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クラゲの骨

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 しかし逆に、筆おろしを役目とすることで、何度も経験しているうちに、快感が膨れ上がってくるのかも知れない。
 と感じるのだった。
 みきも、最初は嫌だったのかも知れないが、やっているうちに嵌ったのかも知れない。特に補正というのは、我慢強いということを聞いたことがある。
「一体、今まで何人の童貞を奪ってきたのだろう?」
 と思うと、興奮してきた。
 童貞を奪う。卒業させるという言い方は、これ以上ないというくらいに上から目線だといえるのではないだろうか。
 そう思った時、先輩の顔が浮かんできた。先輩とみきの関係を詳しくは知らないが、少なくとも、身体を重ねた関係であることは間違いないだろう。
 果たしてそこに、恋愛感情はあるのだろうか?
 二人の関係が、恋愛感情以外のものであるということも十分にありうる。
 しかも、それが、肉体関係というだけのことだという可能性だってある。
 しかし、そこに、興奮というワードがあるのは間違いのないことであり、
「もし、自分が童貞でなかったら、みきのことを好きになれるだろうか?」
 と考える。
 初めての相手というのは忘れられないものだというが、本当にそうなのであろうか?
 みきを抱いている瞬間、最高に好きだったという感覚に間違いはなかった。だが、我に返ると、何か物足りない気がする。抱いている間から、我に返るまでの間に何があったのだというのだろうか?
 男性と女性とで、感じる時の、
「感じ方」
 というのが違うという。
 男性は、徐々に感情が深まっていき、それと同じように、徐々に身体も高まっていく。その快感が最高潮に達し、果ててしまうと、我に返るまでの時間があるのだ。
 しかし、女性の場合は違うという。
 たぶん、身体に感じる快感は、その瞬間を輪切りにしたのであれば、女性の方が圧倒的に感じているのではないだろうか。
 そして、絶頂というものが、男性とは違い、何度も訪れる。一度受けた快感は、萎えることなく、まるで波を打っているかのように、一度収まってきた快感は、すぐに元に戻ってくるのだ。
「女性は、何度でも、快感を味わうことができる」
 というではないか。
 男性の場合は、一旦果ててしまうと、次にまた興奮がよみがえってくるまでの間が結構長い。その間、男性は、いわゆる、
「賢者モード」
 と呼ばれるものに突入する。
 自慰行為をした場合、果ててしまうと男性は、身体が敏感になり、快感がむず痒さに代わり、その感覚が、罪悪感のようなものに繋がっていく。それがいわゆる、
「賢者モード」
 と呼ばれるものである。
「男と女、一度のセックスにおいて、全体的にどちらの方がより総合的な快感を得られるのであろうか?」
 と考える。
「総合的というのは、一瞬一瞬の快感の高ぶりは女性であろうが、男性は一気にその数倍の快感を覚えることができる。回数でいくのか、その時の興奮度でいくのか、その全体のバランスを考えない快感を積み重ねていった時のことを、快感というのだった。
 快感は訪れる時、自分で分かるものである。
 例えば、
「足が急につる」
 ということがあるが、この時は、
「あ、まずい」
 と、一瞬前に気づくものだ。
 しかし、気づいても止めることのできないギリギリのところで襲ってくるので、止めることはできなくても、その痛みに備えることはできる。
 何度も同じ痛みを感じていれば、どのタイミングで力を入れると、一番苦しまないか分かるだろう。
 だが、実際にはそんなにうまくいくはずもなく、
「いかに、苦しい間をうまくやり過ごすか?」
 あるいは、
「痛みの継続を、いかに、短く感じられるようにするか」
 ということが問題であるが、
 実際に痛みが襲ってきた時、どれくらいの時間、痛みがあるのかということを最初に分かってしまうので、コントロールすることは不可能であるため、後者への対応は、ほぼ無理だといってもいいだろう。
 いくら分かっているからといって、いや分かっているだけに、どうなるかということは最初から想像がつく。そして、
「痛みをKントロールできるくらいなら、苦労はしない」
 と感じるのだから、結果として、いつも、同じ痛みが繰り返されているのだった。
 そして、その時には、
「これ以上の痛みなんて存在しないのではないか?」
 とまで思うくらいの痛みに、これから、何度となく味わわされることになるのだろうと感じるのだった。
 だが、女性は、男性に比べて我慢強いと言われているようだが、男と女の何が違うのかを考えれば、一目瞭然である。
 そう、妊娠出産である。出産の際の陣痛から、出産までの間。これは男には分からない。見ている限り、
「何であそこまで苦しまなければいけないんだ?」
 と思うほどで、
 出産のことを、
「腹を痛めて生んだ」
 という表現を使うが。まさにその通りである。
 もっとも、作者である男性には分かるはずのないことであるが、それだけに、快感も分かれという方が無理なことなのだ。
 そんなことを考えていると、克彦は、
「まるで海の中を泳いでいるような感覚」
 を覚えるようになった。
 あれはいつだったか、マンガを見ている時、普通の道が、まるで海になってしまったかのようなシーンがあったのだ。マンガならいざ知らず、これを文章で表現しようというのは、かなり難しいものである。
 ただ、急に歩いていて、主人公が、目の前にいきなり飛び込んだのだ。
「サブン」
 という音がして、見えないはずの水しぶきがマンガとして描かれていた。
 子供の頃だったので、子供心にも、本当に、空気の中が水槽にでもなったかのように水圧を感じているのを感じたのだ。
 エスカレーターに乗っている時、普段は動いているエスカレーターなので、降りる時と乗る時の段の高さが急に厚みが深かったり、浅かったりしても、ほとんど感じないが、動いていないエスカレーターであれば、思わず身体が前につんのめってみたりする感覚と似た違和感を思わせるのだった。
 それが海であれば波がある。海を思い起こしてみると、想像されるのは、海の中から、上を見た時に、光って見える感覚である。実際に海の中に潜って見たことなどないので、テレビなどの画僧で見るしかなかったのだが、その感覚を思い出してしまう。
 それが、快感が襲ってくる間に感じることであった。
 快感は、何度も襲ってくる。毎回同じような感覚なのだが、毎回同じではない。同じものは一度としてないと感じるのだが、それはきっと、今海に感じた、透き通るような感覚はあるのだが、毎回微妙に違っているのだ。
 もちろん、童貞卒業のその時に、そこまで分かったわけはないのだが、後から思うと、最初から分かっていたような不思議な気がしてくるのだった。
 いつも同じようで、微妙に違うという感覚は、いつも同じというのは、海か引き起こす波に揺られているような感覚の中にいて、その中で、自分が何かの生き物になったような気がするからだ。
 それは何かというと、クラゲである。
 クラゲという動物は海の中に生息し、浮遊することで生きている動物だ。形や雰囲気はイカに似ているが、まったく違うものだといってもいいだろう。
作品名:クラゲの骨 作家名:森本晃次