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短編集96(過去作品)

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 三角屋根の時計台、その奥には古い洋館が聳え立っている。玄関に入ると、長い廊下の奥から吹き抜ける風を感じていた。寒い時期でも容赦なく吹き抜ける風は意外と暖かく、頬を撫でる際に、心地よさすら感じていた。
「暖かいだろう?」
「うん、そういう設計になっているのかい?」
「設計がどうなのかは分からないんだけど、父がこの別荘を買った理由の一つに、吹き抜ける風が暖かいことが大いに影響したと聞いたことがあるんだ」
「そういえば、雪国のかまくらの中は暖かいって聞くけど、似たようなものなのかな?」
「かまくらは密閉されているからね。こことは違うだろうけど、どこか暖かく感じるあけの何かがあるに違いないんだ。だけどね、この屋敷の前のご主人は、ここは別荘としてか利用価値はないって言っていたらしいんだ」
「あまり、住居として人が長く住むには適していないということかな?」
「どうやら、そうらしい」
 梅田がもういないなど信じられない。だが、寂しさが湧いてるわけではなかった。
「俺は赤い色を見たんだ」
 と梅田が言っていたのを思い出した。最後に会った日ではなかったか。まさかその日が最後になるなど夢にも思わなかったので忘れていたが、冷たくなって横たわっている彼の顔を見ていると、あの日が最後だったと認識できる。
――赤い色って、見てしまうとロクなことがない――
 と何の脈絡もなく、感じるようになっていた。

 同じように赤い色を意識したのは、大学三年生の時だった。アルバイトで訪れた街、ゴムの匂いが充満し、小学生の頃に感じていた匂いを思い起こさせた。
 梅田の死から十年近くが経っていた。子供の頃の十年というと短いようで長い。一年一年に節目を感じて生きていた時期でもある。
 田舎に住んでいた頃に見た大きな切り株。その時は何も感じなかったが、年輪が歪な楕円を描いていた。
――本当に一筋がちょうど一年なのだろうか――
 という疑念を抱きながら見ているとおかしな気持ちになってくる。
 小さい頃から整理整頓が苦手だった静雄は、成長するにつれて降りかかる災いの元が、整理整頓のできない自分の性格にあることを自覚し始めた。だが、今さら小さい頃からのくせが抜けるわけもなく、まわりから指摘されるたびに、小さくなっている自分に苛立ちを覚えていた。
「整理整頓をキチンとしなさい。立派な大人になれないわよ」
 と言われても、
――立派な大人って何なんだ――
 と思いながら、判で押したセリフに嫌気が差していた。しなければしないで言われるのだが、言われたからするという方が数倍嫌だった。
 癪に触るではないか。
「今からやろうと思ったのに」
 というと、
「言い訳するんじゃありません」
 と、取り付くしまもない。
 少し前に成人式を迎えていた。
 自分が大人の仲間入りをしたという意識があったのは、成人式よりも、むしろ大学三年生に進級した時である。ある程度の単位を取得し、余裕ができるとアルバイトを始めた。二年生の頃までは講義の関係で長期のアルバイトは無理だったが、余裕ができると週に半分以上アルバイトに勤しむことができる。
 それも朝から夕方までの長時間、他の社員と変わらない就業時間である。嫌でも社会人の様子を垣間見ることができるというものだろう。
 アルバイトを探す決め手は、やはり時給だった。せっかく長くやるのだから、時給が高い方がいい。短期アルバイトだと時給が高いところも多いが、長期となるとなかなかそうも行かない。
 時給がいいというと肉体労働である。短期アルバイトであれば引越しなどの肉体労働でもそれほど苦痛ではなかったが、長期では自信がなかった。だが、それもすべてがまわりの人間関係によって変わるということを知ったのもその時だった。
 ゴムや薬品の匂いの目立つ街、そこは、ケミカルな会社が立ち並ぶところで、靴関係の問屋やメーカーが軒を連ねる街だった。
 匂いもさることながら、聞こえてくる乾いた金属音は小さい頃の記憶を呼び起こすに十分だった。
――こんなところで本当に長期できるのだろうか――
 という思いが強かったが、匂いに慣れてくると今度は却って離れられなくなった。電車で通っていたが、駅を降りてすぐに感じる街の匂いは、小さい頃の自分をダブらせるに十分だった。
 朝一緒に父親と家を出て行く。駅まで一緒に行って、ホームに消えていく父親の後姿にいつまでも手を振っていたのが思い出される。
 グレーのスーツ姿が印象的だった父、スーツはグレーに限ると思ったのは、そんな父の後姿を見たからだろう。父親も会社ではあまり目立つ方ではないらしい。見ているだけで分かるのは、自分が目立たない性格だからに他ならない。
 だが、本当は目立ちたいのかも知れない。目立ちたいのだが、どうすれば目立てるのかその術を知らず、その日一日が無難に過ぎてくれることを祈っている。
 目立つには勇気がいるだろう。失敗すれば、二度と振り向いてくれない。そんな思いが強いせいか、却って自分の殻に閉じこもってしまうのである。
 アルバイトでも、最初はあまり目立たないように地味に動いていた。ふざけていては大怪我になりかねないと感じたからである。コツコツ型の静雄にとってはその方がよかった。
 だが、一人コツコツしていては、なかなか時間が経過してくれない。
 時間の経過が思うように進んでいないことを危惧していたので、なるべく時計を見ないようにしていたが、それでも、
――そろそろ一時間くらい経ったかな――
 と思って時計を見ると、まだ二十分も経っていなかったりする。
 そんなことが数日続くと、精神的な疲れの方が大きく、最初に予想していた肉体的な疲れをしのいでしまう。
 肉体的な疲れなら、仕事が終わって翌日にはある程度解消できるというものだが、精神的な疲れであれば、仕事の時間が近づくにつれて、苦痛が戻ってくる。時間からくる精神的な疲労は、想像以上に辛かった。
 入って一週間して一度やめようと思ったことがあった。朝起きて、どうしても行きたくない気分だったからである。きっと夢見が悪かったに違いない。目が覚めて最初に感じたのは、喉がカラカラに渇いているのと、必要以上に疲労を感じていたからだ。
 夢の内容までは覚えていないが、そんな目覚めの時は、あまりいい夢を見ていない。夢の中でかなりのエネルギーを消耗しているのは分かっていて、しかも必要以上のエネルギーである。身体のどこかに不必要な力が入ってしまって、疲れを増発しているからに違いない。
 しかし、目覚めは悪くない。意識はすぐにしっかりしてくる。疲れが残っているということは、却って現実に戻るまでに時間が掛からないことを意味していて、もう少し熟睡できれば、完全に疲れは取れたのかも知れない。要するに眠りが浅かっただけなのだ。
 起きてから洗面台までは少し時間が掛かった。しかし、鏡に写っている自分の顔を見た時、そこにはもう一人の自分がいるような気がしていた。
 焦点の合っていない目、虚空を見つめる目は、どこを見ているのだろう?
作品名:短編集96(過去作品) 作家名:森本晃次