呪縛の緊急避難
「ええ、そうです。ただ年齢としては私が大学卒業であるのとは別に彼女は短大卒なので、少し私の方が年上ではありますけどね。ええ、ここには何度か来たことがありますよ。彼女も私のお部屋に来たこともありますし、私は自分が会社の仕事以外のプライベートで誰かと一緒にいる率を考えると、たぶん、七、八割くらいは彼女と一緒にいると思います」
「それ以外の時は?」
「私の場合は一人の時が多いです」
というと、
「じゃあ、彼女の方はどうだったんでしょうか?」
「彼女はどうだったのかまでは分かりません。お互いに一緒にいることが多い仲ではあると思いますが、お互いのさらなるプライベートには入り込まないようにしていますからね。だからこそ、友達関係が築けるのではないかと思います」
「いえ、それはもっとものことでしょうね」
と、今度は年上の刑事が答えた。
「ところで、山口さんは自殺ではないかと思われるんですが、何かそれに関しては思い当たるふしはありますか?」
と聞かれた。
「そうですね。今のところはピンとくることはありません。ただ、最近彼女は私にも隠し事をしているんじゃないかと思うことはありました」
質問した刑事の眉が一瞬吊り上がったようだが、彼が感じたのは、
――この娘、私にもという表現を使ったが、少なくとも涼川あいりという女性は、自分が一番山口真美と仲がいいということを信じて疑わないんだろうな――
ということであった。
思い込みが激しいからなのか、彼女の感じている通りなのかは、ハッキリと分からなかったが、現時点での聴取とすれば、それくらいのことが分かればいいだろう。もし死んでしまっていれば、もう少し質問が必要であってもいいが、生き残ったということでいずれ本人からも話が聞けるだろう。回復を待ってからの本人からの話を聞くに越したことはないからだ。
そうしないと余計な先入観が入ってしまって、長所が片手落ちになってしまうと思ったのだろう。
「なるほどよく分かりました。またお聞きするかも知れませんが、後は山口さんの回復を待ってからになりますね」
と、そのあと形式的であるため、わざわざここで列記することもないだろう。
時間的には二十分程度の事情聴取だったが、それを終えると、
「我々は救急車を追いかけて病院に向かいますが、どうされますか? 我々の用事は済んでいますが」
と言われたので、
「私も気になるので、病院に行こうと思っています」
というと、
「そうですか、じゃあ、ご一緒しましょう。どの病院に向かったのかは分かっていますので、すぐに向かうことができます」
と言われたので、一緒にパトカーに乗って病院に赴くことにした。
その時、一人の若い刑事は現場に残っていた。
「どうして一緒に来ないのだろう?」
と思ったが、どうやら、部屋を一通り物色しているようである。考えてみれば自殺なのだから、遺書や、自殺の動機になる何かが発見できるかも知れない。少なくとも手首を切ってのことなので、思い切ってのことではあるが、衝動的には思えない。遺書くらいはどこかにあって不思議はないだろう。
そう思って、刑事が捜査している真美の部屋に後ろ髪を引かれるような不思議な感覚に捉われながら、あいりは、パトカーに乗って病院へと向かった。
病院は、彼女の部屋から車で十五分ほどのところにある救急病院であった。搬送場面は実際に見ていないので分からないが、さぞや喧騒と下場面だったに違いない。
三人が到着した時、彼女は手術中であるということだった。
それを聞いたあいりは、
「私の通報がもう少し早かったら、こんなひどいことにならなかったかも知れないわ」
というと、救急犯の人が、
「そんなことはないよ。大丈夫。安心していればいいよ」
と、根拠のない慰めをしてくれたが、それを聞いて安心したと思ったのか、刑事があいりに対して、
「発見が遅れるようなことになってしまったのかお?」
と別に責めているわけではないが、その言葉自体に重みを感じたあいりは、一瞬ひるんでしまったが、すぐに冷静さを取り戻しm
「いえ、そういうわけではなく、まず最初にリビングやダイニングキッチンの方を見に行って、その部屋の様子なんかを見て、少し考えてしまったような気がしたので、それで発見が遅れたのかもって思ったんです。まさかあんなことになっているなんて思ってもみなかったので、部屋の様子を見て、何か彼女の心境が分かればいいかも知れないと感じたというのが、その時の心境でしたね」
とあいりは答えた。
「そうですか。そうですよね。自殺をするような思いがまったくなったのであれば、どこかに出かけていてすぐに帰ってくるかも知れないなどと思いますよね。あのテレビもついていたんでしょう?」
「ええ、テレビもついていました。ただ、音が思ったよりも大きいなというのは気にしていたんですが……」
と言って、あいりはふとトイレのカバーで感じた違和感を思い出した。
――どうしよう、言おうかいいまいか、迷うな――
と思っていると、さすがに刑事は勘がいい。
「どうかしましたか? なんでも言ってください」
と言われた。
あいりは迷ったが、
「これはあくまでも私の勘違いかも知れないので、あまり気にしないでほしいんですが」
と言って前置きをすると、
「構いません、何が重要になるか分からない状態というのもありますからね。情報が多すぎると難しい場合もありますが、情報収集においてが、少しでもほしいというのが、本音というところでしょうか」
と言われたので、刑事に先ほどのことを話し始めた。
「実は彼女のマンションは、どこのマンションでも同じだと思うんですが、洋式トイレになっているんです。そこで気になったのが、その洋式トイレの蓋だったんですよ。彼女は女性の一人暮らしなのに、洋式便所の蓋が開いているというのは、おかしいでしょう?」
ということであった。
刑事もすぐに気付いたようで、
「なるほど、じゃあ、最後に使ったのは男であり、彼女には親しい男性がいたということでしょうか?」
「ええ、そうは言えるかも知れないですね」
「でも、家族ということはないですか?」
「それはないと思います」
「どうして分かるんですか?」
「私があそこに行ったのは、彼女から来てほしいと言われたからなんです。それから一時間以上もかかって彼女の家に行ったんですよ。彼女が家族がいるにも私を呼ぶとは思えません。しかも、尋常ではない様子でした。そう思うと数時間彼女はトイレを我慢していたということでしょうか? それは考えにくいと思うんです。女性であれば特にそうですね」
「なるほど、絶対にないとは言えませんが、可能性としては、限りなくゼロに近いということでしょうね」
と刑事は言った。
「ところで、涼川さんは、もし彼女にそんな男性がいたとして、どなたなのか、想像はつきますか?」
あいりは、当然あるべき質問として受け取った。
もちろん、聴かれることも最初から分かっていて、
「ええ、私も考えてみましたが、ちょっと分かりませんね」
とあいりがいうと、
「じゃあ、彼女にそういう彼氏がいるというような素振りは今までにありましたか?」