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呪縛の緊急避難

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「面白いわよ。この面白さは自分にしか分からないと思うところが一番面白いのよ」
 と、愚問に対して、皮肉で返してきた真美は、ワードセンスも一流なのだろう。
「私も小説を書いていて面白いのよ。自己満足に浸るというのが、これほど楽しいことだなんて思ってもみなかった。皆自己満足を悪くいうけど、私は。自分で満足もできないことを誰が満足できるのかって思う方なので、本当に小説を、いや文章を書くことを面白いと思うのよね」
 と答えた。
 真美は、相変わらず冷淡に微笑んでいたが。先ほどと違い、今のあいりの言葉を噛みしめるように何かを考えているかのようだった。
 お互いに、どこかぎこちなさがあったが、お互いに芸術を愛でる者として、相手に敬意を表し、さらに自分もその仲撫であることを心底喜んでいるのだった。
 真美の自殺を目撃した前の日、きっと虫の知らせだったのか、姉のことを思い出していた。確か、おとといかその前後の夢に出てきたからではないかと思う。ただ、その時自殺を試みた姉の顔にモザイクのようなものがかかり、見えなかったのは、自分でも不思議だった。
 あれから、あいりは夢を見たという意識はなかったが、その日は、家に帰ってよほど疲れていたのか、気が付けば眠っていた。ベッドに潜り込むこともせず、服を着替えてはいたので、服を着替え終わった安心感が、緊張の切れ目だったのだろう。
「ああ、眠ってしまっていたのね」
 時計を見ると、午後十時だった。三時間くらい寝ていたのだろう。
 お腹が減っているので、何かを食べようと思い、冷蔵庫を見ると、あいにく何もなかった。しょうがかいので、カップ麺にポットのお湯を注いで食べることにした。何ともわびしい夕食だったが、とりあえず空腹に関しては何とかなるだろう。
 さすがに殺風景なので、テレビをつけてみた。この時間はどこのチャンネルもバラエティくらいしかやっておらず、後はニュースくらいだろうか。ニュースを見る気もなかったので、そのままバラエティをつけていた。
 元々バラエティなど、低俗だとずっと思っていた。芸人や芸人よりのタレントが出てきて、身体を張ったギャグをやって人を笑わせる。何が楽しいのか分からない。正直バラエティを見ていると、情けなくてイライラしてくるのだが、その日は、チャンネルを変えるのも億劫で、音を少し小さめにして、気にしないようにした。
 するとその日のバラエティには、何やらマジシャンが出てきて、マジックをするようだった。少し診ていると、昔にも見たことがあるような使い古されたネタを、よくも今やっているなと思うほどのくだらなさだったが、マジシャンのピエロのようなその顔を見ていると、急に気持ち悪くなってきた。
 ピエロというと、元々の顔が分からないようにくま取りやかつらを被り、滑稽な動作で人を笑わせるが、自分は決して喋ることはない。そして、その顔も昭和に流行ったような耳元まで裂けた口角に、昔流行ったという「口裂け女」をイメージさせる。
 ピエロの怖さは何と言っても喋らないことにある。何を考えているのか分からない男が、表情を変えることなく、滑稽な行動を取るという動作に、果たして笑うことができるのかというと、絶対にできないとあいりは答えるだろう。
 テレビの中のピエロは、画面の中だけで暗躍しているので、そこまで怖くはないのかも知れないが、その時に見たピエロが、またその日の夜の夢に出てくるのを予感していた。
 カップ麺を食べると安心したのか、また睡魔に襲われた。今度はベッドに入り、いつものように眠りに就いた。
 眠りに入っていく時というのが分かる時というのは、一度目を覚ましてしまう。そして、我に返った気持ちそのままで、またしても睡眠に入る。
 今度は決して目を覚ますことなどない。次第に深い眠りに入っていく。
 すると、夢を見ているという自覚があるのだが、どうも、初めて見る夢のような気がしなかった。そう思うと、
「夢にしては、リアルな感じがするわ」
 どこがリアルなのかよく分からないが、しいて言えば、まわりの風景にすべて既視感を覚え、毎日見ている光景を思い起こさせるところであろうか。
 そしてその夢の中で、
「また、同じ感覚を覚えることがあるんだろうな」
 と感じている自分がいるのを悟った。
 そう思うとこの夢をいつ意識したのかということが思い出されてきた。
「そうだ、一度一過性の記憶喪失に陥った時、その間に意識していて、記憶が戻った瞬間に記憶の奥に封印されたと思っている記憶なんだわ」
 と思った。
 そしてそれを感じると同時に、
「あの時、いずれまた同じ感覚を味わうことができるような気がすると感じたのを思い出した」
 と感じた。
 あの時に感じた思いを、夢として思い出すということは、
「夢というものは、潜在意識が見せるものだ」
 と言われているが、それだけではないのかも知れない。
 ひょっとすると、
「もう一つ、記憶の奥に封印されたことも一緒に見ているのかも知れない」
 と感じたのだ。
 だが、この思いが、一過性の記憶喪失が絡んでいるから見ることができるものなのか、それとも実際に気付かないだけで、本当に見ているものなのかが分からなかった。
 しかし、記憶の奥に封印されたものが夢として出てくるという感覚は、潜在意識が見せるというよりも、説得力があるような気がする。何しろ一度はこの目で感じ、意識したものを記憶として格納しているからである。
 そう思うと、夢の中で覚えている夢と覚えていない夢の二種類があるのも分かる気がした。
 覚えていない夢は潜在意識が見せるもので、覚えている夢が、記憶の奥に封印されている夢だとあいりは思った。
「でも、本当は逆なのかも知れないわ」
 とも思ったが、記憶の奥に封印されたものを夢に見たという感覚を否定することはできなかった。
 そんなことを考えていると、
「記憶って、案外簡単になくしたり、元に戻ったりするものなのかも知れないな」
 と感じた。
 物忘れの激しい人は、忘れてから思い出すまでに時間が掛かっているだけで、記憶をすべて一つのものとして考えるのではなく、いくつかの種類のあるものだと思えば、すぐに忘れてしまう、つまり捨ててしまってもいい夢もあれば、封印してでも格納しておきたい夢もある。
 たまに思い出すことで自分の癒しになったり、生きていく支えになるものであるならば、封印された記憶が、ちょっとしたきっかけでよみがえってくるというのも、あってもいいはずではないだろうか。
 あいりは、今までに何度記憶を失ったのか考えてみたが、やはり思い出せるのはその時の一過性のものだった。
「あの時、記憶を失う何かのきっかけがあったのかしら?」
 と、そのことを思い出そうと思ったが、思い出すことはできなかった。
 まさかいらないものとして捨ててしまったわけでもあるまいから、どこかに格納されているのだろうと思うが、もし思い出すのだとすれば、それだけではなく、その前後に思い出さなければいけないものがあり、一緒に思い出すはずだと考えた。
――しかし――
 ここで少し疑問があった。
 思い出せない記憶を無理に思い出そうというのは危険ではないかという考えである。
作品名:呪縛の緊急避難 作家名:森本晃次