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短編集96(過去作品)

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 犬が影に入った瞬間に感じるが、すぐに抜けるので考えが中途半端になってしまう。だが、その時に感じた何とも言えない緊張感は、ウソではないのだ。行ったり来たりするのを見ていると、まるで自分を見ているような気がするのは気のせいだろうか。子供の頃ならきっと犬と同じ無邪気な行動をしていたはずだ。厳しい親の元、できなかったことを犬がしてくれていると思いながら見ていると、感慨もひとしおである。
 犬の行動も毎日少しずつ違っているようだ。藍子が感じている微妙な違いを犬も分かっているに違いない。影の長さ、太陽の大きさや色、すべて藍子と同じものを感じているようだ。
 同じものを同じ角度から見ていても、見る人が違えば違った考えが浮かんでくるものである。特に人間同士であればそうだろう。人間はそれぞれに考えを持っている。それは生まれついてのもの、育ってきた環境によって大きく違ってくる。
 だが、犬は違う。人間と一緒に過ごしてきて、人間をどのように見ているか分からないが、人間同士よりもある意味深い関係になりうるものに見えて仕方がない。
 犬に依存して生活している人も多い。特に一人暮らしの人に多く、若い女性や、老人に多い。寂しさを犬で紛らわそうとしているのだろうが、犬もそれに応えているようだ。
「人間って、少なからず誰もが寂しさを持っているものじゃないかな」
 友達の話だった。
 犬の散歩をするようになって自分も犬に依存しているのは分かっているが、元々友達と話す方ではなかったことから、
――それでいいんじゃないかな――
 と感じていたが、それが依存症であるという意識はなかった。考えるようになったのは、犬が影のまわりをウロウロするようになってからである。
 いつも犬を見ていると自分の視線と犬の視線が同じ高さに思えてならない。きっと低い位置からいつも上を見上げているような気持ちがしているからだろう。
 今まで自分が卑屈だと思ったことは一度もない。見下ろしているという意識もない。あるのは、
――自分は他の人とは違うのだ――
 という意識である。この意識があるから一人でいても寂しさを感じないと思っていた。
 だが、本当に寂しさを感じていないのだろうか? 最近疑問に感じている。それは犬を散歩させるようになってからのことだった。
 その日は特に影が長く感じられた。
 子供たちがどんどん母親に連れられて帰っていく。いつも見慣れた光景なのに、特に普段に比べると寂しさが強かった。
 影が長いと、影に立体感を感じる。夏に比べて冬はあまり寂しさを感じない。夏は暑さのために感じる気だるさに、湿気が交じり合って意識が朦朧としてくるが、冬は乾燥した空気の中、日の光がもたらす暖かさが恋しい。明るさの中にある影が浮き上がって見えるのも恋しさに関係あるに違いない。
 斜めに差し込んでくる日差しによって作られる影、それは歪なものである。ベンチに座った藍子は、前を向いているよりむしろ、下を向いて影を見ていることの方が多い。その日も帰っていく子供たちや手を引いている母親の長くなった影を見つめていた。ほとんど誰もいなくなると、重い腰を上げて歩き始めるのだが、まだ夕日が残っているので、もう少し座っていることにした。
 いつものように木によってできた影を行ったり来たりしている犬の姿を漠然と見ていたが、そこに別の犬の姿が見えてくるのを感じた。同じように光と影を行ったり来たりしている。初めて見るはずの相手を、同じ犬であればさらなる警戒をするはずだと思うのに、違和感なく一緒に飛んでいる姿は以前から知っていたと思わざるおえないほどである。
 藍子はその時初めて頭を上げた。そこにいるのは、柴犬を散歩させている一人の男性だった。
 藍子にとっては初めて見る男性、夕日をバックにシルエットのように浮かび上がるその姿はスリムで背が高く、
――私の理想のタイプの男性だわ――
 と、これも初対面で会話を交わす前から感じるなど、今までの藍子からは信じられないことだった。
「こんにちは」
 気軽に話しかけてくるその声に聞き覚えはなかった。だが、ひどく懐かしさを感じる。二匹の犬はじゃれ合い、犬だけの世界を作っている。
「こんにちは」
 藍子も微笑んで答えたが、その顔が満面の笑みになっているかは疑問だった。
「いつも犬を散歩させていますよね。実は、僕も散歩させてたんですが、あなたとここで一緒になることはなかったですよね」
「ええ、初めてですわ」
「前から気になっていて、一度声を掛けたいと思うようになっていたんですが、今までそれも叶わず、初めて今日やっと声を掛けられたことが嬉しいんですよ」
 シルエットに浮かんでいる顔からは満面の笑みを感じる。自分ができないであろう満面の笑みを相手がしていると感じると忌々しく感じるが、きっと他の男性を目の前にしていて、この感情は浮かんでこないに違いない。それだけ目の前に現われた男性を特別に感じているのだろう。
 今までに男性を目の前にして、異性を感じたことはなかった。異性を意識するようになって初めて真正面から見た男性だからである。満面の笑みを浮かべられないのは無理もないことかも知れないが、それでも忌々しい。
 男性は藍子の隣に座った。背が高いせいもあって、横顔を眺めるのも顔を上げないと無理だった。
 それからどれだけの会話があったことか、気がつけば藍子はその男性を忘れられなくなっていた。
 毎日公園で会って、犬の話をする。名前を雄作というが、姓は忘れてしまった。最初から、
「雄作」
「藍子」
 と呼び合う仲だったからである。それは雄作が望んだことだった。彼は藍子より二つ年上で、今までに付き合った女性とはいつも下の名前で呼び合っていたらしい。藍子は違和感がなく下の名前で呼べる自分にビックリしていたが、それだけ雄作が幾人もの女性と付き合ってきて、慣れている証拠なのかも知れないと感じていた。
 そのわりには、雄作が藍子に話しかけたのが遅かったように感じるのが気になっていた。前から藍子のことを知っていたといっていて、これだけ慣れているんだから、すぐにでも話しかけられるはずだ。しかも犬の話題を持ち出せばすぐにでも仲良くなれるはずだと思うのに、どうしてなんだろう。実際に藍子は犬が一緒にいることでまったく雄作に違和感を感じることなどなかったではないか。そのことについて、雄作は一度話してくれたことがあった。
「僕は前から君に話しかけようと何度も思っていたことがあったんだよ。公園に君がいつも座っているのも見ているからね。最初は気軽な気持ちで話しかけようと考えていたんだけど、実際に話しかけた時には、僕としては君にかなり入れ込んでいたかも知れない。君には冷静に見えたかも知れないが、これでも結構緊張していたんだよ」
 照れ笑いを浮かべながら、後ろ髪を手で掻いていた。
「じゃあ、どうして話しかけてくれなかったの?」
 藍子もまんざらではない気持ちで聞いていた。藍子自身、あまり一目惚れするタイプではないと感じていたはずなのに雄作を最初に見た時から、忘れられなくなっていたからである。
――私ってもう少し純情だと思っていたんだけどな――
作品名:短編集96(過去作品) 作家名:森本晃次