呪縛の緊急避難
自分を抹殺しようとしていたわけだから、真美は自分というものがこの世にいることを信じられないのかも知れない。死んでしまったということが事実でない以上、自分が何をもって生きているのかが分かっていないのだろう。
そもそも真美と話しをしていると、時々、何を言っているのか話が支離滅裂で、理解に苦しむとこがあった。だが、そんな時真美は、
「あいりなら、必ず分かってくれる気がするの」
と言って、目が訴えていた。
その目を意識してしまっているからなのか、あいりは真美から自分は離れることができないと思うようになっていた。
真美が一度自分の夢に出てきたことがあった。あいりが自分の夢の中に、友達が出てくることは初めてで、今までに出てきたのは、姉だけだった。
姉が出てきたということは覚えているのだが、いつ、どんな風に出てきて、その夢自体がどんなものだったのかということすら忘れてしまっている。
それは時が経ったから忘れたのか、それとも夢から覚める間に忘れてしまい、ただ、夢の中に、
「姉が出てきた」
という事実だけが残っているように思えてならなかった。
真美に対しても同じである。
どんな夢だったのかも覚えていないし、確か夢を見たと思ったのは、真美が自殺をする前の日ではなかったか。それを思うと、虫の知らせのつもりだったのかと、真美のことを思わないわけにはいかなかった。
ただ、真美が出てきた夢は、ところどころ覚えているところがあった。
真美があいりの似顔絵を描いてくれたのだが、その絵を見ると、自分を描いてくれたというよりも、姉を描いたように思えてならない。確かに姉妹なのだから、あいりと姉は似ていて当然なのだが、どう見ても別人だった。
しかも、あいりには、その別人が誰なのかすぐには分からずに、
「これ、一体誰なの?」
と聞いてみると、真美はキョトンとして、
「何言ってるの、あなたの似顔絵を描いているんだから、あなたよ」
と言っている。
似顔絵と言っても、写生というわけではないので、まったく生き写しを描いているわけではない。マンガチックな要素を取り入れながら、特徴をうまく掴んで全体的に似ているように描き上げる。それが似顔絵というものではないだろうか。
そういう意味でいけば、真美の似顔絵は、まさにあいりを描き出していると言ってもいいだろう。だが、あいりには、どうしても自分とは思えなかった。
他の人に見てもらうと、
「何、訳の分からないことを言っているの。あなた以外の誰なのよ」
と言われた。
考えてみれば、会社の同僚があいりの姉を見たことがあるわけもない。真美があいりを皆から描いたのだから、あいりだとしか見えないのは当然のことである。
確かに、真美だってあいりの姉を知っているわけではないのだから、錯覚があるとすればあいりの方だろう。あいりだけが自分も姉も分かっているのだから、姉に似ていると思い込んでしまったことで錯覚を及ぼしたに違いない。
「ねえ、あいりって、被害妄想なところがあるの?」
と真美に聞かれたが。その意識はなかったので、
「ないわ」
と聞かれた。
その時の返事があまりにも不愛想だったので、まわりよりもあいり自身が、自己嫌悪に陥ることになった。
――たかが似顔絵ということだけで、こんなに気まずくなってしまうなんて――
と、自己嫌悪に合わせて、真美に対しての不信感が募ってきたことに対し、またしても真美に対して疑心暗鬼になっている自分を感じた。
あいりは、これ以上自分を嫌いになるのが、嫌だったのだ。
確かに、冷静になって見れば、あいりの似顔絵だった。しかし、その時は姉にしか見えなかったのだ。それは自分の中で抑えることのできない驚愕として残っていたことであり、その絵を見た時の自分が普通ではなかったということも分かっているつもりだった。
あいりは、姉の顔をいまさらながらに思い出そうと、その時思ったが、なぜか思い出せない。きっと真美が描いた似顔絵に姉を見てしまったからだろう。姉を見てしまったことで、今度は比較対象になる姉の顔を思い出せないという皮肉な結果になってしまい、そうなると、この論争は本末転倒を文字通り絵に描いたようなものだった。
あいりが描いた似顔絵にはいつも驚かされていたような気がしていた。これは自分の似顔絵が姉に見えていたり、記憶喪失状態で描いた絵が晋三を示していたりと、何かあいりには、真美の似顔絵を恐怖に感じるものがあるのを感じたのだった。
――真美には何か、不思議な力でも、備わっているんじゃないかしら?
と思った。
そういう意味でも、真美に死なれるのはもったいない気がしていた。友達として死ななかった彼女を不幸中の幸いだと思い、素直に喜ぶべきなのだろうが、それ以外に真美が生き残ったことに他に意味があるのではないかと思うのは、考えすぎであろうか。
「そういえば、私が小説を書くようになったのは、一過性の記憶喪失だったすぐその後くらいじゃなかったかしら?」
というのを思い出した。
それまで小説を書きたいという思いを、ずっと持っていたような気がしたが、なかなか書けるようにならなったにも関わらず、一過性の記憶喪失状態だったということを意識してすぐくらいから、小節らしきものを書けるようになっていた。
勝手に手が動いて、文章が次々と作られるというような、まるで魔法の手を手に入れたような気がするくらいだった。
「小説を書くというのは、頭が考えるのではなくって。指が勝手に動いて書いてくれるのだ」
というのが、あいりの小説というものに対しての考えだった。
文章が書けるようになると。後はいかに継続して書けるようになるかということだけだったが、これも案外と、
「案ずるより産むがやすし」
だった。
指が勝手に動いているなんて、これこそ一過性のもので、すぐに動かなくなると思っていたが、次第に指が動かなくなるどころか、指が慣れてきたのか、頭がついてくるようになったのか、文章の三つくらい先をずっと見ている状態だったことで、指が休まることもなかった。
「やはり、頭で考えるわけではなく、感じることが先へ進むということへの手管となるのだ」
と思うのだった。
あいりが、小説を書くのに指が止まらないのと同じで、真美が似顔絵を描いている時も、ほとんど指が止まっていないような気がしていた。サラサラと鉛筆を動かしながら、デッサンするように絵筆がキャンバスを彩っていく。濃淡を色で表すというのは難しいことではないかと思っていたが、真美に言わせると、
「そんなことはないわ。色には濃淡を決める色があるの、それを自分で発見することで、そこから先、自分がいかに描こうとするかを決めてくれるような気がするのよ」
と言っていた。
正直、何を言っているのか分からない気がしたが。書いているのを見ているだけで、催眠術にでもかかったかのように、睡魔に襲われることがあった。
だが、真美がじっとこちらを見ている視線に気づくとすぐにシャキッとして、ハッと我に返る自分がいるのに気付かされる。
「似顔絵を描くのって面白いの?」
と、いかにもと思える愚問をわざと浴びせてみたが、真美は冷淡な笑顔を見せ、