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短編集97(過去作品)

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 家での父親は、美佐子だけが知っている父親とは違った。普段でもあまり母親と話をすることがなかった。美佐子は母親があまり好きではなかった。いつも何かに耐えているように見えて、それでいて父親には逆らえない。
――自分の意志があるのかしら――
 と感じるほどで、見ていてイライラしてくる。
 そんなことを感じるようになってからだろうか。父が酒に酔っては母親に暴力を振るうようになった。その時の父は美佐子の知っている父ではない。目は釣りあがって、顔が真っ赤である。顔が真っ赤なのは酒に酔っているだけではないことは釣り上がった目を見れば分かる。
――これは父じゃないんだ――
 と柱の影から暴行を見ながら感じたものだ。
 父親の怒りが何であるか分からない。しかし、怒りの矛先が美佐子に行くことは一度もなかった。母親がいない時に父が酔っ払って帰ってきたことがあった。その顔を見た時、美佐子は恐ろしさで逃げ出したい衝動に駆られていたが、足がすくんで動くことができないでいた。
 そんな美佐子を見下ろす父、震えの止まらない美佐子を完全に見下ろしていた。いつもの父にはありえないことで、見下ろされたことなど一度もないと思っていた美佐子にとって、一番見下ろされるのが恐ろしかったに違いない。
「お父さん……」
 やっと出てきた一言も、完全に震えていた。そんな美佐子を見て父親は踵を返して、そのまま表に出て行ったのだが、その日は結局帰ってくることはなかった。
 翌日、父親がどんな表情だったかハッキリと思い出せないのは、きっといつもと変わらぬ表情だったからに違いない。どちらかというと気まずい気持ちになっていたのは美佐子の方で、その日は結局目を合わせることができなかった。
 それからしばらくは、酒に酔って帰ってくることはなく、
――真面目になったのかな――
 と感じたが、それもしばらくだけだった。
 それから一週間もしないうちに父は泥酔して帰ってきた。それを見た時の母親の諦めに近い表情、今でも忘れられない。父が生きている間に母が見せた表情の中で一番嫌な顔をしたのが、その時の表情だった。
――まるで苦虫を噛み潰したような顔――
 諦めの表情を見せたのは、苦虫を噛み潰したような何とも言えない表情を見せたあとのことだった。その表情は一瞬だったが、どうしても忘れることのできない顔だった。
 美佐子が運命的なものを感じたのは、それからすぐのことだった。後から思い出して、そう感じたのかも知れないが、その時にハッキリと、
――父親が、自分の前からいなくなる――
 という感覚を覚えたのだ。
 まさか死んでしまうとまで感じたかどうか分からない。しかし、無性に寂しく感じたのは間違いのないことだった。
 殴る蹴るの暴行は、日増しにひどくなってくる。特に一週間のブランクがあってからというもの、ひどさは増してきた。力任せに近くなり、父親の中に理性などという言葉は残っていないように思えた。
 それまで暴行中、美佐子を意識していなかった父が、柱の影から見ている美佐子を一瞬見た。美佐子は反射的に隠れたが、その時の顔が普段の父親の顔に見えたことがずっと不思議で仕方がない。
 結局父は、美佐子の前で恐ろしい形相を見せたことは一度もなかった。見下ろしている時でも、表情は完全に冷めた顔をしていて、母親に対して見せる、カッと見開いた目を感じることはなかった。
――でも本当なのかしら――
 美佐子は父親が死んでからしばらく、父親の表情ばかりを考えていた。
 母親への暴力に際に見せている顔、あれも本当なのか不思議に思えてきた。柱の影から垣間見るだけで、かなり遠いところから見ているので、本当に目が釣り上げて顔を真っ赤にしている顔をしていたかどうか、今となって考えれば違ったように思う。
――思い込みだったのではないか――
 と思えてきたのだ。
 父の死を迎えた時、美佐子は悲しかった。
 悲しかったというよりも寂しかった。一番の理解者で好きだった父が目の前からいなくなるのだ。
 葬式の時の母は気丈だった。
――これだけ堂々とできる女性だったんだ――
 と美佐子がビックリするほどで、それだけ母親へのイメージは父に暴行を受けている時のイメージしかなかった。それ以外の時、母親が何を考え、どのように将来を見つめていたのか分からない。何も考えているようにしか見えていなかった。
 だが、それが間違いであったことを父の葬儀でハッキリした。
 もし本当に将来が見えていなかったとしたら、いくら暴行から解放されたからといって一人女が取り残されるのである。
「これからどうしたらいいのだろう」
 という絶望の表情が垣間見れてもいいはずなのに、安心感以外には絶望はおろか、寂しそうな顔をしている中に感情を見つけることができなかったのだ。
 そんな母親の背中が小さく感じたのは、今まで父親の背中ばかりを見ていて、大きな背中以外を意識したことがなかったからだ。丸まった背中からは、感情らしいものは感じられず、絶望すらも見えてこなかった。そんな母親を不気味に感じ、美佐子自身、母親とのこれからの生活に不安を感じていた。
 母親が、これまで歩んでいた人生ってなんだったんだろう?
 子供が考えることではないが、これからは、母と二人で生きていかなければならないと感じた時、急に思い立ったことだった。
――自分と同じように、目立たない女の子だったんだろうな――
 自分が学校で目立たない性格なのは、母親の遺伝だと思っていた。目立たないことが悪いというわけではないのだが、それが性格というものだということで諦めのようなものがあった。
 性格というものは、遺伝と環境によるものが一番大きい。だが、美佐子の場合は、ほとんどが遺伝によるものだ。学校でまわりの人に染まることを極端に嫌っていたのこそ、持って生まれた性格である。それでも同じような性格の人はいるもので、友達もできた。その人たちもそれぞれの個性があり、
「他の人に染まりたくないの」
 という気持ちだけが同じで、他はまったく違う一種の、「烏合の衆」のような結びつきだった。

 高校時代にできた彼氏は、とても優しかった。まわりが、
「どうして美佐子なんかと」
 というのも頷ける。高校生になってもいまだ無口で、あまり人と話すこともない美佐子を誰が相手にしようというのだろう。それは、美佐子自身が自分で感じていたことでもあった。
 だが、美佐子にも自負はあった。
――彼の芸術的な部分を一番知っているのは、この私なんだから――
 付き合った者にしか分からないよさを、他の誰が知っているというのだ。冷静な彼は自分から女性に告白することもない。かといって女性から告白することもなかっただろう。下手に告白しようものなら、
「何よ、あなただけ抜け駆けして」
 と言って喧嘩になるのがオチである。彼は女性の間では聖域に近いものがあった。友情を取るか、愛情を取るかの究極の選択が求められる。友達を失くし、まわりから白い目で見られることを覚悟での告白である。駄目なら玉砕に近い。そんな度胸のある女性が、美佐子のまわりにいるとは思えなかった。
作品名:短編集97(過去作品) 作家名:森本晃次