クラゲの骨
ということで、その場所が高いところであるという、勝手な妄想に走ってしまっていたりする。
閉所の側から見ると、暗い場所は、すべてが影だという感覚に陥ることで、光がないだけで、狭い場所だということを、妄想してしまう。逆にいえば、高所でないとすれば、閉所しかないという発想であり、結局は、恐怖にしか結びつかないという、一種の、
「負のスパイラル」
ということになるのであろう。
この三つの理論も考え方によると、
「三すくみ」
になっているのかも知れない。
それぞれn恐怖症は、単独でも恐ろしいが、二つが重なれば、数倍の恐怖を生む。
しかし、三つが重なると、それぞれの恐怖を打ち消しあうという作用が働いて、そこにまるで三すくみのような関係になるのではないかと思うのだ。
そういう意味で、昔から、
「三大〇〇」
などということを言われたりしているが、中には、この三すくみの関係を模して、言っていることもあるかも知れない。
この、恐怖症であったり、人間の心理に関係するようなものであれば、それぞれの頂点にいかなる問題が孕んでいるかということを考えると、
「身動きのできない三すくみ」
という関係が、見え隠れしているように思えるのだった。
三すくみは、そもそも、それぞれがけん制しあう関係からのことである。恐怖の感情とは切っても切り離せないものなのであろう。
そのうち、克彦は、高所と、閉所が恐怖症であった。高所恐怖症になったのは、小学生の頃、木登りをしていて、後ろから犬に吠えられたことで、背中から落っこちて、運悪くそこに意思が落ちていたことで、ちょうど背中に当たってしまった。
その時呼吸困難に陥り、
「死ぬかと思った」
と、あとでは笑い話になった程度で済んだのだが、本人には、それがトラウマとして残ってしまったようだ。
それから、高いところに行ったり、そんなに高くなくとも、足場が不安定であれば、足がすくんで、一歩も進めないのだ。
呼吸もできないような感覚になることで、どうしようもなくなるのだが、それから少しして、今度は暗所が怖くなったのだった。
宿題を忘れて行ったことで、母親から怠れた。
と言っても、それは、
「お父さんがなんていうか」
という、父親中心の考えであった。
その程度のことで怖いわけはないのだが、
「お父さんに怒られるのは、自分だ」
とあからさまに言われているような気がして、怒り心頭とはこのことだった。
そんな母親に怒られるのは、父親に怒られるよりも理不尽だ。
最初の頃は、理不尽であっても、
「どうせ怒られるのはお母さんなんだ」
と、母親に少しは罪悪感をいだいていたが、その時は、自分の責任転嫁を口にしたことで、
「お母さんが怒られるのは、俺のせいじゃない」
ということを考えていたが、同時に理不尽に叱られるのも嫌だった。
確かに、元々は宿題を忘れた自分が悪いのだが、すでに母親の本心を見抜いた瞬間に、理不尽さは抜けていた。
「黙ってやり過ごせばいいんだ」
とばかりに、家の奥にある納屋に閉じこもってしまったのだ。
母親も、まさか子供がそんなところに隠れているなんて思ってもいないだろうから、必死で探している。
「夕方になれば、何食わぬ顔で出ていけばいいや」
という思いであったのだが、それは、自分に責任がないと言わんばかりの開き直りであったのだ。
だが、出ようとするのだが、出られなかった。何やら、抑えているものがあるようで、扉があかない。
「開けて」
と叫べばいいのだろうが、それを自分の気持ちが許さない。
ここで声を出せば、自分の負けになってしまい、せっかく隠れたことが無駄にあってしまうと思った。
だから、隠れていたのだが、どうも、母親も自分を探している様子はないようだ。
しばらく考えていたが。このまま父親が帰ってきて、話がややこしくなるのは、それこそ、考えに及ばないことであった。とにかく、まずは父親が帰ってくる前にここからでるのが先決だったのだ。
「お母さん、ここだよ」
と声を出して叫ぶが、どうやら喉がカラカラになってしまったようで、声が出なかった。こんなことをしているうちに、父親が帰ってくる。
それらの思惑が複雑に絡み合って、精神的に落ち着かなくなってしまった。
次第に、息苦しくなってくる。
「これは、高いところにいる時のあの恐怖ではないか?」
と思うと、さらに焦りが湧いてくる。
何とか声を振り絞って叫んだ声が聞こえてくれたおかげで、父親にバレずにすんだのだが、たかが宿題ごときのことでここまで焦ってしまうとは思ってもいなかったという思いから。暗い場所も、恐怖に感じるようになったのだ。
きっと狭い場所の恐怖なのだろうが。あの時は、とにかく暗いというイメージしかなかった。
イメージは一つだけのようだが、大きなダメージを受けるのであって、自分からそんなダメージを受けるかのような精神状態だったというのは、それだけ、父親に対しての恐怖と、母親に対しての憤りがあったからに違いない。
そんな克彦は、自分が、
「女性っぽくなったもではないか?」
と感じるようになった。
今まで感じていた優しさというのは、女性っぽさというのが自分の中にあることで、特に相手が女性であれば、さらに女性っぽさが出てくるのではないかと思うのだ。
男性に対しても、優しさのつもりが女性らしさになるので、男性も女性も、どちらも、克彦のことを、
「好きな人も嫌いな人も、それぞれ徹底している」
と感じるのだった。
好きな人は徹底的に好きになってくれると、嫌いな人は、本当に憎まれているのではないかと思うほど、露骨に嫌われた。
基本的には、ほとんどの人が克彦のことを嫌いだろう。
「あんな女の腐ったようなやつ、信用もできないし、生理的に受け付けない」
という思いが強く、特に女性から嫌われていたようだ。
友達もあまりおらず、もちろん、彼女もできなかった、大学生になるまで童貞だったのだが、大学の先輩が紹介してくれた彼女と、自分でもよく分からなかったが、たぶん、あまり飲めない酒を勧められて、前後不覚になったところを、うまく付け込まれたのだろう。
というよりも、最初から、先輩は計画通りだったのかも知れない。
それは、克彦の
「童貞喪失作戦:
であった。
その先輩は、今までに同級生や後輩の
「筆おろし」
を何度か計画し、実行していた。
別にまわりに自慢できることではないが、筆おろしをさせた相手からは、ありがたがられたのである。
だから、自分で勝手に、
「俺は、まだ童貞のやつの筆おろしをさせてやるんだ。一種のプロデュースのようなものだな」
と思っていた。
幸い、友達の女の子に、
「童貞キラー」
という異名を持つ女の子がいて、もっとも、そんな女の子が友達にいなければ、そんな計画を立てるようなこともないだろう。
彼女は、童貞キラーとして、
「私は女神なんだ」
という錯覚を覚えるほどになっていたのだった。
彼女の名前は、川崎みきという。彼女には、男性の素振りを見れば、すぐに、
「この人は童貞なんじゃないか?」