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呪縛の緊急避難

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 今真美は記憶を失っていて、今の記憶は、喪失した瞬間から始まっている。
「では、喪失した記憶が戻ってくれば、喪失してから生まれた記憶はどうなるというのだろう?」
 という疑問は、前述のように生まれてくるはずだ。
 普通に考えれば、その記憶は消えてしまうように思う。。考え方としては、表に出てこないように封印されるものだとも言えるかも知れない。あいりは実際にそうだろうと思っていたが、最近では少し違った考えを持っていた。
 元々の記憶が戻るということは、記憶が戻ったことによって、元々が歩むはずだった道とは別の道を歩んでいるのではないかという考えである。
 タイムマシンなどで過去に行き、過去を変えてしまうと、そこから未来が変わってしまい、本来の未来とはまったく違った未来が開けてしまうという考えと同じである。
 だが、そこからの運命はまるで何もなかったかのように進んでいくであろう。何と言っても、未来に対して何が正しい、本来はこんな未来だったのだということを証明できないからである。
 だから逆に考え方は無限に存在しているとも言えるのではないだろうか。その中に正解を求めるのは無理なことであり、そうなると、記憶を失ったことも、記憶が戻ったことも、最初から決められていたことだと考えるしかないではないか。
 そういう意味で、
「運命は変えることができる」
 というポジティブな考えを主張する人がいるが、すべてのことを網羅する考えを、いかに矛盾を少なく考えるかとすれば、
「運命は最初から決まっていて、変えることはできない」
 と考える方が、一番しっくりくるのではないだろうか。
「何が起こっても、そこには必ず意味がある」
 という人がいるが、その考え方の方が、運命は変えられると言っている理屈よりもよほど説得力があり、必ず意味があるのであれば、何が起こっても、それは最初から決まっていたことだという理屈になり、やはり運命を人間が変えられるなどという理屈は大それたことだと言えるであろう。
 それが記憶と意識にも言えることで、それぞれを正反対のことだと考えると、この二つは表裏にあるもので、どちらかが表に出ている時は、どちらかが後ろにある。決して交わることのない平行線のようなものだと考えるのが、妥当ではないだろうか。

                  緊急避難

 あれはいつのことだったか、あいりが高校時代、好きになった男の人がいたが、好きにはなったのだが、自分で好きだという意識はなく、まわりがけしかけるくらいであった。
 まわりは、あいりとその男が別にくっつこうがどうしようが別にどうでもよかった。その時の話題として盛り上がればいいだけで、架けた梯子で屋上まで持ち上げておいて、後で梯子を外すようなそんな状態になりかねなかった。
 実際に、今まであいり以外の人に対し、似たようなことをして、その人がその気になった時には、まわりは誰もその人を意識していないと言った茶番が、日常のように繰り返されているのが、高校生というものではないだろうか。
 そもそも誰かを好きになるのに、人から言われて、
「言われてみれば」
 なんて考えるというのは、本当の意識ではないということではないだろうか。
 だが、あいりはそんな手には引っかからなかった。なぜならあいりは、女子高生の中でのそんな仕掛けに対して、他の人とはまったく違う意識を持っていたのだ。
 その意識の一つとして、あいりは「緊急避難」を感じていた。
 実際に経験したことではないので、どうしてこんな想像ができるのか、自分でもビックリしているが、これが想像を絶する妄想であるとすれば、ひょっとすると、自分の裏にある記憶が似たような経験をしたことがあるのかも知れないと思った。それは、記憶喪失になった後に感じた経験を、元の記憶を取り戻した時に忘れてしまっているかのような時、何かのきっかけがあれば、記憶喪失の間に育まれた記憶がよみがえってくるという発想である。
 ただ、この意識は、
「記憶として格納されたものは、意識と潜在意識を両方格納していて、その境目が分からないのではないか?」
 という思いである。
 つまり、夢や妄想と現実が混同してしまった潜在意識が記憶として格納される。だから、現実とは思えないので、
「以前に見た夢なんだ」
 という意識を持つのではないだろうか。
 だから、夢としての格納よりも鮮明であるため、リアルで生々しさがやけに残っている恐怖が夢にあるとすれば、恐怖だけを夢として記憶しているというのも分からなくもない。そう思うと、あいりの記憶の中で、最近よく意識して何度も読みがってくるのが、いわゆる、
「緊急避難」
 と呼ばれる記憶であった。
 緊急避難というと、いろいろあるだろうが、あいりが思い浮かぶのが、一台のボートに二人か三人が乗っていて、大海原を彷徨っているという状況である。
 台風のような嵐や大しけにあったのだろう。豪華客船か何かに乗っていて、詐称か何かして船が沈んでいく中、救命ボートでかろうじて逃れることができた仲間たちである。
 しかし、大きな船と一緒に沈んでしまった方がある意味、幸せではなかったかと思うほどの恐怖が、襲ってくるのは必至だった。
 状況はどう考えても絶望的である。誰かが助けてくれるという保証は皆無に近い。大海原で遭難し、今では海も嵐や大しけがまるでウソのように、静かな波を小刻みに刻んでいる。
 風もあるのかないのか、大海原はどこまでも続いている。
 次第に喉は乾いてくるが、これだけの水があるにも関わらず、飲むわけにはいかない。飲んでしまうと、喉の奥から火炎を噴き出すかのように、暑さと痛さで感覚はなくなり、そのまま呼吸困難を引き起こすことは分かっていた。
「まるで毒薬を服用したかのような苦しみだわ」
 と感じた。
 毒薬であれば、しばらくすれば死を迎えることができるが、海水を飲んで死ねるかどうかは分からない。無限の苦しみから気を失いことくらいはあるだろうが、意識が戻ってからが果たしてどうであろう。絶望的な状況が回復するわけではない。
 鬱状態の時に、
「一番楽しい時は?」
 と聞かれると、
「眠りに就く時」
 と答えるだろう。
 逆を聞かれると。
「眠りから覚める時」
 と答える、
 つまり、眠りから覚めた時、現実に引き戻され、死ななかったことでよかったと思うなどありえない。結局苦痛と恐怖の極致から、逃れることはできないのだ。
 一思いに殺してほしいという思いと、この状況でも、死にたくないという思いが共存している。だから、頭が混乱しマヒしてくると考えることは、きっといかにして生き残ることができるかということに尽きるのではないだろうか。
 緊急避難の場面は一度ミステリーで読んだのが最初だっただろうか。その場面を想像することはそれほど難しいことではなかった。情景と言っても、空と海しかない大海原に、ボートが一艘浮いていて、そこに二人か、三人が遭難しているのだ。
 髪の毛や髭はボーボーになっていて、その顔はどす黒く汚れている。服は元々の減刑をとどめてはおらず、敗れている。船が遭難し、命からがら逃げたのだから、服がまともだというのは不自然である。
作品名:呪縛の緊急避難 作家名:森本晃次