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三すくみによる結界

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「岡山県ですか?たとえば、どことかにですか?」
 と聞かれたので、
「岡山の後楽園だったり、新見の井倉洞だったりなんですが」
 というと、
「ああ、行きましたよ。最初は後楽園にいって、翌日に井倉洞に行きました」
 というではないか。
 話を聞いてみると、時間的にもつかさが見た相手と同じようだった。そこで思い切ってつかさは聞いてみた。
「あの時、あなたの影がなかったような気がしたんですが、私の気のせいだったんでしょうね」
 というと、彼は一瞬ビックリしたような反応を見せたが、次の瞬間、溜息をついて、
「そうですか。実はよく言われるんですよ。たまに影を感じられないってですね。よほど僕の影ってそんなに薄いんですかね?」
 と、苦笑いというより引きつった笑いをしていた。
 冗談とも本気ともどちらともいえない、これこそ、寒いと言われるギャグに、どう返答すればいいのか困ってしまった。
――これから取材だというのに、こんな空気にしてしまって――
 と、つかさは自分の言葉が口から出てしまったことを後悔させられた。
 しかし、これはきっとお互いに感じていたことであろうから、最初に聞いておくべきことであることは間違いない。もし、それでインタビューがうまく行かなかったのなら、二人の関係はそんなものであり、これ以上の関係を築くことはできないであろう。
「実は、私のあの小説『性格的なドッペルゲンガー』なんですが、あれを考えたのが、岡山への旅行中だったんです」
「それはこの間のではないですよね?」
「もちろん、そうです。あの小説はそんなに最近のものではないので、その原案の時だったので、かれこれ一年以上前になりますね」
「そんなに前だったんです絵」
「ええ、でも、小説をずっと書いていて、私の一番の作品が自分でもあの作品だと思っているので、あの時から、時々岡山あたりに旅行するんです」
「その時に、いろいろイメージが浮かんできたりするんですか?」
「ええ、そうです。私の場合は他の人のような取材旅行という感覚ではないので、イメージを抱くために、自分を小説の中に入れ込むことができる岡山へ出かけるのが好きなんです。ひょっとすると小説の中に入った自分を思い浮かべる気持ちが強すぎて、人が見た時に、影が見えないなどという錯覚を引き起こすのではないかと思っていたんですが、あなたにも同じように見えたんですね」
「他の人は、あなたが小説を書いていて、時々、そのイメージを思い描いていることを知っているんですか?」
「ええ、私はまわりに小説を書いているということを隠しているわけではないですからね。だから小説をイメージしている時の私は分かりやすいそうです」
「じゃあ、その時に皆さん影が見えないと錯覚されているのかも知れませんね」
「そういう先入観があるかも知れまぜん。もしそうだとすれば、理屈は分かりますが、実際に会ったことのないあなたにもそう見えたというのは、本当に私自分が影を薄くできるオーラを醸し出していて、あなたが私のオーラに反応したのかも知れない。感覚に共鳴したというかですね」
「音というのも、その共鳴反応で、特定の音に対して共鳴する物質があるようで、その二つが本当に共鳴し合うと、かなりのエネルギーになるという話を聞いたことがあります。そんな感じだったのかも知れませんね」
 つかさは、完全に理解したわけではなかったが。この話をすることで、岡山で見た光景の半分は、理解できたような気がした。彼女に影がなかったのは、やはり彼女の言う通りであろう。そして、その思いを強く抱いたまま翌日になってまた出会った。井倉洞での、上から見た時と、下から見上げた時に感じた違和感、さらには時間というものの違和感、さらに前の日の影は見えなかったという三つの出来事は、何かつかさの中で引っかかっている、
「三すくみ」
 の関係に似ているように思えた。
 影がないという理屈により翌日の上からと下から見上げた時の時間というものを支配した。その時間への錯覚が、上からと下からの視界としての錯覚を生んだ。そして、視界の錯覚が、結局また、彼女の影のないということを証明している結果になった。
 これは厳密な、従属関係や支配関係による均等な三すくみとは違っているが、ある一定の空間、時間内において形成する三角形という形を形成しているものとしては、十分に見えていることである。この際のキーワードは、「証明」ではないだろうか。お互いがお互いの現象を証明するような関係、そんな三すくみではないかと思った。
 さらに、これだけではハッキリとした三すくみとしては弱い感じもするので、もう一つキーワードがあるとすれば、「循環」なるのではないか。
「いや、待てよ?」
 そこまで考えてくれば、もう一つ「錯覚」というキーワードも成り立つ。ここでまた三つ揃ったわけだ。
「証明」と「環境」と「錯覚」
 そうやって考えていくと、どんどん三すくみが狭まっていく。
 まるでロシアの民芸品の、
「マトリョーシカ人形」
 のようではないか。
 三すくみと呼ばれるものは、考えようによっては、結び付けようと思えばいくらでもできる。少し範囲を広げれば、今言われているだけの三すくみではなく、無限にできるものではないかとも思えてきた。
 人によっては、それを錯覚として、自覚までには至っていないが、自分が自分で創造した三すくみに嵌りこんでいるのかも知れない。
 その三すくみがどのようなものをもたらすのかは、分かっているとすれば、渦中にいる人の中にある、潜在意識ではないだろうか。なかなか意識してしまうと感じるのは難しいことで、きっと、
「錯覚だ」
 として片づけてしまうことだろう。
 特に人間は、超常現象や気持ち悪いと感じる現象に遭遇すれば、どうしても怖いという思いが先行し、それを打ち消そうとして、錯覚だと思い込もうとするのかも知れない。
 それを思うと、つかさには、
――錯覚であっても、軽率に考えて、スルーしてはいけないんだ――
 と思うようになってきたのだ。
「ところで性格的なドッペルゲンガーという発想には、何かモデルのような人がいたりするんですか?」
 と質問してみた。
 すると彼女は笑って、
「そうですね、別にこれと言っているわけではないんですが、もしいるとすれば、自分の中でしょうかね。そもそもドッペルゲンガーというのは、同じ時間、同じ次元で、別の場所に存在している『もう一人の自分』ということですからね。少なくとも自分でなければ成立はしないんですよ」
「でも、この性格的というニュアンスで考えて小説を読むと、同じ人物ではないかのように思えてくるんですよ。そう思って読み込んでいくと、最後には何か、本当に違う人間なのではないかというボヤけた感覚に陥ったまま、読み終えてしまうんですよ」
 というと、
「なるほど、そうでしょうね、そんな話は公開しているサイトで、言われたことがあります。それは公開部分の感想で書かれたものではなく、一読者から、SNS内のメールとしてもらったものだったんですが、その人が面白いことを書いてましたよ」
「面白いというと?」
作品名:三すくみによる結界 作家名:森本晃次