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短編集97(過去作品)

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 男と女の関係が自分たちの世界を作るのであれば、二人はまったくまわりから隔離された世界にいることを二人とも自覚していた。自分たちで作る世界をいかに広く感じることができるかという気持ちが恋愛というものだとさえ思っていた省吾である。
 四六時中一緒にいたいとはお互いに思っていない。むしろ、一緒にいない時間を大切にしたいという気持ちを持てることが嬉しかった。一緒にいない間が本当の自分たちの時間だからだ。
 それにしても別れは突然で、しかも自然なものだった。どちらからともなく別れを言い出したが、お互いに感じていたことだったので、辛さを感じることもなかった。一番危惧していた寂しさもあまり感じることもなく別れられたのは、美術鑑賞や釣りという趣味を持っていたからだろう。お互いに目立ちたいという気持ちを持ちながら表に出ることのない性格を持ったまま、傷つくこともなく別れることができた。
 初恋というのは儚いものだというのはよく聞くが、それだけに失った時のショックは大きいのではないかと思ったがそうでもなかった。
 確かに後から思い返せば笑い話になるのだろうが、別れの瞬間からしばらくは、放心状態が嵩じて人間不信にまで陥ってしまうのではないかと思っていた。
 失ったものの大きさがよく分かっていないというのも事実である。少なくとも共感できるパートナーだったはずなのに、自分の作り出した枠の中から、無制限の世界に出て行ったという気分は否めなく、美術館でキャンバスの大きさを見ていて、それが自分の世界に思えてくることもあった。
 キャンバスはじっと見つめていれば大きく見えたり、小さく見えたりその瞬間瞬間でまちまちである。同じ絵から離れられないのは、自分にとってちょうどいい大きさに見えるまでじっと見続けているからで、そんな時、キャンバスから絵が抜け出てくるような錯覚に陥ることすらあるくらいだ。
――帰りが夕方になるのも当たり前だな――
 他の人がじっと絵を見ている心境がどんなものなのか省吾には分からない。それを知っているのは、きっと見つめられている絵だけであろう。
 美術館を出てくる時の疲れたるや、それは最初に想像していたとりもかなりのものである。
 表に出た時に感じる夕日の眩しさがそれを表していて、
――やっと表の世界に戻ってこれた――
 という開放感を感じることができる。しかし、それは逆に言えば自分の世界を封印してしまったということでもあり、いつもいつも自分の世界を形成することの疲労感は半端なものではないようだ。
 当然、表に出る頃には疲労困憊している。だが、それは心地よい疲労感であるはずだった。いつもは夕日を見て気分を落ち着かせると、
――ああ、今日は実にいい一日だった――
 と大袈裟ではあるが感じることができる。ちょうど腹の空く時間でもあり、どこからともなく夕飯支度をしているのか、香ばしい香りに五感を集中させている。
 目の前のベンチにいる男女を見ていると、次第に苛立ちを覚えてくる。実際にどんな話をしているのか明確に分からないが、苛立ちだけが募ってくるのは、逆光の中で蠢いている様子が影に写り、自分の足元まで伸びているのを感じているからだ。
――無限に広がる表の世界を見つめていたいだけだったのに――
 という自分勝手に想像していた時間を邪魔されたからだろうか。
――いや、それだけではないかな――
 美術館の中で感じていた苛立ちが今思い出される。静寂の中で、鼓膜が張っているほど乾いた空気を感じていた空間はまったくの別世界だった。
――美術館は自分の世界であり、もし苛立ちを覚えるとすれば、キャンバスの幅を自分なりの世界に当て嵌めるために要した時間だったに違いない――
 と思っている。
 その時間も絵によって短いものもあれば、長いものもある。被写体が大きければ大きいほど、時間が掛かり、描かれた季節や時間帯を感じるためにも時間を要している。絵の中に自分を当て嵌めて見ている時もあれば、絵から見つめられている気持ちになることもある。それだけ一枚の絵に対しての思い入れが大きかったのだ。
 その日に見た絵もそうだった。
 特に城の階段を見つめていればそのどこかに自分がいるような気がして仕方がなかった。その階段というのが螺旋階段になっていて、どこをどう通れば行き着くのか、絵を見ているだけでは分からない。
――必ずすべてがどこかに繋がっているんだ――
 という先入観が最初からあったことで、一生懸命に探していた。他の人は比較的その絵を見つめる時間はなかったようで、立ち止まることもなく、ほとんど素通り状態だった。
――何も感じないのかな――
 と不思議に思ったが、やはり最初に、
――必ずすべてがどこかに繋がっているんだ――
 と感じることでもない限り、絵に集中することはないようだ。
 必死になって出口を探そうとするのだが、全体的に赤かった絵が、次第に暗さを帯びてくるのを感じた。影が階段を覆い始め、まるで絵の中で日没が行われているように感じた。
――早く見つけなければ――
 と感じた。本当であれば、
――そんなバカな――
 と日没を感じたこと自体を不思議に感じなければならないはずなのに、不思議な現象を自分なりに理解していたのかも知れない。
――これこそ自分の世界だ――
 と思いながら絵を見つめていたのだろう。
 公園でしばし佇んでいくのは、美術館という自分だけの世界から、生活するためのいつもの世界に戻るために必要な時間を過ごすためだ。その中で感じた副作用のような苛立ちを癒すための時間である。
 もしそのまま帰っていたら、苛立ちがストレスになっただろう。せっかく自分の世界を感じたのに、ストレスを残したままでは何もならない。決して自分だけの世界が居心地のよいものではないことを分かっていて、それでも来てしまう。それは自分を顧みる上で必要不可欠だと思っているからだ。
 キチンとストレスを解消さえできれば、自分の世界を感じたことがよかったと思えるのだ。それはその時にすぐ感じるわけではなく、かなり後になって感じるのだ。
――季節が変わってから――
 秋であれば、冬が来てから、冬であれば春が来てから……。つまり、季節感を思い出せることが大切なのだ。
 一日を感じる時に、
――今日はあっという間だったな――
 と思う時、意外と一週間が長かったりする。逆に、
――何と長い一日だったんだろう――
 と感じる時の一週間前が、まるで昨日だったように思うこともある。かくいう時間というのは、実に曖昧なものではないだろうか。
 しかし、時間も季節も、人の意志に関係なく規則的に刻まれるものである。ただ一人一人の感じ方に差があるのは明らかで、同じ人間の中でも違いがあることもある。大いに精神的なものが影響しているに違いない。
――時間や季節ほど冷静で冷酷なものはないかも知れないな――
 冷酷とまでは言いすぎなのかも知れないが、特に季節の変わり目などに敏感に感じる省吾だった。
「私、秋が一番嫌いなのよ」
 と郁子が言っていた。
「どうして?」
 と聞くと、一瞬考え込んだように俯いていたが、すぐに頭を上げて、
作品名:短編集97(過去作品) 作家名:森本晃次