短編集98(過去作品)
そういえば、中学時代にも同じようなことがあった。あの時はまわりがまったく見えない頃で、女性というものを意識するようになってすぐの頃だった。
――彼女がほしい――
と一番露骨に考えていた頃で、まわりを見る余裕などなく、友達の彼女であることを知らずに、何とか仲良くなろうと一生懸命に話をしていた。相手は話を逸らそうとしているにも関わらず、自分の話を一生懸命にしていた。とにかく相手に分かってもらいたいという一心の元に話しかけていたのだ。
押し付けになっているなど考えもしなかった。自分の中でどんどん言葉が出てくるのが嬉しくて仕方がなかったくらいだ。
――相手の反応などどうでもいい――
ただそう感じていただけなのだ。
あの時は、まったく分からなかったのに、後から思い返すと顔から火が出るほど恥ずかしい思いをした。どこで気付いたのか分からないが、気付いたことで忘れていたものまで思い出せた気がしたのだ。
それにしても、今日はマスターとなっちゃんの関係によく気付いたものだった。今までであれば後から気付いて、その時に気付かなかったことに後悔したものだが、今日に限ってはいつもと違う。
――店の雰囲気だろうか――
と感じると、初めて来たはずの店なのに、見覚えがある気がして仕方がない。
それも最近の記憶ではない。かなり前から知っていたような記憶である。テレビで見たバーを想像していたとすれば、小学生の頃からのイメージがあったとしても不思議ではない。
「奈緒さん」
「えっ」
思わず口走ってしまった言葉だったが、さっきから言葉にならないだけで、彼女の目を見ながら訴え続けていた言葉だった。
うろたえる彼女を見ていると、次第に怯えに変わっていくのが分かった。マスターの方に顔を向けると、マスターは頭を下げたまま上げようとしない。だが、その姿には見覚えがあった。
――佐久間三郎――
確かに佐久間だ。彼は、小学生の頃、和彦を苛めていた連中の輪の中にいた一人だった。しかし、自分から手を下そうとは決してしない。グループの中心人物から背中を押されて嫌々していたやつだ。
マスターが顔を伏せたまま頭を上げようとしなければ気付かなかっただろう。どれだけ時間が経っていようとも、心の中にトラウマとして刻まれたものを拭い去ることはできない。それは和彦も同じだし、奈緒にしても同じだろう。
奈緒が必死に助けを求めるような表情を向けているのに、それに答えようとしない佐久間、それを見ていると、和彦の中に妙な気持ちがこみ上げてきた。
――このゾクゾクする感覚は一体なんだろう――
奈緒を見ていると性的興奮を覚える。助けを求める表情は、逃れられない視線に対する怯えが満面に出ていて、見られることへの恐怖心を煽っている。
――まるで昔の自分を見ているようだ――
以前までなら、同じ目に遭っている人に対して哀れみを感じて止めていたに違いないが、今は違う。怯えを見せる相手を追い詰める快感に酔っている自分がいることに気付いている。
――悪魔が乗り移ったのだろうか――
いや、自分の中にあるもう一人の自分が顔を出しただけなのだ。バーという店の雰囲気は、もう一人の自分が見え隠れしていたことを気付かせるには十分だった。
奈緒の顔を見て、
――もっと苛めたい――
と感じるのは、彼女に女を見たからだ。嫌がってはいるが、その表情の奥には、もっと見てほしいという気持ちが含まれているように思えてならない。
自分の中に苛められる自分と、苛めている自分とが同居している。そう考えると子供の頃に苛められていた理由が分かってきた気がした。
――あの頃の僕を苛めていたのはまわりではなく、本当はもう一人の自分だったのかも知れない――
確かにまわりの連中の苛めはあったが、それを煽っていたのは、自分の中のもう一人の自分。苛められる側にも苛められるだけの理由があったのだ。
――他の人と一緒では嫌だ――
というのは、他の人に苛められるくらいなら、自分自身でやられる方がいいという考えがあったに違いない。ある意味、「逃げの気持ち」だっただろう。しかし、それが却ってまわりを煽る結果になってしまったことにもう一人の和彦が気づくはずもない。
――一体今の僕は一体どの自分なんだろう――
二人を見つめながら考える和彦だった。
――いつも考えていることが店の中で起こったのか、それとも店の中に入ったから、いつも考えていたことのように思うのか分からない――
明日になれば、そう考えているに違いない。
暗い店内に三つのキャンドルが燃えている。最初は赤、途中から青と、色が幻想的に変わるキャンドルだ。そのキャンドルを見つめていると、最後はきっと白いキャンドルになると信じて疑わない和彦だった……。
( 完 )
作品名:短編集98(過去作品) 作家名:森本晃次