呪縛の緊急避難
それは、皆がビックリする姿が見たいからなのか、それとも、ビックリさせている自分に対して誇張を感じるからなのか、それはよく分からなかった。ビックリする姿が見たいという思いと、自分を誇張したい思いとでは似ているように思うが、受動的、能動的という意味では正反対である。似たような内容であればあるほど、受動と能動が違っていれば、その感覚はまったく違うものだと、あいりは感じていた。
真美の自分の知っている性格からすれば、好きになった人がいたとすれば、付き合うようになるまでは、決してその名前を明かすことはない。付き合うようになれば、名前を明かし、付き合っているということを公表するような気がする。
つまり真美という女性の性格は、
「決定するまでは決して人に知られないようにして、決定してしまえば、皆に公表しないと気が済まない」
というものではないかと思うのだった。
そう思うと、
――彼女は、Kという男性と付き合っていたわけではない。片想いだったのか、それともまだ発展途上なのか――
であろう、
しかし、発展途上であれば、自殺をする理由としては、浅いのではないだろうか。ひょっとすると、鬱状態に入ってしまったために、何事もすべてにおいて、自分を否定してしまって、相手を思う気持ちが普段以上に強くなり、依存症の状況を作り出したとすれば、それは自殺へ向かう精神状態としては、十分にありえるのもではないだろうか。
あいりは、そこまで考えると、その考えが一定の説得力があるのに気付いた。
しかし、次の瞬間、
「待てよ」
と感じた。
その思いは、やはり矛盾から来るもので、しかもそれは表に出てきている事実に基づいていた。それは他でもない、
「トイレの便座シートが上がっていた」
という事実である。
前述の通り、女性の一人暮らしである真美の部屋では、普通ならトイレの便座シートが上がっていることは考えられない、大小ともに、座って用を足すのであるからである。
だから、少なくとも最後にトイレを使ったのは、男性であると言わざる負えないだろう。
Kという男性が真美の唯一の思い人であれば、遺書から考えられるKという男性との関係とは矛盾しているように思えるのだ。
真美の家族が来ていたという考えも少し違うような気がする。もし、家族が来ているのであれば、あいりに来てほしいとは言わないだろう。ひょっとすると、家族のことで相談があったのではないかという想像も成り立つが、真美のような性格の女性が、いくら仲がいいと言っての、家族のことで相談するとは思えない。
なぜなら、あいりは、真美の家族を知らないからだ。
家族構成もあまり聞いたことがないのに、いきなり相談するというのもおかしな気がした。相談するのであれば、少なくとも家族のことを知っている相手でなかればいけないだろう。それなのに、まったく家族のことを知らない相手に相談するなど、
――原始時代までしか知らない人に明治維新の話をするようなものである――
と言えるのではないだろうか、
真美の几帳面なところは、人と話をする時もしっかり段階を追って話すところでも伺うことができる。いくら精神状態に支障をきたしているとしても、この基準に狂いはないような気がする。もっとも自殺をするところまで追いつめられているのだとすれば、その考えも信憑性は疑わしいものである。
ただ、真美の部屋には、表立って見えるところに、男の影はないということだった。部屋に連れ込むことがないだけで、実際には付き合っているのかも知れない。それは分からなかったが、もし、そうであるとすれば、かなり計画的な付き合い方をしていたことになる。
真美が計算高いのか、Kという男性がそのあたりを指示していたのか、ただ、お互いに人に知られることを望んではいないのだろう。
ただ、それも二人が付き合っていたという前提の元であり、それがどこまで信憑性のあるものなのかが怪しいだけに、すべてが想像の域を出ない。しかも肝心な本人の記憶が飛んでしまっているというのはどういうことなのか、真美には想像ができなかった。
また、真美という女性が体裁を装うということに対して、矛盾した考えを持っているというのも、今から思えば感じていたことだった。
服装などはある程度、何を着ていても構わないという性格であった。別に普通なら奇抜でないものでも、その場で着るには目立ってしまって、奇抜に忌めるという雰囲気の服は結構着ていたりする。
誰も違和感を覚えながらもそのことを指摘する人はいない。それだけ本人が自信を持って着ているように見えるからだ。
――自信を持ってやっている人に対して、注意をするということはおこがましいことだ――
と言えるのではないだろうか。
だから、あいりも真美に対して余計なことは言わない。だが、あいりが言わないのは他の人と少し違う考えを持っているからだった。
――真美ちゃんに対しては。何を言っても同じだから――
という思いであった。
真美という女性は性格的に、人から注意をされても。注意されたことで逆ギレしたり、羞恥で顔が真っ赤になるようなそんなタイプではなかった。どちらかというと、注意されると、恐縮して甘んじて聞くのだが、本当に分かって聞いているのか分からないところがあるのだ。
つまりは、受け答えはいいが、聴いたことが右から左に抜けてしまって、真剣に聞いていないという風に見えるのだ。
きっと他の人は真美のそんな性格を分かっているのではないだろうか。だからこそ、
「話をしても無駄なんだ」
と、まるで、
「暖簾に腕押し」
状態を想像してしまうのだろう。
いくら力を入れて押したとしても、それはすべてを吸収されて、力を入れただけ損になってしまうというものである。
そんなところがあるくせに、普段は几帳面なのだ。
真美の場合、その境界線が分からないのだ。几帳面でも大雑把なところがある人は、何も真美だけではないだろう。しかし、少々仲良くなれば、相手の行動パターンや性格のパターンが分かるというものなのに、真美の場合は、その共通点が見つからないのだ。
あいりが真美をほぼ毎日見舞った。
行けない日があったとしても、二日と開けることはなかった。真美はあいりのことも分からないらしく、
「お友達なのよ」
というとニッコリ微笑むだけで、分かっているのか分からっていないのか、反応から察することはできなかった。
だが、あいりが毎日来てくれるのはありがたいらしく、あいりが一日開けると、あいりの方ではそんなに開けているような気がしていないのに、真美の方は、まるで一週間ぶりに見たかのように、
「久しぶり」
と言って、実に嬉しそうな顔をする。
――こんな真美の表情、今まで見たことがなかったわ――
と感じた。
記憶喪失と言っても、潜在的に、つまり無意識で行動することを忘れたわけではない。例えば生理現象であったり、食欲や睡眠のような欲という部類もものであれば、普通に覚えているものである。