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クラゲの骨

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 などと、いうようになったようだが、作者は、今までと同じ表記を使いたい。
 やはり昭和生まれだからだろうか?
 それが昭和になると、どんどんエスカレートしてきて、会社における上司と部下などの関係も厳しくなってきた。
 上司が今まで冗談で、あるいは、コミュニケーションの一環として言っていた世間話的なことも、
「それ、セクハラです」
 と一蹴され、そのとたんにまわりの人から、
「セクハラ上司」
 のレッテルを貼られたり、上司が部下に仕事を命ずるなどということが許されないというような会社も出てきたであろう。
 緊急性やスピードを要する仕事で、命令ができないなど、あってはならない場合でも、
「パワハラ」
 などと言われたくない上司は、お願いすることしかできなくなり、結果、失敗に終わってしまって。笑い話ではすまなくなることも少なくない状態になってきた。
「そんな世の中に誰がしたのか?」
 と言いたいところであるが、今の世の中において、コンプライアンスというものがどれほど世間で叫ばれているかということになると、
「そこに本当の強さはあるのだろうか?」
 ということになるのである。
 それこそ、
「冤罪を呼ぶのではないか?」
 あるいは、
「便乗して、犯罪を誘発するのではないか?」
 と言われてしまうのだ。
 特に、痴漢や盗撮事件などになると、今までは自分から何も言えなかった女性が声をあげると、その瞬間、男性は一瞬にして犯罪者にされてしまう。
 あるいは、その時はスルーしかかっても、電車を降りる瞬間に、怖いお兄さんが出てきて、
「お前、触っただろう?」
 と言って、一人の男を脅迫に掛かる。
 実は二人は共謀で、やってもいない気の弱そうなサラリーマンに目をつけ、
「会社にばらすぞ」
 と言って脅しをかける。
 一種の、
「美人局」
 のようなことで、男性を脅迫し、お金を脅しとる。
 昔から、痴漢として捕まると、冤罪であっても、その場で現行犯として捕まってしまうと、
「家庭の崩壊」
「仕事を失う」
 さらには、
「近所にはいられない」
 などという事態になり、一人で追い出され、離婚ともなると、慰謝料を請求されたり、子供がいれば、養育費の問題などと、それまでとはまったく違った生活が待っていることになるのだ。
 男女雇用均等によって、女性の立場に市民権を持つというのは結構なことなのだろうが、それに乗じて、犯罪者が暗躍したり、必要以上の感情が渦巻くことで、肩身の狭い思いをしなければいけない人間が生まれ、社会のうまく回っていた仕組みが、崩壊してしまうような事態に陥るのが目に見えてくるようだった。
 それを思うと、男性が次第に弱くなっていくのが目を瞑れば見えてくるようだ。
 この頃の時代は、喫煙者に対しても、似たような状況があった。
 ただ、この場合は、実際には、それくらい厳しい方がいいのだろうが、男女雇用均等の影響とは少し形は違っていたが、厳しくなってくるというのは、似たところがあった。
 それでも、元々のきっかけとしては、
「副流煙」
 という言葉がキーワードであった。
「副流煙というのは、タバコによって、肺がんなどになる確率としては、タバコを吸っている本人よりも、近くにいて、その煙を吸い込んだ人の方が高い」
 という研究結果が出たことで、タバコの煙を普段から嫌だと思いながらも、喫煙者が喫煙の権利を主張することで、何もいえなくなった嫌煙者が、泣き寝入りをしているという状態だった。
 だが、
「副流煙」
 が叫ばれるようになると、立場は百八十度変わってしまった。
「タバコを吸うということは、世の中の罪悪」
 とまで言われるようになり、一気に愛煙家の立場はなくなってしまった。
 相手が、病気ということで、その発症性の問題を口にされると、愛煙家としては何も言えなくなる。
 社会問題となり、それが次第にいろいろな場所で、タバコが吸える場所が制限されていく。
 交通機関の中でも電車などでは、たとえば、四両編成の電車があったとすれば、一番最初は、もちろん、全面喫煙所であった。座席に灰皿が設置されていて、椅子に座って、タバコをぷかぷかできたのだ。
 目の前の客が嫌な顔をしたとしても、嫌がらせのごとく煙を吐いても何も言われないという、横暴にも近い状態だった。
 しかし、嫌煙権というものが出てきてからは、
「基本的には禁煙。そして、最後の一両だけ、喫煙者量ということで、分煙を図る。さらには、ほぼ同時期に、駅のホームでの喫煙は禁止」
 ということになったのだった。
 喫煙ができなくなっても、最初の頃はひどいものだった。
「ホームで吸ってはいけない」
 と言っているのに、堂々と吸っているやつもいて、
「まわりの目が気にならないのか?」
 と思われていただろうが、そういう輩は本当に気にならないのだろう。
 そして、一番そんなルールを守らない人間に怒りを覚えていたのは、他の愛煙家ではなかっただろうか。
 彼らは、吸える範囲が限定されて行ってはいるが、それでも、ルールを守ろうとしているのだ。
 それなのに、一部の不心得者たちのせいで、
「俺たち、ルールを守っている人間でさえ、モラルのない連中の態度のせいで、こっちまでモラルがないと思われる」
 と感じていた。
 だから、、モラルを守らない人間が、ルールを守って細々と喫煙している人たちまでも、裏切っていることになるのだ。
 これは、痴漢の冤罪などとどこか似ているのではないだろうか?
 真面目にやっている人がいる中、自分の都合だけで、世間を騒がせたり、犯罪に手を染めるなどという状態になっているのだ。
 つまりは、何かを変えるというのは、いくらそれが、時代にマッチしていたり、正しいことだとしても、それに逆らうかのような、行き過ぎがあることは絶対に考えておかなければならないことであり、それが分かっていないと、世の中の秩序が偏ったものにならないかということである。
 要するに、嫌煙者にとって、
「喫煙者というのは、どうせ皆同じで、ルールなんか守れないんだ」
 と思ってしまうことが大事なのだ。
「一人いれば、そのまわりに、十人はいると思え」
 というような感じに似ているのではないだろうか。
 克彦の父親は、どうやら、自分のまわりに、
「頑強な男性しかいなかった」
 ということらしく、その環境が、父親を亭主関白にしたのではないかということであったが、大人になるにつれて、克彦は、
「それは、元々あった生まれながらの遺伝なのではないだろうか?」
 と感じるようになったからだ。
 克彦も自分の中に、そんな亭主関白のような血が混ざっているのではないかと思うことがあったが、
「絶対に、自分にはできないことなんだ」
 と思うようになっていた。
 その感覚は、父親があまりにも厳しかったということへの反動のようなものなのかも知れないが。
「反動というのは、自分の中に素質が隠れているから、それが表に出ようとして、できないことであれば、確執として、意識することになるのかも知れない」
 と感じるようになっていた。
 父親の亭主関白を見ていると、どうしても、その怖さから目を反らそうとして、見てしまうのは母親の方だった。
作品名:クラゲの骨 作家名:森本晃次