短編集97(過去作品)
「秋って季節を一番長く感じるんですもの。寂しいと言われている季節を一番長く感じるというのは、やっぱりあまり気持ちのいいものじゃないでしょう?」
目は潤んでいたが、訴えるような真剣な顔つきではない。言葉ほどにそれほど嫌がっているわけではないのだろう。
「俺は逆に短く感じるんだよ。もっと長く感じていたいって思うくらいなのに、面白いものだね」
お互いに苦笑いをしていたに違いない。
だが、省吾の言葉は真実である。なぜ秋が短く感じるのか分かるような気がしていた。秋という季節には刺激がないのだ。
確かに汗が滲んで意識が朦朧としてくる夏や、頬を切るような冷たい風を感じる冬と違って肉体的な刺激はない。秋というと夕焼けやウロコ雲などを連想するが、夏だって暑い時間を過ごして何ともいえない気だるさの中で感じる夕方の時間帯を特別な刺激で佇んでいることもある、
しかし、秋は特別なのだ。特に夕方の夕凪の時間帯、風が吹くわけではなく、色を感じるわけではない。
色を感じるのは太陽の光に依存しているからである。
色にはすべての色を吸収してしまうもの、そして逆にすべての色を反射してしまうもの、さらにはその中間とある。だからこそ、見ていてカラフルに見えるのだ。空気による光の屈折が織り成す世界が夕凪では制限されるのだ。
「この時間帯というのが、実に短かったりするもので、ほとんど誰も気付かずに過ぎているんだよ」
どこで聞いた話だか覚えていないが、おそらくテレビドラマのシーンではなかったか。テレビをつけたままブラウン管から流れてくるドラマや音楽を、意識せずに見ていることなど日常茶飯事の省吾にとってよほど印象に残った言葉だったのかも知れない。
普段から夕凪という時間帯を意識していたから、言葉が印象に残ったのか、言葉が印象に残ったから、夕凪を意識するようになったのか、ハッキリとは分からない。だが、夕凪を意識していたかも知れないという思いは、小さい頃の記憶からもあった。きっと、無意識に感じることが往々にして潜在意識として頭の奥にあるものと一致していることがあるものなのかも知れない。
自分の好きな時期や時間帯を短く感じることが苛立ちの原因かも知れない。しかも、他の人は自分の好きな時期を長く感じるというのだ。苛立ちも尋常なものではない。
美術館を出て、逆光で見えない相手の顔、そういえば美術館の中でも、気になって一生懸命に絵を見ていたのを思い出してしまう。なぜ、思い出すのかと思っていたが、自分の中のイメージとしてズームアウトしていくからだった。
――絵の中に何かを見ていた。絵の中からこちらを見ている人を感じたからだ――
すると、今度はキャンバスの大きさから絵を見るようになる。中の建物が少し小さく感じられる。
だが、建物は立体感を帯びてきて、キャンバス全体が小さなものに感じられる。今度は遠近感に錯誤を感じるようになると、キャンバス全体が暗くなってくる。
――暗くなってくるということは、焦点を絞ろうとしているんだ――
という意識は以前に持ったことがあったが、そのことを一緒に思い出していた。
食い入るようにキャンバスを見ている自分。それがズームアウトされた最後になった。
だが、その時の自分を見ることができない。
タイムパラドクスという言葉を聞いたことがある。
「タイムマシンで過去に飛ぶ。過去に飛んで自分に関係する事実を変えてしまう。例えば結婚するはずの両親の運命を変えてしまうなどしてしまえば、自分が生まれてこない。生まれなければ過去に飛ぶこともできず、過去の運命を変えることもできない。これがタイムパラドクスさ」
という話から友達と論議を戦わせたことがあった。
「だけど、一度変えてしまった過去から続く未来というのは、その瞬間に変わってしまうわけだろう。だったら、すべてが違う運命に変わってしまって、タイムパラドクスを語る以前の問題になってしまうよね」
「確かにそうだね。過去から見れば運命なんて無数に存在するんだよ。どれも本当のことかも知れない。だから、現在にまったく違う世界が無数に存在するのかも知れない。だから時代を行ったりきたりなんていうのは、できないことなのかも知れないね」
「タイムマシンの存在は許されないと?」
「そういうことになるね」
その時はそんな結論だったと思う。かなり酔っての激論だったので、最後の結論と、それに付随するところどころしか記憶にないが、まさしくその時の会話をキャンバスを見ていた時の省吾は思い出していた。
――絵を見ているもう一人の自分を見るということはタイムパラドクスと同じことなんだ――
という思いが働き、それがそのままストレスになったのかも知れない。
公園に出てベンチに座っている人が逆光で見えないことに苛立ちを覚えているが、これも実は自分が見てはいけないパラドクスなのかも知れない。
ベンチに座っているカップル。かつて省吾は郁子と一緒に座っていたことを思い出していた。
――あれは自分と郁子なのだろうか――
と思いながら、額からは汗が流れる。
――きっとそうに違いない――
と考えるが、なぜ今さらパラドクスとして見なければいけないのだろう?
そこに写っているパラドクスは過去なのか未来なのか、未来の世界に思いを馳せている気がしてならない。
――パラドクス――
郁子が病気で亡くなったという話を聞かされたのは、それから三日後のことだった。死の直前、
「絵が見たい」
と呟いたらしいが、その時病室には秋の西日がいつまでも差し込んでいたらしい……。
( 完 )
作品名:短編集97(過去作品) 作家名:森本晃次