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三すくみによる結界

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「私は少し違うかも知れませんね。なるほど、錯覚が絶えず身近にあるというのは、私も目からウロコが落ちたように感じましたが。気付いてはいるんだと思います。気付いてはいるけど、それを意識として自分の中に取り込むかどうか、錯覚は錯覚として気付いただけにしておくと、本当に何も起こり得ないですよね」
 つかさのこの意見は、少し彼に考えさせる時間を必要とさせたようだ。
 そのまま考えていたようだが、そこから先、どのように考えたのか、つかさにも分からなかった。
「私の作品を読んで、一回目は普通に自分とドッペルゲンガーと思しき人の二人だけだったのだが、再読することで、ドッペルゲンガーのイメージが変わったということは、そこにもう一つ別の人格が生まれたということかも知れませんね。作者が分からなくても読者には分かる。その逆だったら何となく分かる気がするんですが、作者にも読者にも同じ感覚の不思議な人格が生成されているのであれば、それはかなりの信憑性だと言えるのではないだろうか?」
「無理やりにでも、三すくみにこじつけたいということでしょうか?」
 とつかさは皮肉を込めて話したが、作者側もニッコリと微笑んで、
「それはお互い様というところではないでしょうか? 私なりの解釈とあなたなりの解釈とでは少し開きがあるような気がしますが、目指しているところは一緒なのではないでしょうか?」
 と言われてしまうと、つかさも返事に窮するのだった。
 確かにつかさは、この話を無理やりにでも三すくみの形に収めたいと思っていた。しかしそれは、三すくみにしてしまってそれそれで束縛を与えて、密室のようにしてしまわないと、弾けたところから無理が生じてしまい、ドッペルゲンガーにおける都市伝説のような、
「ドッペルゲンガーを見ると、近いうちに必ず死ぬ」
 などということが、ウワサになるまでもなく、事実として暗躍してしまわないとも限らない。
 影で暗躍するだけに防ぎようもない。防ごうとすると。そこに矛盾が生じてしまい、ドッペルゲンガーに匹敵する都市伝説を生み出してしまう。
――ドッペルゲンガーのいわゆる「都市伝説」も、案外こんなところから派生したものだったのではないだろうか――
 とつかさは感じていた。
 となると、ドッペルゲンガーと、三すくみの関係というのはどういうものなのだろう?
 三すくみには、三者三葉であるため、別々の人間であれば、お互いにけん制し合うということもあるだろうが、もし、一人の人間の中に三すくみが宿っているとすればどうだるだろう?
「ちなみに三すくみの中で一番よく言われるのが、じゃんけんなんじゃないでしょうか?」
 と彼は言った
「そうですね、二人でやる場合と三人以上でやる場合とでは、基本的に変わってきますよね」
「ええ、あいこの種類が二つに増えますね。一つは皆が同じ種類を出した場合。これは一目瞭然です。そしてもう一つは、三つある種類のものがすべて出ていた時のことですね」
「ええ、その通りです。この場合こそ『三すくみ』が形成されているわけですよ。でも、二人では形成することができない。なぜなら、三つが別々に揃って初めての三すくみなんですからね」
「そういう意味で、じゃんけんをした時に三人が別々の形を出した場合は、元々じゃんけんが三すくみということなので、『三すくみの中の三すくみ』ということになるんでしょうね」
「ええ、その通りです。またここでもう一つの疑問が出てくるんですが」
「それはどういうことですか?」
「三人でじゃんけんをして三人とも別々のものを出すのであれば、それぞれ一つだから力の均衡は保てているわけですよね? でも、三人以上がじゃんけんをすれば、例えば四人だったとすれば、一つは必ず、二人が出していることになり、あとの二種類は一人ずつということですよね? これは人数による分かりやすい例なんですが、そうなると、これを本当に均衡と言えるかどうかということなんですよ。鋏が二つであれば。一人が犠牲になれば、それで三つが三すくみになるでしょう? ということは、はさみが一番強いわけですよ。そうなると、後の二つと、はさみのうちの一人の三人が脱落するということですよね。だったら、本当に勝負を決めるなら、はさみの決勝戦でいいんじゃないかと思うんですが、考え方はおかしいですか?」
 というつかさの意見を、黙って聞いていた彼は、大きく頷くと、
「なるほど、それは確かにそうですね。今まで考えたこともありませんでした。私の考えた『性格的なドッペルゲンガー』の発想を、はるかに凌ぐあなたの発想には敬服しますよ」
 と言われてつかさは少し恐縮した気分になった。
「私は、小説を書く時もそうなんですが、こうやって誰かを仮想の相手に据えて話をしてみると、こうやってどんどんといろいろな発想が生まれてくるような気がするんです。どれが実際には存在しないドッペルゲンガーのようなものだと考えれば、僕はドッペルゲンガーを見たことになり、近いうちに死んでしまうんでしょうか? いや、実際に死ぬことはなかった。ドッペルゲンガーというものが、自分で創造したものなのか、それとも、自分の意志に関係なく現れるものなのかで変わってくるんでしょうね」
 と彼はいったが、
「でも、自分の意志に関係のないドッペルゲンガーと言われているものであっても、最初は自分が創造したものなのではないでしょうか? 人が勝手に創造できるものでもないでしょうし、最初から皆にドッペルゲンガーは存在していて、たまたま見たか見なかったかというだけの違いなのかも知れないですね」
 というと、
「そのたまたまというのも微妙ですよね。もし、あなたの言う通り、最初から誰にでもドッペルゲンガーが存在しているのだとすると、それを見たというのは偶然なんかではなく、必然的に見る運命にあったという考え方の方が、しっくりくる気がしますね」
 と、彼は返してきた。
「そういう意味では、ドッペルゲンガーの存在を知らしめないために、もう一人誰かが介在しているのだという乱暴な考えが許されるなら。そこで三すくみが考えられるわけです」
 つかさがそういうと、、
「どうしても、ドッペルゲンガーを三すくみに結び付けたいわけですね。僕はドッペルゲンガーについては、結構いろいろ調べてみたりして、興味深く考えてきましたけど、あなたは、三すくみに対して僕がドッペルゲンガーに抱いてきたような発想をお持ちになっているのかも知れないですね。そう思うと。話をしていくうちに、いろいろな発想が固まってくる気がします」
 という彼に対して。
「確かにそうなんですが私は、発想が固まっていくというよりも、どんどん広がっているように思えるんです。発想というものはある程度まで最初に広がって、そこから余分なもんを排除することで、一つの形を作り上げるのだとということを認識しているつもりなんです」
 と、つかさは答えた。
「時系列とともに広がりを見せるか、それとも固まってしまうかの違いは、三すくみを考えているあなたが最初から固まるという発想を持てば、永遠に動くことができなくなるのではないかという発想から来ているのでしょうか?」
作品名:三すくみによる結界 作家名:森本晃次