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短編集96(過去作品)

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 どちらかというと友達は多い方で社交的な性格の友則だけに、誰のところにも遊びに行かないというのはきっと誰もが以外に思うに違いない。
 その日も最初はそうだった。まさか遊びに行こうなどと思うはずもないと思って話をしていた。ましてや彼は既婚者である。既婚者の家庭に上がりこむなどもっての他だと思っていた。
 電話を切ってから出かける用意をするのに三十分、あらかじめ電車の時間を調べておくことに余念はなかった。計画性はしっかり持ってから行動しないと気が済まない友則は、ちゃんと帰りの時間のメモを怠らなかった。
 電車に揺られてすぐに駅に着く。駅前ロータリーは静まりかえっていた。住宅街にある駅なので、タクシー乗り場にタクシーが停車している程度で、あとは静かなものだった。
 家を出てからここまで、小一時間という時間が経過しているにも関わらず、あっという間だったように思うのは気のせいだろうか。駅から少し歩けば暗い街灯に浮かび上がるようにマンションの棟が浮かび上がって見えて不気味な感じを醸し出している。
 友達のマンションはその中の一角にある。
――確か、小沢と順子のマンションもこんな感じの造りだったな――
 順子に対して未練がないはずの友則だったが、魔が差したというのだろうか、二人の新居の大まかな住所は噂で聞いていたこともあって、近くまで来た時に部屋を調べてみようという衝動に駆られたことがあった。何とも浅ましい行動であるが、その時は感覚が麻痺していたのか、罪悪感のかけらもなかった。もし罪悪感のかけらでもあれば、こんな浅ましい行為に及びわけはない。
 もちろん、部屋が特定できるわけもなく、しばらくすると疲れてもきたことから、その日は引き上げた。だが、翌日の目覚めは最悪で、最初はなぜ目覚めが最悪なのか分からなかった。
――そうか、夢だと思っていたんだ――
 部屋を探そうとした行為、夢か現実か自分でも分かっていなかった。翌日の朝、目が覚めた瞬間、自分がしたことが夢だったのだと思い込んでいたのだ。
 目が覚めるにしたがって、現実だったことに罪悪感が襲ってくる。
――もう二度としないぞ――
 と言い聞かせるが、実際に何に対する罪悪感なのか分からない。
――浅ましさに対しての罪悪感?
 罪悪感があるとすれば、自分に対してであることに違いない。それが浅ましさかどうか、ハッキリと分かっていなかった。その時は自分を許せない気持ちでいっぱいだったのだ。
 そんなことを考えながら歩いているとすぐに友達のマンションは見つかった。同じようなマンションが並ぶ中、夜のしじまに浮かび上がる静けさがさらなる不気味さを演出していた。
 本当にあっという間に着いた気がした。ここに来るまでに、きっと無意識に小沢と順子のマンションのことを想像していたのかも知れない。今まで人の家に行くことを嫌ったのは、相手に遠慮してというより、相手の家庭を想像してしまう自分を嫌ったからではないだろうか。
――いつも順子は、あの小沢のしなやかな腕に抱かれているのか――
 と思うと嫉妬が湧いてこないわけではない。一度はプロポーズまでした女性だ。他の男のものになってしまえば、逃がした魚の大きさに初めて気付く。
 最初に感じた順子への思いに似ているかも知れない。最初に好きになったきっかけは今までと変わりないだろうが、その思いを一層強くしたのは、自分と知り合う寸前まで誰か他の人と付き合っていたという事実を聞いた時である。
 自分より前を歩いている人には絶対に追いつけないという気持ちがある反面、
――今、彼女は自分のものだ――
 という自負がジレンマを呼び、さらなる彼女への思いが自分の中でふつふつと煮えたぎってくるのを感じたのだ。
 自然な感覚だったに違いない。特に相手がどんな男だったのか、写真を見たこともない。順子が意識して見せないようにしていたのもあるが、友則自身、見たいと言い出すこともなかった。なるべく話題から逸らそうとしていた自分を顧みた時、情けなさでいっぱいになることもあった。
 順子を抱いている時、まるで自分ではない感覚に陥ることがあったが、そんな時に見せる順子の顔は恍惚に満ちていて、宙を彷徨っている身体を押さえつけようとしている友則に逆らおうともしない。吐息とともに漏れる声は言葉になっておらず、口の動きからも何と言っているか分からない。男の名前を呼んでいるように思えて仕方がないが、
「と・も・の・り」
 と口が動いているようにはどうしても思えない。
 それを感じた時、友則の中で一番の快感が押し寄せる。数秒後には気だるさが襲ってくることも頭の中では分かっていて、
――どうしてこんな時に冷静になれるんだ――
 と不思議に感じられた……。
 マンションのロビーに入ると、それまでの寒さがまるでウソのよう、照明の明るさが暖かく迎えてくれた。
 寒い中を歩いてくる間に回想していた順子との思い出は、暖房の暖かさによって打ち消されてしまったようだ。誰もいないマンションのロビーに乾いた靴音が響いている。正面にあるエレベーターの扉が近いようで遠い。
「ピンポーン」
 エレベーターに乗り込むと、最上階である八階のボタンに手が掛かる。扉が閉まると一気に圧力が掛かり、更なる乾いた空気が耳鳴りを起こしそうだった。
 オートロックで扉を開けていてくれた友達の部屋はすぐに分かった。
「やあ、久しぶり」
 という声とともに、扉から顔を出していてくれたからだ。
 部屋に入ってから他愛もない会話に花が咲いたが、それでもさっきまで一人で歩いてくる時に感じていた順子との思い出の回想がまだ頭の奥に燻っているようだった。
 時間的には三時間はたっぷりと話をしていただろう。最初の頃の話題からどんどん派生していき、気がつけば小さい頃にお互いが考えていたことなどといった当初の話題とは何の関係もない話にまでなっていたのだ。
 そういう会話を友則は嫌いではない。同じような内容を節度なくダラダラと話している方がよほど苛立ちがある。お互いに話題を探すことに労力を使うような会話は愚の骨頂だと思っている友則にとって、そういうダラダラした会話は苦痛以外の何者でもない。時間の無駄であり、何よりも時間が過ぎてくれない。時間が大切なものだと思っているだけに、大切なものを無駄だと思う自分に苛立ちを覚え、時間の神様が罰を与える。実に気分の悪いものだ。
 時間を感じさせない会話がこれほどありがたいものだということを今さらながらに感じた友則は、時計を見てビックリした。時計の針はすでに午後十時近くまで来ていたからだ。
 泊まりこむつもりは毛頭ない。せめて最終電車に間に合えばいいと思っていた程度だったが、気がついた時間がこれまた中途半端だ。このまま話を続ければ今度気付く時は日付が変わっているに違いない。
「じゃあ、今日はこのあたりでお開きだね」
「久しぶりに懐かしい話ができて楽しかったよ」
 お互いに顔が紅潮しているかに見えるほど、話が白熱していた。久しぶりに腹を割っての話に友則は満足している。それが最後の会話にも滲み出ていて、実に気持ちよく帰宅できることに喜びを感じた。
作品名:短編集96(過去作品) 作家名:森本晃次