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天才少女の巡り合わせ

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「夏休みになったら、どこかで落ち合ってみたいような気もするな」
 と言っている人もいたが、綾子はそこまで考えたことはなかった。
 ゲームは中学時代にするようになったのだが、最初はクラスメイトの女の子から進められてやったものだった。そのゲームはロールプレイングであったり、カードゲームであったりしたが、カードゲームはどうにも好きになれなかった。カードゲームは、昔テレビに出演させられて、その時によくやらされたものと似ていたからだ。
 ロールプレイングも似たようなものであったが、テレビで実演させられなかっただけでも全然意識が違った。特にネットでやっているといこともあって、
「誰か知らない人に見られている」
 という意識が強くなった。
 それは不特定多数の人というイメージが強いだけにネットであってもテレビで見られているような自分の知らない人が自分だけを注目しているような気がして気持ち悪かった。最後の頃はカードゲームをすると、吐き気を催してきそうで、辛かったくらいだ。
 高校二年生になると、ゲーム自体をしなくなった。飽きてきたというのも事実だが、本を読むようになったのも、その理由かも知れない。本を読んでいると想像力が増してくる。小学生の頃、よく学校の図書館に通っていたのが懐かしいというのもあったが、星座イメージすることで昔の小説を読むことが多くなった。
 明治の文豪のと呼ばれる人たちの作品であったり、大正ロマンなどの作品などもよく読んだ。
 本を読んでいると、自分が作品のヒロインになっている気分になり、しかも時代の違いが、想像力を豊かにしてくれる。
 実際に知らないはずの世界なのに、読んでいると勝手にイメージが浮かんでくる。それこそ持って生まれた自分の能力であることを、いまさらながらに思い出していた。
 明治時代など、映画でシーンを見たことはあったが、本を読んでいると、明治時代の街の風景が頭の中に浮かんできて、自分がその中にいるような気がしてくるのだ、だが、自分がヒロインになったという印象ではないヒロインとは違う存在の別キャラクターであり、しかも小説の中に出てくる人物ではないのだ、つまりは、架空の話の中で、勝手に想像したキャラクターが物語の中に入り込んで、ただ、物語の進行を妨げるわけではなく、まるで「邪悪の星」のごとく、誰にも意識されることなく、自由に立ち回れる立場として存在しているのだ。
 昨日知り合ったおばあさんであるが、いくら年齢がいっていたとしても、昭和であることに間違いはないだろう。大正だとするのであれば、生まれが対称十四年だとしても、年齢としては優に九十歳を超えている。百歳近いと言ってもいいだろう。
 ただ、綾子の中の意識としては明治晩年と昭和初期とではさほど街並みが違っているという意識はなかった。
 実際に昔の街並みを写した写真集などで見る、明治終盤と昭和初期とでは、どこが違うんだと思うほどで、本当に差を感じることはない。ただ、帝都ではその間に大震災があり、街並みは一変してしまったところもあるであろうが、今の時代から見れば、そこまではないような気がする。
 それにしても、帝都東京はすごいものだ、大正十二年に関東大震災が起こり、帝都は廃墟と化したにも関わらず、その三十年後の東京大空襲までに復興はほとんど終わっており、今度は東京大空襲でまたしても、帝都である東京市は廃墟と化した。それが、二十年も経たずに、十数年後には東京タワーの完成、されに戦後二十年で、東京オリンピックの開催と、まさに奇跡の復興を遂げているのだった。
 それを思うと、現在の二十年の間にどんなに化学が進歩したと言っても、あれだけの廃墟から何度も復興を遂げた帝都東京市は、すごいとしか言えないだろう、
 綾子は、あのおばあさんの生まれがいつの頃だったのか分からないが、戦時中くらいだったのではないかと思っている。まだ八十歳くらいではないかと勝手に思ったからだった。
 綾子はおばあさんの家に着くまで、これだけのことを考えていた。
「たった二十分くらいなのに、よくこれだけのことを考えたものだ」
 と思った。
 気が付くとおばあさんの家の前についていて、
「こんにちは」
 と声を掛けると、おばあさんが中から待ってくれていたのか、そそくさと出てきた。
 その様子がまるで小さな子供ようで、見ていて微笑ましさを感じた。
「年を取れば子供に戻るというが、あのおばあさんもそうなのかも知れない」
 と綾子は感じた。
「おやおや、いらっしゃい」
 とおばあさんは喜んでくれた。
「また来ちゃいました」
 というと、おばあさんは喜んで、顔をくしゃくしゃにしていた。
 こういうのをかわいいというのだろうとm綾子は感じた。
 綾子は、昨日夢に見た内容を話して、その場所を探してもらうことにした、すると、
「あったわ、あった。どうも私が探した時は思い込みからなのか、一方方向からしか見ていなかったので気付かなかったんでしょうね。それにまさかそんなところにあるなんて思ってもいなかったので、余計にそれ以上を探さなかったのかも知れないわ」
 と言っていた。
 それを聞いて、最近読んだ探偵小説の一節を思い出した。
「ここは一度警察が調査しているので、今では絶対に安全な隠し場所なんですよ」
 というセリフだった。
 凶器の隠し場所を探すという場面で、探偵が指摘した場所を警察が掘り起こすという場面であったが、その場所は先日、警察によって一度掘り起こされた場所であり、その時には何も発見されなかったという場所だった。
 一度調査した場所をもう一度捜索するというようなことを警察は普通はしない。よほど確信があれば別だが、今では捜索令状が必要だったりと、手続きという意味でも面倒くさく、手間もかかるため、警察は安易にそんな手間は掛けたりしない。そういう意味で、犯人が証拠を隠しなおすであれば、一度捜索されて何もないと分かった場所ほど安全なところはないのだ。
 そんな時の探偵の意見は、まず間違いなく確信を掴んでいるという場合が多い。何しろ警察力を動かし、再度捜査令状を取る手間を考えれば、
「すみません、勘違いでした」
 では済まないであろう。
 そんな捜査をしていれば、探偵としても、信用問題になりかねない、しかも警察とはお互いに協力し合う立場にあるので、捜査の妨げになるようなことは基本してはいけないのだ。
 これも最近読み始めた探偵小説の受け入りであるが、ちょうど大正時代から昭和初期にかけて、探偵小説が一世を風靡した次回があったのだ。
 その時代の探偵小説で今も読まれ続けている小説もあり、そこから逆にその時代を顧みようとする感覚は、想像力を?き立てるという意味でもよかった。
 想像力というのは、掻き立てるものなのか、それとも自然と浮かんでくるものを感じるものなのか、綾子は最近分からなくなっていた、小学生の頃まではわざわざ掻き立てなくともイメージが湧いてくるものであったが、中学生以降からは、湧き出てくるものがなくなってしまった。テレビで叩かれてから、次第に忘れられるようになると、自分が普通の女の子に戻ってくるのが嬉しくなっていった。
作品名:天才少女の巡り合わせ 作家名:森本晃次