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三すくみによる結界

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 とつかさがいうと、
「お恥ずかしながら、僕にも以前付き合っていた女性がいたんですが、その人から別れを切り出されたことがあったので、その時のことを思い出しました」
「その時はどんな感じだったんですか?」
 と聞くと、彼はその時の心境を、思い出したくないことだとして記憶から消そうと努力でもしていたのか、思い出そうとしている自分を奮い立たせているかのようにも見えた。
「それがよく分からなかったんです。正直今も分かっていません。何しろいきなり別れたいと言われて、僕としては青天の霹靂だったので、必死に理由を聞いたのですが、それに対しての理由を話してくれないんです。まるで、あなたが分からないなんて信じられないとでも言いたげな表情をしているんです。こっちはこっちで訳が分からないし。正直女性が分からなくなり、怖いくらいですよ」
「女性不審になってしまいそうでしょう?」
「ええ、まさしくその通りですよ」
 と、彼はその時のことを思い出したのか、かなり憤慨している。
――自分は悪くないのに――
 と言いたいのだろう。
「でもですね。別れを切り出したということは、れっきとした理由はちゃんとあるんですよ。それをあなたが分かっていないことに彼女は腹を立てているんだと思います」
「でも、あまりにもいきなりだったので、腹を立てているのはこっちですよ」
 と、どんどん憤慨が大きくなる彼をこれ以上煽るわけにもいかないと思ったつかさとしては、
「そこなんですよ。そこが男と女の最大の違い。つまり、言い出したのが男なのか女なのかによって違っているんですよね」
「ますます分からない」
「女性というのはですね。我慢をできるだけしようとするものなんですよ。もちろん、女性の中にはたくさんいろいろな人がいるので、一括りにはできませんが。一般的に言って、女性というのは。我慢するだけするので、別れを言い出す時というのは、我慢の限界を超えた時、つまり、自分で結界を超えてしまった時に初めて別れを口にするんです。だから男性側からすればいきなりに見えるかも知れませんが、女性が別れを口にした時というのは、もう、復旧の道を自らが遮断して、元に戻ることのできないところまできて初めて言及するんですよ」
 とつかさがいうと、
「それはひどい」
「男性から見るとそうでしょうね。せっかく今まで二人でうまくやってきたと思っているでしょうからね。でも、その間に相手の女性はどんどん心変わりをしていっていたんですよ。それをまったく気づかないというのは、男性側も、何だかなということになるんでしょうね。だから、余計に女性側も、『しょせん、その程度の人』という見方しかしない。つまり自分のその男性に対する見方が正しいという裏付けを取ったようなものですからね」
「でも、男とすれば、そんなになるまでには、相談してくれると思っている人が大半だと思いますよ」
「それは、女性は甘えてくるものだという意識を持っているからでしょう? 女性はそんなに甘えん坊ではないんですよ。自分が好きになった相手なので、自分一人で解決しようと思う。それも、ある意味女性の優しさなのかも知れないですよね」
 とつかさがいうと、
「それはあくまでも女性側からの発想ですおね。男性とすれば、何も言ってくれないと分からない場合が多いですよ。ある意味男性というのは、不器用だからですね。つまりは、女性が別れを口にした時点で、それはまるで事後報告のようなもので、すべては終わっているという解釈でいいんでしょうか?」
「ええ、それでいいと思います」
「何とも理不尽な考えだ」
 彼は、そう言って、溜息をついた。
 そして、自分の加kを振り返っているのだろう。その視線は虚空を見つめていたのだった。
 つかさはここにも見えない何かの力、もう一つの三すくみを形成する力があるのではないかと考えていた。

                  結界と限界

 つかさは子供の頃から、友達と三すくみを形成しているという感覚を持っていた。特に小学生の頃にあった三すくみは、しばらく経ってから思い出して、
「あれが三すくみだったんだ」
 と感じたのだが。その思い、つまり既視感のような感覚が初めてではないと思ったのは、それ以前から似たような思いを感じていたからだろう。
 一体誰に対して、いや、三すくみだから、誰と誰に対して感じていたことなのだろうか?
 と感じたが、相手が分かったのは、小学生の時の三すくみの相手が分かった時よりもアロのことだった。
 だが、時系列的には小学生の時の友達との三すくみではなく、それ以前に感じた三すくみだった。つまりは、小学生の一、二年の頃に感じたことだったのである。
 その相手というのは、友達ではなかった。もっと自分に親近感があるはずの家族だったのだ。
 家族と言っても、自分は一人っ子で、兄弟はいない。ということは必然的に両親ということになる。ずっと子供の頃から三人暮らしが続いていた。その時に感じた「三すくみ」だったのだ。
 父親は、母親に対しては強いが。つかさに対しては弱かった。母親は、父親に対しては弱かったがつかさに対しては強い。そしてつかさは必然的に、父親に対しては強いが、母親には弱かったのだ。
 父親が母親に対して強いのは当たり前で、家族の大黒柱なのだから、これはどこの家庭でも一緒だろう。そして母親が子供に対して強いのも、母親が父親に対して弱いため、教育のすべてを母親が押し付けられているということもあって、子供に対しては強くないと務まらないというのも理屈である。
 父親が子供に弱いというのは、どこの家庭も同じというわけではないが、特に娘が相手であれば。父親は娘に弱いものである。そうやって考えると、この関係は、どこの家庭にもあるものかも知れないと思った。
 しかし、三すくみなどという感覚は、そんなに皆が感じているものではない。言葉は知っていても、その意味まではよく分かっていない人も多いことだろう。まさかそんなあまり自分たちに直接関係のないような言葉が、無意識に人間関係を形成しているなど、想像もつかないに違いない。
 つかさが、この関係を知ったのは、小学四年生の時だった。三年生の時の友達との三すくみで、過去に覚えのある既視感を感じたことで、それ以前の自分を顧みてみたのだろう。そう思うと、小学生の頃に、
「果たして何度、三すくみという関係を感じたことだろう」
 と考えると、まだ他にもあったのではないかと過去の自分を顧みてみる。
 しかし、それ以上は考えることができず、小学生の頃は二度だけだったと思えてきたのだ。
 中学生になると、また友達に感じたものと同じような三すくみを感じた。
 今度は中学生になってからなので、思春期に入っていた。女教師が絡んでいることもあって、何か羞恥の思いが頭をもたげたが、これを果たして三すくみの中の一つとして考えた時、特殊な感覚だったのではないかと思っていたが、実は思春期が転換期で、それ以降の大人になってくると、この時の三すくみが頭の中から離れず、
「これが大人の三すくみな関係なのかも知れない」
 などという考えが頭に残ってしまったりする。
作品名:三すくみによる結界 作家名:森本晃次