短編集96(過去作品)
という思いだった。別れることで安心感を与えられもしたが、心のどこかに大きな穴がポツリと空いてしまったこともウソではない。それを埋めるにはかなりの時間と労力を必要とするだろう。いや、下手に労力を使うよりも、時間を掛けてゆっくりと構えている方がいいのかも知れない。
順子にプロポーズした時、断られることを半分予想していたにも関わらず、半分は結婚してからの生活を想像していたのも事実だった。結婚してから住む場所を考えたり、部屋の内装など、どのようなものが順子には似合うか、そしてお互いが住む居住空間の中での暖かさを想像してみたりもしたものだ。
だが、居住空間の中でのお互いを想像することはできても、暖かさを想像することまではできなかった。普段の順子にすら暖かさを感じていたわけではなく、身体を重ねた時だけ感じていたといっても過言ではない。だから身体を求めたのだと思っていたくらいだ。
元々男女が相手の身体を求める時というのは、暖かさを求めたいからではないかと思っていた友則である。肌と肌の結びつき、それが快感を呼び、身体の一点に集中させることによって快楽を得られるのだ。もちろん快楽だけがセックスではない。相手を見つめることがセックスの原点だと思っていた。
順子はそうは思っていなかった。快楽は何かの副賞に思っていただろう。本当に求めるものが相手の暖かさだと思っている友則とは少々気持ちに行き違いがあっただろう。
女性が男に抱かれる時は、男性に対して一番奉仕の気持ちが強い時だと思っていたが、順子に限ってはそうでもない。お互いがお互いを貪る中で生まれる奉仕の心、それが順子には見られないのだ。
――この女、冷めてるな――
最初に抱いた時から感じていた。だが、そんな女をいずれは奉仕の心を持った女性、女としての恥じらいや可愛らしさを持った女性にしてやるんだという気概を持つようになった。実際にはすれ違った心を見つけるのは容易ではなく、快楽を得ることはできても、それが快感に結びつかなかった。これが順子と別れる気持ちになった理由の中では最大のものかも知れない。
――身体の相性はバッチリでも、なかなかうまくはいかないな――
心の中で愚痴ってしまっていた。
プロポーズは自分が順子に引導を渡すための一つの手段だったのかも知れない。相手のリアクションを想像し、その通りであれば愛情は存在しないという思いである。想像通りの回答に、もはや愛情のかけらすらなかった。
「お前が誰かに相談したり、行動を起こす時というのは、すでに結論を決めている時だからな」
と友達から言われたことがあったが、まさしくそのとおりである。
順子と別れて正解だったと感じたのは、彼女がそれから二年ほどして結婚したからだった。
相手は会社の人間だが、部署が違うのでまったく知らなかったやつだ。順子と別れてすぐ、友則は本社勤務となった。順子と一緒にいた支店からは近くで、本部とは結構連絡を取り合っている支店で、人の行き来も激しかった。出張というほどの距離でもないので、
「ちょっと本部に行ってきます」
といった程度で軽い外出気分であった。
「生田君、君には今度本部で頑張ってもらうことになった」
支店長に呼ばれ応接室に入った時、ニコニコ微笑んでいる支店長の顔から悪い話ではないと思っていたので、大体の予想はついた。
「ありがとうございます。頑張ります」
短い会話だったが、それは想像していたから成しえた短さで、支店長も友則が予想していたことを分かったから、必要以上なことを話さなかったのだろう。男同士の会話で必要以上のことを口にすることはあまりないと思っていた友則にはありがたい支店長であった。
本部で待っていた仕事は友則にとってやりがいのある仕事だった。支店での経験をいかんなく発揮でき、さらなる活躍を期待された。それは給与面にも現れていて、意気に感じて仕事をする友則にとって願ったり叶ったりであった。
もちろん、この人事もそんな友則の性格を熟知した上での人選だったに違いなく、人事部の見る目は正解だった。新規開拓を中心とした部署は、難しさと労力を必要とするが、新しいことを生み出すことにやりがいを感じている友則にはピッタリであった。まさに天職というべきである。
忙しさが倍増し、まわりが見えない時期でもあった。人生の中で一番脂の乗り切った時期ではないかと自分で感じるほどである。
しばらくは順子のことを忘れていた。順子も最初は友則に未練を残していたようだが、二年という歳月は、思ったよりも長く、必死に仕事をしていた友則には半年も経っていないような感覚だった。
しかし二年も経てば仕事もだいぶ軌道に乗ってきて、がむしゃらだった最初に比べ、段取りを覚えると、無駄な力が要らないことを知った。どれだけ無駄な力が入っていたかということが分かると、今度は他の部署に目が行くようになり、他の部署が使っている無駄な力が分かってくる。
指摘したこともあったが、やはり自分で経験しないとなかなか口で説明しても分かるものでもなく、ただ無駄な努力を見つめているしかない。そのうちに優越感を感じてくるのも仕方がないことだった。
――我々は選ばれた人間なんだ――
という思いが強く、しかも社長直轄の部署であることから、他の人からもエリート部署として一目置かれていた。
そんな中で、たくさんある本部の部署の中には、どうしようもない連中が集まる部署というのも存在する。あまり重要な仕事をしているわけではなく、どちらかというと雑用ばかりで、会社の迷惑にならない程度の仕事ばかりをする部署。通称、
「掃き溜め部署」
と呼ばれている連中が残業をしているところを見たことがない。
「君たちは残業しなくともいいんだよ」
と優しく言われているようだが、要するに、
「くだらない仕事のために、電気などの会社の経費を使われては叶わん」
ということである。まわりから見ていれば一目瞭然なのだが、実際に仕事をしている連中は、それを会社の好意だと思っているから幸せ者だ。まわりから嘲笑れていることなど誰も知らないだろう。
そんな部署の中でもさらに冴えない男がいる。特に友則と年齢的に違わないので、そう感じるのかも知れないが、脂の乗り切った年齢ですでに干されてしまったような男を見ているのはあまり気持ちのいいものではない。
男の名前は、小沢敦という。顔も雰囲気もどちらかというと女性っぽく、友則の一番嫌いなタイプである。
だが、時々そんな小沢に見つめられているのではないかと感じていた。最初は気のせいだと思っていたが、どうもそうではないようだ。順子と結婚が決まったというのも、まさか以前の関係を知っていたのではないかと勘ぐってしまうほどだった。
――あんなやつに分かるはずはないさ――
と思うが、ただの偶然にしては少し気持ち悪い。
結婚式は盛大に行われたようだ。
実は小沢の家庭は親が会社を経営していて、数年後には自分の会社に戻って、いずれ社長の道が約束されている。なぜそんなやつが「掃き溜め部署」にいたのかは定かではないが、そうやって考えてみると、彼の視線の奥にはただならぬものが潜んでいたのではないかと思えてならない。
作品名:短編集96(過去作品) 作家名:森本晃次