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クラゲの骨

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「出ていけ」
 と言われないからと言って、何もしないというのは、お唯のプライドが許さない。
 一緒にいたいと思う気持ちが強ければ強いほど、バレてから、何も言わない彼と一緒にいることは、まるで針のムシロで寝かされているかのようではないか。
 彼が何も言わないなら言わないだけ、苦しむのは自分だからである。
 お唯はくのいちとしての、忍びとしての辛さや苦痛は耐えれる自信はあるが、精神的にえぐられるような苦痛に耐える自信はなかった。
 もし、彼がこのことを知ってお互いにぎこちなくなったら。その時がここから去る時だと思った。
 いくところなんか、どこにもないのに、どこに行こうというのか?
 それこそ、ここに来る前に仕えていた。あの男よりもひどい相手に尽くすことになるかも知れない。
 しかし、それは自業自得である。
 自分がなぶりものになろうとも、奴隷同然の扱いを受けようとも、甘んじて受け入れるくらいのことがないといけないと感じるのだった。
 そんなお唯に、男は何も言わない。
 お唯は、ここから去る時のことばかりを考えるようになっていた。
 もちろん、その時のお唯には、
「弦の恩返し」
 などの話を知っていたかどうか分からないが、知っていたとして、自分がその話の鶴になったかのような気がしているのだ。
 その鶴は単純に恩返しのつもりだったのだろうが、お唯とはまったく別の立場である。
「私は、この人をだますつもりできたんだから、このお話のような結末になってはいけない」
 と考えた。
 だが、結末については、どう考えても決まっているのだった。
 ということは、このお話は、きっかけがどうであっても、最後の結末が決まっているという話だということであろうか。
 巡り巡って、ある意味一周まわって、同じところに戻ってくるというそんなお話なのではないだろうか。
 そんなことを考えていると、
「弦の恩返し」
 という話をもっともっと知りたくなるだろう。
 ここでは、昔話や神話などによく出てくる、
「見るなのタブー」
 という発想が含まれている。
「開けてはいけない」
「見てはいけない」
 と呼ばれるもので、それを相手が破ってしまうと自分はもうそこにはいられないという戒めのような話である。
 これは、見る側が、見てはいけないという約束を破るから、せっかくの幸せを逃してしまうという話で、戒めなのだろうが、見られた側の心境としてはどうなのだろう?
 こういう結末を定めとして受けているのであれば、その運命はあまりにも相手に依存してしまっている。つまりは、
「見られた方は、自分が悪いわけでもないのに、宿命には逆らえない」
 という悲劇になるのだ。
 となると、見られる方も、相手が見ないような工夫が必要だということへの戒めであり、より高度な何かを要求することになるのであろう。
 そのうちにお唯は、妊娠し、子供ができることになった。
 当時は別に婚姻届けのようなものもなく、二人はひそかな結婚だったので、結婚したということすら知らなかった人もいたくらいだが、さすがに一つ屋根の下にいるのだから、子供ができて不自然ではない。
 生まれた子供は女の子だった。
 初めて子供を授かったことで、
「これが普通の幸せというものなのだろうか?」
 と、お唯は感じたのだが、そんなお唯のことをねぎらってあげるとおう様子は、男にはなかった。
 男はまるで、何かに憑かれたような雰囲気で、普通の幸せを肌で感じ、心底嬉しいと思っているお唯とは正反対であった。
「お前さん、子供は何という名前にしましょうかね?」
 などと、すでに母親の顔になっているお唯を見つめた男は、今にも泣く出しそうな顔になっていた。
「こんなに喜怒哀楽を顔に出す人だったんだ」
 とばかりに、お唯は今までの男のことを考えていると、その顔にどうしていいのか、考え込んでしまった。
 なぜなら、彼女の顔は喜怒哀楽の中でいえば、明らかに、
「哀」であった。
 まるで、情けなさそうな表情は、悔しさも含んでいるようだ。悔しさを感じると、今度は怒りにも見えてくる。
 何がそんなに悔しくて、悲しいというのだろう?
 確かに男の子であれば、後継ぎなどということもあるのだろうが、農民の子供に、跡取りもくそもないものだ。
 どうせ、農民に生まれれば死ぬまで農民。男の子ができても、与えるものなど何もないのだ。
 そんなことを思っていると、子供が生まれて半年ほどしてからのことだろうか?
 お唯のところに、地主の人を引き連れて、旦那が帰ってきた。
「お唯、悪いがその子は、地主様に預けることになる」
 というではないか。
 驚愕で、声を出すこともできないお唯は、足元が割れて、まるで歌舞伎の奈落の底にでも落とされたかのような気がした。
 狂喜乱舞の状態にならなかったのが、自分でも不思議だった。
 くのいちを抜けてから、細々ながらも、好きな夫と一緒に励ましあいながらここまでやってきた。
 知り合って数年であるが。元々はスパイだったということを忘れさせてくれるほどの幸せだった。
「あの時の報いなのだろうか? あの人を欺いて、ここにやってきた時の」
 と思ったが、
「すでに私は、あの時の私ではない。夫に尽くして、ここで骨をうずめるつもりだったのに、どういうことなの?」
 と叫びたかった。
「少なくとも、子供だけは取り上げないで」
 と夫に懇願したが、夫は黙ってうなだれるだけだった。
「どういうことなの?」
 と聞いても夫は答えようとしない。
 それに呼応したのは地主の方で、
「奥方は、この村の掟をご存じないようだな。この村では、女の子が生まれると、半年後に里子に出されるんだ。この村には、男の子だけが残ることになる」
 と、言われて、
「そういえば、この村に来た時、何か違和感があったが、ハッキリとはしないモゾモゾとした感覚だった。まさか、それが、子供は男の子しかいないということだったのかと思うと、分かっていたはずなのに、何を今さら思い出させるのか?」
 と思えてならなかった。
 あの時に気づいていたとしても、できることといえば、このような苦しみを感じないようにするには、
「子供を作らないようにすること」
 としか言いようがない。
「でも、家の存続はどうなっているんです? 男ばかりというわけにはいかないでしょう?」
 とお唯が聞くと、
「お嫁さんは、まわりの村からもらうんだ。皆が審査する形でな」
 と地主は言った。
「どうして?」
「そうした方が、いい嫁がくる。それが、この村の昔からの伝統なんじゃよ」
 というではないか。
 ということは、自分も審査されていたということだろうか? だとすると、かなりいい加減な審査だろう。そんないい加減な調査しかできない分際で、よくも子供を取り上げようなどとするものだ。
 そんなことを考えると子供を取り上げられた方はたまったものではない。
「こんな村、すぐに出て行ってやる」
 と心の中に決めていた。
 旦那になった男を密偵にきたつもりだったのに、来てみると、依頼人を裏切らせるほどのいい人だった。
 しかし、いい人すぎて、優柔不断であった。自分の主観から何もすることができない。
作品名:クラゲの骨 作家名:森本晃次