くと、その時に、初めて彼が結界について語った。
「それは私があの小説を書いた時点で、すでに結界を目の前に迎えてしまったのだと思うんですよ。小説というのは、『超えてはならない結界』というものが存在していると思っているんです。つまり、その結界を超えると、二度と戻ってこれないか、見てはいけない世界を見てしまったことで、ただでは済まないという考えですね」
 というのだ。
「結界というのは、そんなに恐ろしいものなんですか?」
「私は恐ろしいものだと思います。昔戒律を示した『十戒』というのがありましたね。神との約束のようなもので、それを破ると、災いがもたらされるというものですね。それに近いものだと思います。あと具体的なところでは、生と死の世界ですね。絶対に覗けない世界でしょう? 死んだら絶対に生き返ることはない。生まれ変わることしかできないということです。生まれ変わってしまうと、前の意識はまったくなくなっていて、新しい人間として生きていくことになるます。もっとも生まれ変われるのは、人間とは限らないという説もありますけどね。要するに、死ななければ、死後の世界を見ることはできない。そこには絶対的な結界が存在しているからですね」
「なるほど、結界というのは、本当に人間ではどうすることもできないものなんですね?」
「ええ、そうです、。でもあなたは、それを無意識に分かっているんじゃないですか?」
 と彼はいった。
「どういう意味でしょう?」
 少し訝しい表情を示したつかさだったが、別に苛立っているわけではなく、自分でも分かっていないということを、目の前の人に看破されたことに訝しさを感じたのだ。
「あなたは、限界というのはその人が決めることができるけど、結界というのは、才子所から決まっているものだということを暗に匂わせていたではないですか。それを聞いて私は、あなたに対して、自分と同じ発想を持っていると感じたんですよ」
 と言われた。
 またしても、目からウロコが落ちた感じだった。
――そうなんだ、私は最初から分かっていたのかも知れない――
 それを自分で最初から理解していたのか、それとも彼との話の中で、自分で理解し始めたことだったのか、ハッキリとは分からなかったが。
――そのどちらもなのかも知れない――
 とも思った。

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作品名:三すくみによる結界 作家名:森本晃次