三すくみによる結界
三すくみというものが、つかさに対してどのような思いをもたらすのか、ハッキリとは分からないが、気持ちの中にあるモヤモヤが、今であれば、自分独自の言葉として形づけることができるような気がして仕方がなかった。
ネット記事
何かの記事を独自に発信しようという気持ちはあった。自分の会社から出せればいいのだろうが、あまりにも夢物語であるため、編集長が許可を出すはずがない。何しろ、
「自分が書きたい作品を書くことができない」
そんな出版社だからだ。
しかし、それも仕方のないことで、自分はプロの作家ではない。実際に人に伝えるべき現実を、ライターとして書く。そこには、本人の意識はほとんどない。あったとしても、読者をひきつけるものでなければならない。あくまでも主役は、雑誌に書かれた題材なのだ。
だが、発信したいという気持ちもあり、ただ、そのままの情景を書いても、読んだ人は面白いかも知れないが、つかさにとってはあくまでも仕事でしていることと同じでしかないので、そんなものを書く気持ちはなかった。当然いくらか修飾して書くくらい許されるだろう。
書きたいという気持ちがありながら、なぜか書けない気持ちにもさらに苛立ちを覚えていたのだ。
またしてもムラムラした日々が数日続いたかと思うと、ある日ネットを見ていて、奇妙な記事を見つけた。
偶然目に入ったといえばそれまでだが、本当に偶然だったのだろうか。普段はあまり見ないオカルト関係のページであったが、気になったのは、
「性格的なドッペルゲンガー」
という表題になっていて。その見出しに対しての説明文で、
「性格的なドッペルゲンガーというのが、存在するのか」
ということをテーマにして書かれているようだった。
ドッペルゲンガーというのは、いわゆる、
「もう一人の自分」
ということであり、
「似ている人間ではなく、あくまでも自分のことである」
というのが、ドッペルゲンガーの基本であった。
考えてみれば、ネットで何かを検索するなどということも、今の会社に入らなければすることもなかっただろう。仕事上やむなくネットで検索しないといけないという状況になったのは仕方のないことで、学生時代は気になることがあれば、本を買ったり、図書館で見ていたりした。
まわりの人からは、
「何という希少価値な人間なんだ」
と言われていたが。それでもよかった。
猫も杓子もネット、ネットと騒ぐことがどうにも自分の性格に合わないと思ったのだ。
「人と同じでは嫌だ」
と感じているつかさは、
「皆が皆ネットに嵌るのなら、私のようなアナログ人間がいたっていいじゃない」
と思っていた。
高校時代まで、たまに小説を書いたことがあったのだが、その時は手書きだった。パソコンを使える環境がなかったわけではなかったが、あくまでも手書きにこだわったのだ。
今ではさすがに、手が痺れてきたりして、書く量に限界が生じてしまうことで、パソコンを使っているが、いまさら手書きに戻すことはできないが。手書きで書いていた頃の自分の作品も大切に保管してあるというものだった。
そのうちの半分くらいは、パソコンに打ち込んで、パソコンでも保存してあるので、何も原紙を保管しておく必要もないのに、保管しておこうと思ったのは、手書き時代に書いた作品として、それ以外の作品との差別化を図りたいという思いと、やはり、直接的な手書きへの執着であろう。
「ネット万能の時代に、手書きを主として書いていた時期があった」
ということを、自分で意識できるように残していると言っても過言ではないだろう。
ただ、つかさはネットが嫌いだったというわけではない。ネットはネットでいい部分もあったのだ。実際に検索を始めると、書きながら調べることもできて重宝する。だからと言って、従来の気持ちを失いたくないという思いとが交差しているというのも事実であろう。
ちょうどその日も手書きの頃に書いた作品のノートを取り出して、懐かしくなって見ていたのだ。
時間的には十分ほどだったが。自分では三十分以上は見ていたような錯覚に陥っていたのだ。
仕事でいろいろな情報を検索する時くらいしかネットを利用しなかったが、最近は小説の無料投稿サイトにも目が行くようになっていた。
元々、出版業界は、新人作家への登竜門が少なかった、有名出版社の新人賞に応募するか、あるいは持ち込み原稿くらいしか手段がなかった時代があった。いわゆる昭和の時代がそれであったが、新人賞を儲けている出版社も数個しかなく、さらに持ち込み原稿など、誰が目を通すものかというのが現状である。毎日のように新人作家が売り込みにくる出版社も数が限られているのだから、当然一社に対して一日十人以上などということも結構だっただろう。
いちいち、そんなものを読んでもいられない。そうなると、封筒を開けることなく、ゴミ箱行きというのが、当たり前だっただろう。
しかし、世紀が変わる頃に、いわゆる「自費出版系」と呼ばれる会社が数社立ち上がった。
彼らの触れ込みは、
「原稿をお送りください。評価をしてお返しします。その際に数パターンの出版方法をご提案されていただきます」
なとというものであった。
持ち込み原稿がすぐにゴミ箱行きだということは、ほとんど誰もが周知のことだった。だから、原稿を見てくれて。しかも評価をして返してくれるのだから、それだけでもどれほど良心的かということを示している会社であった。
良心的な会社だと思うから、原稿を送る方も、先方の見積もりに気持ちを動かされる。しかも、有名書店に一定期間置くと言われれば、心が動くのも無理もないことだ。
協力出版などという、出版社と筆者の間で本の代金を折半するというものであるが、一般の人間にはさすがに簡単に手を出せる金額ではない。
だが、それでも不思議なもので、実際に出版する人や本の数はハンパではない。有名出版社をはるかに超えて、日本一の出版数を誇るところも出てきた。破竹の勢いとはまさにこのことであろう。
これはあくまでもブームである。ある意味、昭和の最後の汚点ともいえる「バブル経済」に似ていると言えよう。
実際の経営は自転車操業で、まず、宣伝を大々的に打って、原稿を募集する。そして、原稿を読んで、批評して作者に返す。そこで見積もりを出して、さらに出版を促す。これが大きな流れだが、要するに本を出す人が増えなければ、宣伝広告費と、本を読んで批評して返す人、そして同じ人かも知れないが、その人たちが本を出すと言わせて、本を作製するまでのサポート。かなりの人件費がかかることであろう。
そうやって部数を増やしていくのだが、この後大きな問題が孕んでいる。
出版社が会社を興した時は、ここまではある程度計算していたかも知れないが、それ以降の出資を考えていたかどうかである。
本の製作費は計算していたであろうが、本屋に本を置いてもらえるとは思っていないだろうが、ひょっとすれば、一日二日は置いてもらえるなどという甘い計画もあったかも知れない。
だが、一日二日では雀の涙にしかならないが、実はこの問題が二つの大きな意味を持ってくるのである。