短編集96(過去作品)
ゴムの匂い
ゴムの匂い
一体何が悪いというのだろう。下田静雄がアルバイトとして訪れた街には、子供の頃に感じた匂いが充満していた。
――ゴムの匂い――
決していい匂いではない。食事時には遠慮したい匂いである。友達の中には匂いだけで食事がまともに食べられなくなり、引っ越していった者もいた。
「何だよ、これくらいの匂い。俺は何ともないさ」
と、人の苦しみの分からないのは子供ならではの考え方だった。
時として子供ほどむごいものはない。そのことを知らずに過ごしてきたはずなのだが、年を重ねるごとに、そのむごさが恐ろしくなる。
――一番感情深いのはいつなんだろう――
と考える。年を取るごとに臆病になってくるが、感情が麻痺してしまうこともある。特に会社に入ってから脂の乗り切った仕事をこなしている時ほど、人情を忘れているように思える。
――自分は社会の歯車でもいい――
などと思っていたのは今は昔、学校教育の中で思い込まされていたように思う。人のいうことにあまり逆らうことのない静雄は、先生のいうことに逆らったことなどない。逆らって得になることなど何一つなく、黙って従っていれば悪いようにはならなかった。
高校時代までの静雄はおとなしい性格で、目立たなかった。下手に目立つと、余計なことをさせられるということを知っていたからで、小学生時代、意図しない学級委員に推薦されたのも、まわりが面白がってのことだった。
「真面目なやつがやればいいんだ」
と影で言っているのを気付いていた。別に自分は真面目だとは思っていなかったが、いつも先生のそばにいるような生徒だったことが災いしたのだろう。
「目立たなくてもいいから、歯車のひとつでもいいから、他の人にない何かを見つければいいんだ」
と念を押すように話していたのが印象的だった。
「歯車」という言葉が妙に頭に残り、目立たない性格でも何かができるという自信にもなった。だが、反面目立たない人間だということを自分自身で烙印を押していることに違和感がないわけではない。
子供の頃からあまり身体の強い方ではなかった静雄は、喘息の持病を持っていた。母親が静養にと、よく夏休みになれば田舎へ連れていってくれたものだ。
田舎は山間に位置していて、緑に囲まれた静かなところだった。静雄が高校生くらいになる頃には開発が進み、避暑地として生まれ変わったが、それまではあまり人が来るようなところではなかった。
別荘地とでもいうのだろうか。麓には有名人の別荘がいくつか点在し、街を歩いていると、どこかで見たことあるような人が歩いているのを見かけたことも何度かあった。あまりテレビを見る方ではなかった静雄にとって、その人がどれほど有名な人かは分からない。だが、そんな静雄が知っているくらいなので、有名なのは間違いないだろう。
田舎に来ている時、喘息は起きなかった。そして田舎で静養しているうちに家に戻ってきても、喘息の発作が起こることはいつの間にかなくなっていた。
「精神的なものもかなり影響していたのかも知れないね」
医者の話だが、確かに静雄は自己暗示に掛かりやすい。自分が喘息だという自覚の元、どんなに薬を飲んでも治らなかったが、田舎のおいしい空気を吸うことで、喘息だということ自体を忘れさせてくれた。家に戻ってきても、田舎での生活が沁みこんでいるのか、発作も起こらなかった。
胸の鼓動が激しくなるのがきっかけだった。いつも何かに怯えていたように思うのは、自分が喘息だという自覚があったからかも知れない。
だが、田舎で静養していただけで、本当に喘息が治るものなのだろうか?
我ながら不思議な感覚であった。田舎での生活は、むしろ最初は苦痛だった。都会のようにテレビのチャンネルが多いわけではない。あまりテレビを見る方ではないだけに、見たい番組があった。子供らしくアニメ番組だったが、田舎はいかんせん、チャンネルが限られている。
――こんな面白くないところにいつまでいないといけないんだ――
とずっと思っていた。友達もおらず、元々無口だったが、独り言が多くなってくる。これは都会に入る頃から同じだったが、次第に独り言も言わなくなり、自分への問いかけはいつも疑問符がついていた。
独り言が多いのは、いつも自分への問いかけが多かったからである。疑問符ばかりではなく、自らに言い聞かせたり、考えていることに同意を求めたりということが主だったように思う。
田舎での生活で一番変わったのは食欲が出てきたことではなかったか。精神的なことも大きいに違いないが、目に見えて変わったことといえば、やはり嗅覚が正常になってきたことだろう。
都会にいればいろいろな匂いが交じり合って、嗅覚が麻痺していたに違いない。ゴムの匂いが一番印象的で、嫌いな匂いではないと思っていたこと自体、感覚が麻痺していたと思えるのだ。
別に我慢していたという感覚ではない。我慢という言葉自体、子供の頃の静雄には意識がなかった。
――仕方がないことなんだ――
と思っていた。
田舎の匂いといっても、単純ではない。
新鮮な空気ほど重たさを感じるということを初めて知った。というよりも錯覚ではないかと思うほどそのことを知っている人は少ないだろう。元々田舎にいる人は意識がないはずだ。それは都会にいる人にも言えることで、どちらも知っている人間だけが感じることができることに違いない。
以前、テレビアニメで、空気の中を泳いでいる光景を見た。大人の目から見れば他愛もないことなのだろうが、センセーショナルな印象を受けたのを覚えている。空気に対して何も感じていないと思っていた自分が、実は空気を気にしていたのではないかと感じた瞬間でもある。
空気と水の関係についてなど、難しいことは分からないが、夢の中で空を飛ぼうとして浮かぶことしかできず、水の中にいるかのように必死でもがいていた記憶があるくらいだ。空気を水のようなものだという意識は、小さい頃から潜在的に存在していたに違いない。
風も空気の一種だったことに気がついたのは、田舎に来てからだ。それまでは、風を感じたことはなく、強烈な匂いが風を感じさせる余裕を与えてくれなかったのだ。
川のせせらぎ、川原に咲く黄色が目立つ小さな花、名前を何と言うかなど知らないが、妙に印象に残っている。
――花は黄色でなければならない――
と勝手に思い込んでいたのは、黄色い色は影が一番綺麗に見えたからかも知れない。
黄色ばかり見ていると、目が明るさに慣れてしまい、あとには赤系統の色が残像として残ってしまう。
赤系統は嫌いではない。真っ赤な色に情熱を感じ、中学時代など好んで赤系統の服を着ていた。せめて服だけでも目立ちたいというわけではないが、薔薇になるとあまり好きではない。
ピンク系統の色に甘い香りを感じ、黄色い色に柑橘系の香りを感じるが、薔薇にだけはどんな香りを感じていいのか分からない。
――きつめの芳香剤の香り――
あまりいいイメージではない。
「棘があるから美しい」
作品名:短編集96(過去作品) 作家名:森本晃次