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短編集98(過去作品)

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 ただ、そんな彼女を見ていて、いつの間にか自分もニコニコしていることに気付かなかっただけだった。しばらくすると、彼女が和彦の方を振り向いて笑顔を浴びせたが、その時に満面の笑みを返したつもりだったが、それほど自分では満面だと思えなかった。それも、
――最初から笑みを浮かべた顔をしていたからだ――
 ということをしばらくして気付いたからだった。
 なっちゃんも少し背中を丸めにして、カウンターに両肘をついている。入ってきた時はそれほど大きいとは感じなかったが、座っているのを見ていると、大柄な女性のように思えてならない。表情も笑みを浮かべているが、普段は大人っぽい雰囲気を醸し出す清楚な女性に違いないと思う和彦だった。
――清楚で大人っぽい――
 また、小学生時代の記憶がよみがえってくる。
 名前を奈緒と言ったっけ。同じ「なっちゃん」である。偶然ではないように思えることから彼女をじっくりと見ていた。見れば見るほど小学生時代を思い出す。
 苛められっこだった和彦を一人かばってくれる女の子がいた。それが奈緒だったのだが、彼女が、クラスの男女すべてから一目置かれていることは和彦の目から見ても明らかだった。
 それはやはり落ち着いた雰囲気を感じさせるところから来ているのだろう。
 友達も多く、人から信頼される人格で、先生からも、
「彼女なら大丈夫だろう」
 というお墨付きまでもらっていたようだが、落ち着いた雰囲気が相手に安心感を与えることから皆そう感じていたようだ。
 だが、彼女に大人の雰囲気、妖艶さを感じていた人がどれほどいただろうか。
「気が強そうで、男勝りなところに安心感があるんだよな。だけど、女の子という雰囲気とは少し違うかも知れないな」
 と言っていたやつがいたが、まさしくその通りだ。だが、その友達も結局のところ安心感だけしか味わえなかったようで、
「好きにはならないだろうな」
 という結論だった。
 中学は違うところに通うようになった。彼女は私立を受験し、お嬢様学校で有名な中高一貫教育を目指す女子校に入学したのだ。
 噂を聞くこともなく、ただ小学生時代の思い出としてだけ記憶の中に残っていた。
 だが、小学生時代の記憶だけが残った友達とは残り方が違っていた。
 記憶の中の他の友達は皆小学生時代の記憶のままである。成長してくる姿が想像できないからだ。だが、奈緒に限っては和彦自身の進級とともに成長して大人になっていく彼女を想像することができるのだ。
 元々大人っぽい雰囲気があったから成せるのかも知れない。
 安心感だけで彼女を見ていなかった証拠でもあるが、妖艶さがますます自分の中で大きくなるのは、女性というものを感じ始めたからに違いない。
 中学二年生の頃だっただろうか。クラスメートを見て女性を感じた。いつもニコヤカなその娘が、急に暗い顔になったのだ。
 実は月に一度のブルーな日だったらしいのだが、その時に感じた思いに、自分自身がドキドキしていた。なぜドキドキするのかなど分からなかったが、その時によみがえった記憶が奈緒だったことは言うまでもない。
 その娘のそばを通っただけで、異様な匂いを感じた。女性の色香ではなかったはずだが、嫌な臭いでもない。ほんのりとした甘酸っぱさが、汗の中に混じっているようなそんな香りであった。
――奈緒にも感じていたかも知れない――
 それを思った時、
――これが異性を感じるということなのかな――
 と胸の中で、締め付けられるような思いが、どこか神秘性を思わせるのだった。
 神秘性はやがて、会いたいという現実的な思いを馳せるようになっていた。学校は分かっているので、玄関近くで帰りを待っていることもあったが、結局会うことはなかった。
 待っている間、
――会いたい――
 という思いでいっぱいだったくせに、足の痺れとともに、
――会ってその後どうする――
 という思いが強くなると、
――現れないでほしい――
 という思いが今度は強くなる。それでも帰らないのは、なぜだったのだろう。しばらく佇んでいたはずのその時間はあっという間だったような記憶があるが、実は長かったのではないかと今になって思えば感じられる。
――一体何をしていたのだろう――
 時間の無駄には違いなくそう感じていたが、それもいい思い出であって、それがあったことで今の自分に何か大きな影響を与えているように思えた。
 他人と同じ行動をしたくないという性格に気付いたのはいつだっただろう。今考えれば最初からそう感じていたように思っていたことが疑問に思えてきた。
 時々自分がアブノーマルな性格ではないかと感じることが増えたのも最近だった。他人と同じ行動を取りたくないという思い、それが、自分の中にあるアブノーマル性を思い起こさせるのだろう。
 アブノーマル性というのは、誰にだって少しはあると聞いたことがある。
「アブノーマルと言ったって、それが個性になるんだ。人に言えない遍歴を持っている人はいっぱいいるだろう。そういう世界が得てして犯罪に使われたりするから、アブノーマルな世界への偏見は消えないんだよ」
 と話していた。
 考えてみれば他人と違うことをしたいという性格は危険に思える。小学生時代の担任の先生から、
「皆は社会に出たら、社会の歯車になってほしい。大きすぎずに、小さすぎずに、ちょうどいい大きさになった時、皆さんの力が発揮されるんですよ」
 と言われたことが頭に残った。
 これもその時に頭に残ったことだったのか、それとも、今から思えばあの時の言葉が忘れられないと思ったのか分からない。
 ただ、歯車という言葉を覚えていた。確かに小学生の時は、歯車になることに何の疑問も感じていなかったように思える。もしそうだとすれば、他人と同じような行動を取りたくないという性格であったということとは明らかに矛盾しているではないか。
 バー「フォルテシモ」の入り口でなっちゃんを見た瞬間から、何か過去の記憶がよみがえってきそうに思える。小学生時代からの記憶なのか、もっと前なのか分からないが、どこかを起点に、自分の記憶が遡っていることに違いはなかった。
 中学に入って、奈緒という女性が、
――実は従順なのではないか――
 と思えることがあった。
 大人っぽく見えたのは、自分が苛められっこだったのも理由の一つだろう。まわりの人すべて、自分よりも偉いのではないかと感じられた時期があったのも事実で、奈緒だけに限ったことではないのかも知れない。
 まわりの人すべてが自分よりも偉く見えるというのは今もある。
――あの人にできないんだから、自分にできるはずがない――
 というニュアンスに近いが、人と同じでは嫌だという性格と、これも矛盾している。
 自分の中のあちらこちらで矛盾を感じるが、それも、すべて同じ時期に感じたものでないと思えば納得がいく。
――それぞれ感じた瞬間が違うんだ――
 という考えは、
――いつも何かを考えている――
 という考えに付随しているに違いない。
 奈緒を追いかけてしまいかけたのも、従順な奈緒を見てみたいという気持ちの表れだった。勝手な思い込みだったのだが、信じて疑わなかった気持ちに不安定だった成長期の精神状態が醸し出される。
作品名:短編集98(過去作品) 作家名:森本晃次