炎恨
「それがわからねぇんで……山本様の妾宅と知ってて火を付けられたんなら狙われたのかも知れませんからね、大きな声じゃ言えませんが、恨みを持ってる者も多いでしょうし……どこか縁故のある商家や武家に匿われて療養中だって聞いてますが、また狙われるといけねぇんでそれがどこかは秘密になってるとかで、中村様でさえ知らないんだそうですよ」
「なるほど…………いや、あたしも色々調べてみたんだけど、埃女や埃男の文献は見つからないんだ」
「そうですか……」
「あたしは、これは生霊の仕業かも知れないと睨んでるんだけどね」
「生霊……ってのは?」
「恨みとか憎しみとかに取りつかれたようになった人間の強い負の思いが、相手の者に害をなす事さ」
「はぁ……呪いの藁人形みたいなもんですか?」
「ちょっと違うけど遠くはないよ、この場合、同心を恨む生霊が人の形をした綿埃になって火をつけて回ってるんだろう、おそらく山本様を焼き殺したいんだろうね」
「だからどこにでもあって燃えやすい綿埃なんですね?」
「それと、生霊となっているのが女だから仕草や何かが女に見えるんじゃないかな」
「ああ、なるほど」
「同心に濡れ衣を着せられて火あぶりにされた男の女房、それが生霊になって埃女騒動を起こしている……そんなところじゃないかと思うんだ」
「なるほど……最近の火あぶりを調べてみましょう」
「あたしの推測に過ぎないけどね、でも調べてみる価値はあると思うよ」
「ええ、充分でさ、早速……」
「おいおい、親分、酒と肴は? 今用意させてるんだけどね」
「埃女の正体を突き止めたら祝い酒に頂きます……じゃ、あっしはこれで!」
おそらくはこれだろう、という記録はすぐに見つかった。
ひと月ほど前に火あぶりにされた与助と言う男、罪状はもちろん火付けだが、与助自身は足元に火をかけられるまで濡れ衣だと叫び続けていて、遠巻きにしていた見物の間にも『本当に濡れ衣なんじゃないのか?』と言うひそひそ声が流れるほどだったと言う。
もっとも、それは同心のひと睨みで静まらざるを得なかったが……。
「お調べ中、与助は『門から走り出て来た若い男にぶつかられた、火付けはおそらくその男だ』と言い張ってたらしいですがね、山本様の拷問にかけられちゃひとたまりもありやせんや、結局はやってもいない罪を白状して火付けに仕立て上げられた……誰もがそう思ってるようでしたよ、普段の与助は真面目で折り目正しい男で、奴を知るものにとっちゃ火付けするなんぞ考えられなかったらしいんですわ」
「与助の不運はただそこに居合わせたこと……そう言うことのようだね」
「へぇ、しかも与助にぶつかって来た男ってのがですね……」
「ほう? 誰なんだい?」
「与力の旦那の息子がその近くで青い顔をして走ってるところを見られてるんでさぁ、火付けしたって証拠はありやせんがね」
「与力の息子か……仮にそいつが下手人だとして、何か証拠を残していても揉み消されそうだね」
「へぇ、それに下手人が挙がっちまえばもうお調べは終い、疑いをかけられるようなこともなくなる……本当のところはわかりやせんがね、同心が与力に恩を着せておいて損するこたぁありやせんからね」
「なるほど……酷い話だけどありそうな話ではあるな……で、与助には女房が居たんだね?」
「へぇ……お清って女で、夫婦仲も大層良かったそうですよ、与助が火あぶりになってからってもの、ろくに物も食わねぇで閉じこもりっきりだそうでしてね、長屋のおかみさんたちが随分と心配してるらしいんですわ」
「そりゃそうもなるだろうね……」
「先生の睨んだ通り、埃女がお清の生霊の仕業だとすれば……」
「そうだね、山本様の妾宅は調べりゃわかる……でも仕損じちまって……」
「潜んでいそうなところを片っ端から……」
「山本様は生きているんだろうね?」
「おそらくは……もし亡くなりゃ番屋には知れ渡りまさぁ」
「お清さんには同情するがね、このまま放っておくわけにもいかない、火事が続くことになるからね、大火にでもなったらコトだ……山本様が潜んでいそうなところは他にあるかな?」
「一番怪しい所が残ってまさぁ」
「それは?」
平八が指さした場所を見て、馬曲も大きく頷いた。
「お清ちゃんかい? そこの三軒目だけど……閉じこもりっきりで出て来ないんだよ、あたしらも心配でね、煮物やおにぎりを差し入れてやるんだけどめったに食べないし……できればそっとしておいて欲しいんだけどね」
お清の長屋を訪ねたのは馬曲、岡っ引きが出入りするのを見られるのは差し障りがあるが、読み本書きとして名は知れていても馬曲の顔を知る者は多くはない、長屋のおかみさんたちなら問題ないだろう、と言うことで馬曲が訪ねたのだ。
「いや、悪いようにはしないよ、ちょっと知らせてやりたいことがあるだけでね」
「そうかい?……締まりはしてないと思うけどね……お清ちゃん、あんたに会いたいって人がいるんだけどね、身なりの良い男の人さ、開けてもいいかい?」
「誰にも会いたくない……」
中からは力のない声が帰って来る……。
「ちょっとあんたに教えてあげたいことがあるんだけどね、それだけだよ、手間は取らせない」
「……」
「いいかい?」
「……教えてくれるって、何を?」
「そいつは直にしか言えないな」
「……いいよ……入っても……」
「これは八丁堀の絵図だ……ここが山本様のお屋敷……そしてここが与力の吉田様のお屋敷だ」
「与力の……?」
「西のはずれに離れがある、病人を匿っておくのにちょうど良いくらいのね」
「離れ……」
「あんたの探し人はおそらくそこにいる、確かとは言えないが十中八九そこだ」
「……あたしは探し人なんぞ……」
「いや、それならそれで良いんだ……あたしはただあんたにこれだけ教えてあげようと思ってやって来ただけでね……絵図はここに置いて行くわけには行かないんだ、憶えられるね?」
「…………」
お清は絵図を穴のあくほど見つめると馬曲の方へと滑らせ、丁寧に頭を下げた……。
「とうとう見つけたぁ……山本ぉぉぉぉ」
「な、なんだ、お前は!」
部屋の中に入って来た一筋の綿埃の縄が見る見るうちに人の形になる、と、それまでのっぺらぼうだった顔に、血走った大きく吊り上がった目が開き、真っ赤な口が裂けるように現れた。
まだ身体は万全ではない、火傷そのものは概ね良くなって来てはいるが、火ぶくれになった皮膚が引き攣れている上に、長い間寝込んでいたために身体に力が戻っていない。
だがそこは武士の端くれ、枕元の刀を引っ掴むと埃女に斬りつける……確かに斬ったはず……だが手応えはなく真っ二つになったはずの胴体もすぐに元通りにくっついてしまう。
「おのれ!」
山本は何度も何度も斬りつけるが相手は綿埃の塊、刃は虚しく宙を切るばかり。
「しまった……」
埃女の腕が伸びたかと思うと、刀を握った腕に絡みつかれてしまう。
「山本ぉぉぉぉ……よくも与助に濡れ衣を……」
埃女の身体はみるみる縄となり山本の身体の自由を奪う、そして目の前には血走った眼と真っ赤な口が……。
「与助だと?……すると、お前はお清か!」
「お前がそれを知ってどうなる? 今から死ぬのだから」