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三すくみによる結界

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 若者用語のようにも感じ、最近の言葉のように感じるが、果たしてそうだったのだろうか?
 言葉として普及していなかっただけで、同じことを考えていた人はたくさんいたのではないかと思うと。その温度差に、つかさは色の違いを感じるのだった。
 つまり、青く氷のような色は時間も空間もそして人間の感覚もすべて凍らせてしまい、時間自体を遅くしてしまうことになるのではないか、凍ってしまったかのように見える人も実際には微妙にゆっくりと動いていて、決して止まっているのではないという発想である。
 だから、全体の色を明るくすれば、空間も時間も少しずつ早くなってくる。
 つかさは、この三つ、つまり、
「時間、空間、人間」
 で三すくみを形成してみようと思った。
 そこで考えられるキーワードとして、つかさは、「支配」をイメージした。
 そうなると、考えられる従属関係は、まず時間は空間よりも強い。理屈としては、空間までは三次元で一つの感覚だが、その外に覆いかぶさっているのが四次元を形成する時間というものである。
 そして次に、空間と人間の感覚であるが、人間は空間を乗り越えることはできない。時間のように架空の感覚ではなく、実際に見えているものであるにも関わらず、空間を思うように扱うことができないからだ。それに比べて、人間は時間を自分の行動に合わせてコントロールすることができる、だから人間の方が従属しているのではないかと考えられるのだ。
 これが、人間を三角形の頂点として考えた時の発想であるが、他にもたくさん似たような三すくみは存在することであろう。
 人間一人の中の発想として、
「夢、意識、記憶」
 でも三すくみができたではないか。
 三すくみという発想はどこでも作ることができ、そして、そこには何かのキーワードが存在している、
「夢、意識、記憶」
 という三すくみに存在しているキーワードを考えると、つかさは、
「呪縛ではないだろうか」
 と考えた。
 縛ることに強い因縁を感じる。それが、人間一人の中に存在しているものであるとすれば、呪縛という言葉が当てはまるのではないかと思うのだった。
 そういう意味では、電車の中の密室という発想、これも一つの呪縛と言えるのではないだろうか。
 基本的には人に対しての言葉なのだろうが、自由を束縛するという意味では、決まった空間の中だけで繰り広げられるもの。そう考えると、三すくみと言うのも、決まった範囲の中でそれぞれがけん制し合って、表に出るのを抑制しているとも言えるだろう。
 そうなると、
「三すくみにはキーワードが存在する」
 と考えているが、そのキーワードというものには限りがあり、特に大きく分けると先ほどの、
「支配」と「呪縛」
 という発想になるのではないだろうか。
 つかさにとってその考えは。今までに考えたことが一度はあったような気がした。
 しかし、考えたことを一瞬にして打ち消したのか、それともすごいことを閃いたと思って、
――覚えておかなければいけない――
 と思ったことが却ってあだになってしまい、余計な意識がそのまま記憶として封印されてしまったのではないだろうか。
 つかさは、そんな三すくみのことを友達に話そうかと思ったが、話ができるような信用してくれる人もいないし、話をしてはぐらかされようものなら、そのショックが結構大きいことを感じていた。
 もし、話をできる相手がいたとしても、どのように話せば理解してくれるかなどということも分からない。出版社で雑誌記者をしているくせに、しかも文学部を出ているのに、語彙力という意味では他の人に遥かに劣るというのは分かっていた。だからといって、他に勝るものがあるのかと言われると難しいのだが、せめて、人がしないような発想、今回のように三すくみのような発想をできるというのが、自分の中での強みであり、最終兵器のように思っていた。
「いざとなれば、奇妙な話をどんどん思いつけばいいんだ」
 などという発想はまるで子供のようでもあるが、実際に今までの経験は、きっと他の人にはないものだと感じていた。
「もう少し、語彙力があれば、奇怪な話をテーマにした特集でも組めたのかも知れない」
 と感じたが、逆にあまり奇怪な話に語彙力を表に出して表現すると、
「読んでいる人が混乱するのではないか?」
 と思うのだった。
 今までいくつか、観光スポットの記事を書いてきたが、奇怪な話を書いたということはなかった。編集長からも、
「読者が行ってみたいというような楽しい記事を書いてほしい」
 と言われていたので、言葉から判断すると、
「無難な記事で纏めなさい」
 と言われているようにしか見えなかった。
 それだけ編集長はつかさの記事を、
「無難にしか書けない編集者」
 あるいは、
「冒険をさせてはいけない編集者」
 として見ていたのかも知れない。
 冒険をさせられないというのは、奇怪な話が面白いというわけではなく、下手に話をいじって、禁止ワードに触れないようにしないといけないという考えからだったのだろう。
 編集者としての力はそれほどでもないが、無難にまとめる記者としては、貴重な存在だと思われているとすれば、どうにも微妙な気持ちにさせられてしまう。
 確かに取材をしてきて自分の記事を起こすのは嫌いというわけではないが、これは誰にも言っていなかった自分だけの願望なのだが、
「いずれは小説家になりたい」
 という思いがあった。
 本当はそういう意味では出版社に入って、自分で記事を書くというのは、不本意な気がする。なぜなら、自分のなりたい小説家は、あくまでもフィクション作家であり、ノンフィクションのようにすでにあったことをただ文章にするというだけのことは嫌だったのだ。
 しかし、作家になると言っても、すぐになれるものではない。自分で勉強して少しずつ書けるようになっていくものだと思っている。最初は出版社に入社して、
――小説を書けるようになるための勉強をさせてもらおう――
 と思っていたが、それが自分の本当の意志に逆らっていることに、次第に気付いてきたのだ。
 実際に好きで、やりたいことを掠めるような仕事についたことで、やりたいことを横目に見ながら、自分は別のことをしなければいけないという大きなストレスを、自らで担ぐとになってしまうとは、思ってもいなかった。
「我慢できることとできないことがあるとすれば、出来ないことなのかも知れない」
 と、特に最近はそう思うようになっていた。
 それを強く感じたのが、山陽道の取材旅行から帰ってからのことだったのだ。
――このことを感じさせてくれたのが、井倉洞や後楽園で見た、あの人だったのかも知れないな――
 何がそんなに前と違ったのかは分からないが、明らかに違う思いが頭の中によぎっていて、今まで忘れていたはずのない、
「小説家になりたい」
 という思いに再び火をつけてしまったのだ。
 ひょっとすると、今回の旅行で今まで自分の中で燻っていた思いが、三すくみへの思いとして形になってきたのかも知れない。
作品名:三すくみによる結界 作家名:森本晃次