呪縛の緊急避難
管理人としても、真美がこれ以上自殺を試みなければ、なるべくなら真美に住んでほしいと思っているだろう。いくら生き残ったとはいえ、自殺未遂をした部屋など、誰が借りるというのか、普通であれば、事故物件になりかねない。それであれば、責任をもってそれ以降も住んでほしいと思っていた。
もっとも、管理人は真美が記憶を失っているところまでは知らない。とりあえずは、今現状での話であった。だから、あいりが、
「入院中の山口さんから頼まれて、絵の道具を持ってきてほしいと言われたんですが」
というと、管理人も、
「じゃあ、私が立ち合いの元、扉を開けますね」
ということで、あいりとしても、その方がよかった。
何もないことは分かっているが、管理人ともども、後から何かが無くなったと言われるのも嫌だったからだ。
真美の絵の道具は幸いなことに、すぐに見つかった。あいりとしては、
――もっと時間が掛かるんじゃないか?
と思っていただけに、早く見つかってよかったと思っている。
絵の道具を手に、病院にやってきたあいりを、真美は心待ちにしていたようだ。
どうやら、最近の真美はあまり絵を描くことはしていなかったようで、
「じゃあ、何をしていたの?」
と、返事がないのは分かっていたが聞いてみると、やはり、何も返事が返ってこなかった。
真美はよほど興味のあることだけを覚えているようだった。
あいりから受け取った絵の道具を、真美はさも大事そうに、まるでいとおしむように触っていた。
「私は本当に絵が好きだったのね」
とあいりに聞くので、
「ええ、そうよ」
と答えはしたが、実際には真美が絵を描いているところを垣間見たことは、自分の似顔絵を描いてくれている時だけだった。
「今まで何人くらい描いたの?」
と聞くと、
「五十人くらいは描いた気がするわ」
というではないか。
自分の書いた人数を大体ではあるが言えるということは、その人数には自分なりの信憑性があるのだろう。そう思うと、真美の記憶が結構自分の都合で作用されているように思えて、
――人の記憶なんて、結構曖昧なものなのかも知れないわね――
と感じた。
「私の似顔絵を描いてくれたの覚えてる?」
と聞くと、
「覚えているわ。あいりさんは結構じっとしているのが億劫だったのかも知れないって思っているの。結構身体がきつかったでしょう?」
と言われたので、
「ええ、確かにそうだわ」
と言ったが、これは本当のことだった。
あいりは、真美が自分を描いてくれた時のことを思い出した。あの時も、
「似顔絵って久しぶり」
と言っていたっけ。
元々中学生くらいの頃、似顔絵を描くのが好きだったようで、しばらく描いていなかったという。実際に五年ぶりだと言っていたが、その割にはしっかりと描けている。それまでに、似顔絵以外の絵も描いていたのだろう。そう思うと、
「継続は力なり」
という言葉も信憑性のあるものだと思えてくるから不思議だった。
スケッチブックを目の前に、記憶を失った真美は、何を描こうというのだろうか……。
記憶と意識
似顔絵を描くのが得意なのが真美であれば、文章を書くのが得意なのがあいりであった。しかし、得意というのは真美のことであり、あいりの方は別に得意だとは思っていなかった。
「書くのが好きなだけ」
と思っていた。
いや、もっと言えば、書くこと自体はそんなに好きではない。実際に物語を作って、それを文章化することで、形になるのが嬉しかったのだ。いわゆる自己満足を得られればそれでいいというものなのだが、そもそも趣味というのは、そういうものなのではないだろうかと思っている。
真美のように絵を描く、しかも似顔絵に限定している場合は、そんなに毎日続けるものではないが、あいりのように文章全般、ただし好き嫌いという意味では激しいものがあるが、狭い範囲でも書こうと思えば、題材など無限にあるのではないかと思われる。そう思うと、毎日続けていてもいいだろう。実際に今でもほぼ毎日少しずつではあるが続けていた。
毎日続けるのには、あいりなりに理由があった。
「私、結構忘れっぽいのよ」
と、文章を書いていると、いつもその世界に入り込んで書いている。
だから、自分では十分くらいしか書いていないと思っていても、実際には一時間も経過していたなど、ざらにあったりする。それだけ集中しているのであろうが、集中しているということは自分の世界を形成し、その中に入り込んでいるということでもあり、我に返って元の世界に引き戻されると、もう一度その世界を形成するのに、また集中しなければならない。それをあいりは、
「忘れっぽい」
と考えるのだった。
あいりのいう、
「好き嫌い」
というのは、ジャンルであったり、文章作法などである。
ジャンルとしては、基本的にノンフィクションは書きたくない。ノンフィクションのように実際にネタが存在していて、それを忠実に書くというのは、まるで写生しているかのようではないか。
真美の趣味である似顔絵などもその一つで、自分が絵を描くことができないのは、
「忠実に書き写すということを毛嫌いしているからではないか?」
という思いがあるからで、きっとそんなことではないと分かっているつもりなのだが、どうもそれだけではないのだろう。
あいりは一時期、
「小説を書き始めてから、本を読むのをやめた」
と言っていたが、その理由として、
「自分の筆がブレるから」
と答えていた。
しかし、それは厳密にはウソであり、意識としては筆がブレるというのは、その人の文章をまねるという、猿真似になってしまうことを嫌ったからであった。
ただ、それは言い訳であった。その人の書く文章ではなく、発想に、自分の考えが惑わされるのを嫌ったのである。
あいりは、
「自分は文章を書くのが苦手だと思っているけど、文章のネタになる発想をするのは得意なのではないだろうか」
と思っていた。
だから、人の本、特にプロの小説を読んで、まるで盗作のような気持ちになるのが、物語を作るのが得意だと思っている自分のプライドを、傷つけるのではないかと考えるからであった。
最近では、本も読むし、小節も書く。だが、そのジャンルは違うものだった。
実際に読む小説は、ノンフィクションであり、ジャンルとしては、歴史ものばかりである。しかし、自分が書くのは、フィクションであり、ジャンルとしてはミステリー、オカルト系が多かった。
読むものと書くものとの間に接点がなければ、ブレることもない、それがあいりの考えであり、他の人が思っている以上に、読書と小説執筆の間に距離を置き、さらに結界のようなものを儲けているのだった。
「小説を書いていると、すべてを忘れられるような気がする」
というのが、最初に書き始めた率直な動機だった。
勉強が嫌で、友達と一緒にいるのも嫌な時期があったことで、そんなネガティブな気持ちになったのかも知れないが、今から思えば、
「自分以外の人が別の趣味を持つのも似たような気持ちがあるからなのかも知れない」
と思った。